私はあまり本を好んで読む方ではないと思いますが、気になった本は読んでいます。
一時は百田尚樹さんの本にはまり、順番に読んだこともありましたが今は本当に気になる本しか読みません。
逆にYoutube で気になる動画を見て得る情報が非常に増えてきたと思います。
今回は「ほめる教育」について危険視した方が良いデーターを紹介している動画を皆さんにご紹介します。
現在ほめる教育が推奨されていますし、前に書きましたが当教室が立ち上げ時期にはお子さんを褒めてあげてください!と我々も推奨しておりました。
しかし今、根拠のない自尊心や、過剰な評価を自分にしている人が多くいる事にも疑問を感じ、ほめる教育の負の面が気になっていました。
そんなときにたまたま見つけた動画ですが、皆さんにも是非知っていただきたいと思う動画です。
1990年にコロンビア大学で行われた研究で10歳~12歳を対象に行われた実験の結果です。
詳しくは動画で見ていただければわかりますが、結論を言えば「頭がいいね!」と褒めた子供たちは難しい事への挑戦心を失い、難しい事へ挑戦させると「嘘をつき始めた」という結果が出ています。
動画はこのリンクから見れます。
https://www.youtube.com/watch?v=2gKz4p8ci6Q
もちろん、褒める事に対して全面否定する人もいないと思いますが、方法とバランスが大切だと思います。
私も最近色んな大人がいるな・・・と驚いたことがあったのですが、まさか自分が間違っているという可能性を全く考えていない連中で、話が通じない事に非常に驚きました。
世の中に馬鹿な理論が横行する一番の理由は「過去の意見・行動・判断を清算しないで、切り替えて次に行こう!」という小学生レベルの考え方を良い大人が平気で言っていることに驚きを超えて恐怖を感じました。
日本の社会全体がまさに同じような状態で、あれだけ問題視していた「コロナウィルス」に対するワクチンも含む「対策」は効果があったのか?正しかったのか?を全く検証しないまま「ウクライナ問題」やLGBTQ問題で騒いでいる姿を見ると恐怖を感じます。
AIDSはどこへ行ったのでしょうか?
オウム真理教で散々宗教が問題になったにも関わらず、今になって統一教会を問題にしたのはなぜですか?
しかも、もう統一教会の事も忘れつつあり、広島サミットに夢中ですね?
今の判断や常識が間違っているかもしれない・・・そう考える事を忘れてはいけませんし、過去の検証をちゃんと行う人間にしか正しい判断は出来ません。
教育も同じです、偏差値教育・ほめる教育・個性を重んじ・子供の意思を尊重する教育が生み出した「社会人」が作り出した、今の世の中を検証しなくていいのですか?
そんな基本的な事もせず、未来に向かって突き進もう!みたいなのんきな大人を見ると恐怖とともに「関わりたくない」と心から思います。
今の教育が正しく、子供たちが良い方向へ向かっているなら「学校の先生」を志望する若者がなぜ減りますか?
今の教育が正しいなら、学力は向上し子供たちは個性豊かでしっかりとした新社会人が社会を引っ張っているんですよね?
今の学校ダメでしょ?学校教育おかしいでしょ?学校に安心して子供を任せられないでしょ?
そこから目をそらしてはいけません!それが検証であり、正しい判断の第一歩なのです!
私は褒める教育ではなく「甘い教育」を全面否定しています、理由も簡単です、子供の成長が遅いからです。
今回の動画を良かったら皆さん一度見てみてください、少し褒める教育の見方が変わると思います。
ゴールデンウィークも終了、中学生はテスト期間に突入、可哀想だけど勉強してもらうしか無い・・・
私が中学生に限らず小学生高校生でも、指導していて思うのは「甘えている子」は成長しないと言う事なのです。
もちろん出来ない事をさせるのはただの拷問ですが、出来る事をさせないのはただの甘やかしだと思います。
数年前に塾を辞めた生徒さんですが、中学2年生で7+8を14だと答え、7+8は15だよね?と聞き、自分で分からなかった?と聞くと「僕には分かりませんね」と答え、その他のケアレスミスに関しても全て「僕には出来ないですね」と堂々と答えていました。
もちろん教室は辞めていきましたし、その後の結果も聞いていますが「そらそうですよね」と言いたくなりました。
私が言いたいのは「特性が強い」とか「この子は他と違う」とか言われている子のほとんどが「出来る事を出来ない」と言っている子なのです。
もちろん、その子の特性が理由で分からない事もあります、しかし考えれば分かる事、メモを使えば理解出来ること、整理すれば出来る事、その全てを「分かりません」の一言で済まし、許されてきた生徒さんは本当に自分が出来ないと思い込んでいるのです。
それはただの甘やかしであり、生徒さん自身に取って「不幸な事」なのです。
出来ない、分かりません、知りませんを真に受けていると本当に「学習障害」という答えしか出てきませんし、出来る事をちゃんと出来ると分からせることは非常に苦労するので「受け入れる」方が楽なのです。
しかし、それをしてしまうとその生徒さんはそれ以降、学校や家庭、友達関係でも「出来ないまま」を受け入れられ「能力を伸ばす機会」を奪われたまま成長するのです。
そしてはじめはちょっとした甘えで言った「出来ません」「分かりません」「覚えていません」がドンドン能力を下げていき、ついには取り返しのきかない「弱点」と成るのです。
教育は成長させる事が1つの目的であり、おだてて、褒めて、好き勝手させ、その子をそのまま大きくする事ではありません。
もちろん年齢を重ねれば少しは成長して行きますが、年齢を超えた成長や驚くような変化はありません。
私はよく生徒さんに話しをするのですが100%の力を出したものだけが、110%の力を手に入れ、110%の力を出したものだけが121%の力を手に入れる。
その時その時の全力の努力が人を成長させ、後に素晴らしい力を与えてくれるのです。
しかし今の生徒さんは「嫌な事・苦手な事・やりたくないことはやらなくて良い」という甘えた状態で学生時代を過ごし、底力も粘りもなく失敗ばかりを気にして「余力を残した行動」しか出来ないのが気になります。
この時代一生懸命努力する生徒さんが急成長するのは当たり前の話で、老人の様な動きをする子供達の中で光って見えるのは私だけでしょうか?
一方で一生懸命努力する=量をやるとか、苦しむと勘違いして「努力の為の努力」をしている「ガリ勉さん」も同時に増えています。
必要も無い量の勉強を一生懸命して、効率の悪さを無視して自分の可能性を信じられなくなる位の努力をしているのです。
ハッキリ言いますが、中学生の勉強くらい「片手間」で高得点を取るくらいの余裕が無ければ、将来心配です。
結論を言えば教育において最も重要なのは「バランス」なのです。
ゴミ屋敷は嫌ですが、潔癖症では生きにくいと言う感じです。
勉強はある程度しなくてはいけませんし、簡単にできないを認めてはいけませんが、だからといって中学生の勉強くらいで「死ぬ気でやらせる」のも違います。
名前は言いませんが、地域で何故か人気のあるK塾さんは高校受験で、一日10時間も15時間も勉強させます・・・その結果みんな大学受験で失敗し、驚くような大学へ通うのです。
理由は簡単で「量をやらせることでどんくさくなる」という事実に一向に気が付かないようです。
私は幸い有名大学へ進学した知人・友人・親戚がたくさん居ますが、彼ら東大・京大・一橋へ合格した人達から、結果は良いから目一杯努力しろと言う話は聞いたことがありません。
皆さん口をそろえて言うのは、大事なのは「目的意識」、時期が来れば勝手にやるよ、です。
私が驚いたのは野球の世界で「甲子園」「プロ野球」を経験したことが無い人こそが「甲子園では・・・・」「プロでは・・・」の話をしてくれるのですが、それは経験ダンでは無く「噂」であり「都市伝説」を語っているだけだったのです。
そして本当に甲子園・プロ野球を経験した人は「自由にやらせなさい」とみんな言いますし、そもそも何が正解だとか言いません。
今皆さんが聞いている「教育論」を語る人が本当に経験者ですか?違うなら、自由に育てて見ませんか?
勝手に勉強はする様になります、こちらが押しつけ無ければです!
私の数少ない趣味の一つが麻雀です。
サラリーマンの時は会社の同僚、上司とよく麻雀をしましたし大好きでした。
今は家族で楽しむ程度で、今日も夜遅くから息子と娘と麻雀をしました。
息子も娘も麻雀大好きで時には奥さんも交えてやりますが、娘から「麻雀で勝てない」という悩みを言われ、面白いな~と思いました。
家族で遊んでいるだけなので、お金をかけているわけでもなく、勝っても負けても損も得もありませんが、負けたら悔しいし腹が立つと言い、しかもこの一年間ずっと負けているような気がするというのです。」
私は娘が「勝つためにどうしていいかわからない」と言う事に感心しています。
普通は嫌ならやめてしまえばいいし、無理に勝ちにいかず自分の勝てる事を楽しめばいいと思いますが、娘は麻雀で勝つためにどうするかを真剣に悩んでいました。
娘は昔、折り紙の「パックンチョ」が作れないと泣き喚き、奥さんが買い物に行き帰ってくると山ほどのパックンチョを作っていたくらい「出来ない事があるのが嫌」という素晴らしい性格をしています。
そしてただ出来る事にこだわるだけでなく、ちゃんと努力もします、そこが素晴らしいと親ながら感心しています。
私は娘に会社を起業して、事業を起こしなさいと幼少期から言い続けて、今も自分の商売の準備を大学へ通いながらしています。
私は娘が起業しいろんな経験をするのが楽しみで仕方ありません、なぜなら娘はよく勉強もしてきた子なので「分析」「工夫」「調査」は得意なのですが、「行動」がしにくいからです。
私は分析力や思考力のある人ほど「臆病」になる傾向が強いと考えています。
時代を作った堀江貴文氏も「商売を成功させるのは、馬鹿な方が早い」と言い切っています。
何故なら、物事を深く考えない人は「失敗」を気にせず、失敗してもすぐに忘れるからだそうです。
次々と商売を始めれば、適当にやっていてもすぐに成功するのが商売だそうです。
では、勉強や考える事、分析力や思考力がない方が商売は上手くいくのか?と問われれば、その通りだと思います。
では勉強することや学ぶこと、考える事、分析することは必要ないのか?と問われれば、絶対必要だと私は思っています。
何故なら「再現」するためには、分析・思考・改善が必要だからです。
私の尊敬する社長さんたちの多くは成功したにもかかわらず事業を潰しています、しかし短期間で同じ規模の事業を立ち上げています。
つまり一回事業を成功させるためには、さほど経験や知識、思考力はいりません、しかし事業を継続すればいろんな危機が訪れます。
その時に分析力や思考力が必要になるのです。
しかし、分析力や思考力、知識のある人は「臆病」がゆえに「行動」に移す前に「リスク」ばかりが気になり、結局「机上の空論」で終わる人が多いのです。
だから、結論から言えば「賢い人」で「行動力」があれば、簡単に事業では成功できるのです。
そのような人材をどう育成するかを本気で考えた学習教室がA YUMMY STUDY 伸学土台教室なのです。
娘もうちで学んだ生徒の一人で賢いとは思いますが、臆病だとも思っています。
だから今はたくさんの失敗をしてほしいので、次々と行動に移してほしいと考えています。
今教育業界が推進している「教え込み」「前倒し教育」「演習の繰り返し」は失敗を恐れる知識人を育成する事になり、培った知識や思考力を「机上の空論」で終わらせる人達になるのです。
私は賢い人を育成したいと考えていて、持った知識を知恵に変え、分析は行動で検証し、失敗を恐れず行動できる人間を育成したいと考えています。
そのためには勉強を一生懸命やるのではなく、受験時期にだけ自己管理をして要領よく乗り切る事が重要だと考えています。
A YUMMY STUDY 伸学土台教室が行う教育はある意味「究極の理想論」だと思っていますし、それを実現しないと教育の意味がないとも考えています。
知識を知恵に変え、勇気をもって行動に移して初めて「価値」があるのです。
私も知識人のうんちくを聞くのが大嫌いでしたし、自分自身そうならないように気を付けているつもりですが私も行動が遅いと感じています。
私自身もっと失敗を恐れず行動、分析、実行を繰り返し、子供たちに背中で教育する事をしていきたいと思います。
だからこそ娘の負けん気の強さと分析力と勝ちへのこだわりはうれしく感じます。
当教室の生徒さんも、賢いだけでなく「行動」を伴う勇気を身に着けてもらいたいと考えています。
勉強を教えるのは簡単です、しかし勇気を身に着けるには「成功体験」が必要です。
その最も早い方法が「受験」なのです!
毎回書きますが「受験」は高学歴のためや、良い就職のためにあるのではありません!
「受験」は成長の最大のチャンスなのです!
成功体験をして、自分の可能性を大きく感じるそのチャンスなのです!
その受験を安全に、失敗の無いように、無理せず終わらせることは「成長の機会」を奪う事だと知っていただきたいです。
私が学習塾を運営してきて子供たちの「想像力の低下」「興味の薄れ」「雑学の無さ」「あきらめの速さ」はずっと年々ひどくなる一方だと感じています。
恐ろしい事に「勉強が好き~」という低学年の生徒さんほど「想像力」や「粘り」、「興味」がないという事に驚かされます。
これは間違いなく「ほめる教育」を勘違いしたもので、我々がこの教室を立ち上げた20年以上前は「ほめる」という事が圧倒的に不足していました。
だからご両親に褒めてあげて!他人に褒められたら絶対否定せず受け入れて!とお願いしていました。
ところが、最近では「ほめる」と「おだてる」の違いも判らず、個性とわがままの違いを理解できていないと感じる子育てをされているかたが多いと感じております。
ほめるというのは「すごーい!」とか「賢ーい」という声掛けではなありません!「出来たね」「覚えていたね」の声掛けなのです。
お子さんは幼少期母親に完全に依存し、悪い例えで私はよく言いますが、子供は母親に殴り殺されるまで母親に引っ付いてきます。
どんなひどい扱いをされても母存在は絶対なのです、だからこそ母に褒められるというのは最大の「報酬」であり、お子さんはお母さんに褒められたことを全力でやりまた褒められたいと頑張るのです!
だからこそ、何の努力もなく出来たことを「すごいね~」とか「賢いね~」と言われると、いわば薄氷のような自尊心は育ちます。
それは幼稚園・保育園の小学校に入学するまではいいのです、しかし小学校に入学してもお子さんは同じことをしてきます。
幼少期は「先天的」に出来る事を褒めればいいんです、顔が可愛い、足が長い、髪が綺麗、足が速い、声が可愛い・・・なんでもいいんです。
自分は特別な才能があると「勘違い」する事が大切なのです、これを小学校でも続けている家庭と幼少期からバランスの取れた子にしようと「指摘」をしている家が多いのです!
もちろん、幼少期に褒め言葉に飢えている子は「消極的な子」になり、自信を失い積極性を失う傾向にあります。
しかし、幼少期にちゃんと自分は特別である、母から愛されていると自信のある子はメキメキと成長します。
ただ、いつまでも「出来る事だけをして褒めてほしい」と感じている子は、挑戦をせず失敗を恐れ「出来る事」「得意なこと」を探し続けます。
その結果、成長は遅く周りと比べほめてもらえる事が少なくなり、いわば「少人数の世界」へと行きます。
少人数の世界とは、簡単に言うとマイナーな習い事やスポーツ、ライバルが少なく、相変わらず自分が出来る事をするだけで褒め言葉がもらえる世界という意味です。
こうなると修正が難しく、苦手分野からはどんどん逃げていき、選択が狭くなっていきます。
なので、小学校へ入学したら「今までできなかった事が出来たとき」のみ褒めるのです!
それも「すごー--い!!」とか「天才だね~」とか必要ないんです!それは「おだて」なので逆効果です。
そうではなく「出来たね!」「偉いね」だけで十分なんです、子供は出来なかった事が出来ただけで十分嬉しいのです。
そして出来たことを大好きな母が見てくれている、この事を言葉で一言「出来たね」っていうだけで子供は最高にうれしいのです。
そうすればまた出来ない事が出来れば母は褒めてくれると思うので、次々といろんな事に挑戦します。
そうすれば勝手に成長するのです!教育本を読んだり、教育カウンセリングみたいなアホなところで適当なアドバイスをもらわなくても子供は急成長します。
そして中学に上がれば「継続」だけを褒めればいいんです、幼少期から小学校からなんでもいいんです、長く継続していることをほめてあげればいいんです。
そして高校で初めて結果のみで褒めるのです。
この順序が重要で、いつまでも同じ声掛けや子供の成長に合わない指導をするとお子さんに無駄な負荷をかける事になります。
褒める教育を勘違いしているご家庭が非常に多いと感じています。
勉強が好き~という低学年のお子さんや幼稚園児は間違いなく、勉強が楽しいのではなく、自分がお勉強することで母が喜んでいる、母といる時間が長くなると言う事を喜んでいるのです。
ですから簡単に言うと母親の言う通り動く時期なのです。
その時期にプリント学習や先取り学習をするのはナンセンスだと私は思います。
自然に触れ、体を目いっぱい使った遊びをして、タケノコ掘ったり、イチゴ摘んだり、川で魚追っかけたり、花を見てきれいだと感じたり・・・そういう事が後の勉強に抜群の効果を発揮します!
勉強はちゃんと遊んだお子さんの方が「伸びる」という事実に間違いありません!
幼少期からプリント学習や先取り学習をした生徒さんは年齢が上がれば上がるほど苦労します。
この事実にまず目を向けてください。
A YUMMY STUDY 伸学土台教室は塾業界では珍しい、国語指導を得意とする教室であり、元々は英会話教室なので「語学指導」に特化した教室だと思います。
作文部門もありますし、算数・数学でも「文章題」に強い生徒さんを育成する事に特化しています。
国語力とはいったい何のか?ずいぶん前に書きましたが、国語力は「要約」「表現」「置き換え」の三つの力を指します。
一般的に塾は三つ目の「置き換え」をテクニックで指導している教室や塾がほとんどで、これはテストで点数を取るためだけの指導であり、「要約」「表現」の二つが出来ていなければ伸びないのが「置き換え」なのです。
要約と表現の力は「学力」に直結しており、勉強を要領よくこなす生徒さんは全員要約力と表現力を高いレベルで持っています。
暗記が苦手、何度教えても覚えない、すぐに忘れてしまう・・・これらの現象は「要約力」の無さからくるものだと知っている塾講師、学校の先生はほとんど居ません。
特に今の教育業界では、この事実に気づくことができません。
何故なら、生徒や子供を叱ってはいけない、追い詰めてはいけない、疑ってはいけない・・・そうなると、子供が何故できないのか?原因追及も出来ません。
そこに「学習障害」という都合の良い言葉が登場し、言い訳として好都合なものとして多用されるようになりました。
しかし、実際は何故できないのか?を追求すると「要約力」の無さに気付きます。
簡単に言うと「先生の言葉を丸暗記しようとしている」という現象です。
先生は自分が使いやすい言葉を使用しますし、意味を理解している言葉を使いますが、子供達と使う言葉がそもそも大きく違うのです。
だから先生の言葉は覚えにくく、生徒さんには向いていない表現を使っている事がほとんどなのです。
解決策は簡単で、まず先生の説明を理解し、自分の言葉に置き換えそして「常陽な箇所のみ記憶する」という方法が大切なのです。
これが要約力なのです!言葉を丸暗記できませんし、出来たとしても「無駄が多い」のです。
自分の言葉にしかも「コンパクト」まとめて記憶する、これが出来るから記憶を整理出来るし思い出す作業も簡単になるのです。
要約力は「学習能力」の源であり、基礎中の基礎なのです。
そして表現力は「理解度」に直結しています。
私は野球のコーチをしていたことがありますが、指導者の伝えたいニュアンスと選手が受け取ったニュアンスには絶対「ズレ」があり、このズレを修正する力を「理解力」と言っているのです。
ただし、日本語力の相当高い指導者が指導すれば「ズレ」を最小限に抑える事が出来るので、日本語力の高い指導者を「名指導者」と言っています。
しかし、指導者の腕に頼っていると「環境」で成長が変わり、先生や講師の当たり外れを一生気にしなければいけません。
どれだけ日本語力の無い指導者でも「ズレ」を修正できる力こそ、「表現力」なのです。
指導者の伝えたいニュアンスを「こういう事ですか?」と自分の理解と確認する作業が出来れば、その場でズレを修正できます。
しかし、自分の理解を人に「表現」出来なければ、そのズレを修正する事は難しいでしょう。
そして勉強もスポーツもズレを放置したままにするとそれが「悪い癖」となり、その悪い癖お修正するのに指導が必要でその修正をするための指導にも「ズレ」が生じます・・・
私が野球を指導した経験で言うと、何かを指導したときに「はい!分かりました!」という選手で伸びてくる選手はほとんどいません。
何かを指導したときに「こういう事ですか?」とか、「何故それが重要ですか?」など、自分の考えを伝えてくる選手は抜群に伸びます。
言われた事を理解するために自分の受け取ったニュアンスを確認する「表現力」と、聞いたことを自分の言葉に換えまとめて記憶する「要約力」が成長の速さには絶対必要なのです。
これが出来れば「置き換える力」に関しては簡単ですし、短期間で身につける事も可能です。
当教室はこの「要約力」と「表現力」を育成するため、国語部門と作文部門をやっています。
多くの塾が「置き換える力」をテクニック指導しているので、学力の根本改善が出来ていないのです。
私も多くの塾講師や学校の先生の国語の授業を見てきましたが、本当にひどいもので「要約力」「表現力」の無い子に「置き換え」の指導をしているので生徒さんたちは訳が分からないという状態です。
私自身も4人兄弟の末っ子で「要約力」「表現力」は抜群にあったので、国語で苦労したことはありませんでした。
だからこそ「国語部門」の設立には反対だったのです、何故なら国語力は家庭で鍛えるものであって塾で指導するものではないと考えていたからです。
だから受験前に国語を指導し、点数を取らせる事は出来ましたが、根本の国力の改善は出来ないと思っていました。
ところがうちの奥さんは国語が大の苦手で、苦労し努力と経験を積み重ね「国語」をやってきました。
その結果現在の「要約力」「表現力」を鍛える国語部門のカリキュラムが完成しました。
そして私は要約力と表現力は「作文」で指導するという結論に至り、作文部門を開校しました。
作文部門も国語部門も交通しているのは、問題集を解く力ではなく「会話や記憶」を鍛える国語だという事です。
そして受験生にはプロ中のプロ「濱田知子先生」が点を取るための受験国語を教えてくれます。
点数を取るための国語、根本を指導する国語、そして英会話と勉強としての英語、その全てを指導し結果を出してきた当教室だからこそ「語学に特化した教室」と名を売っているのです。
国語力があり、受験の最重要項目である「英語」で得点出来る生徒さんに「数学」を指導しているから結果が出ているのです。
当教室の結果の源は「語学」であり、その始まりは国語、日本語力なのです。
日本語力をおろそかにして、勉強が出来る訳は無いのです!