賢いとは何か?真面目に考える時期に来ています
生徒さん達と授業をしていて「勉強する事と賢くなる事」は全く別物だと説明しているが、おそらく多くの人は分からないと思う。
勉強のシステムについても同じで、勉強の仕方が我々が子供の頃とほとんど変わっていない。
これは恐ろしい事で、時代が変化しているのに勉強の中身もやり方もほとんど変化していない・・・原因は「指導者」が時代の変化についていけていない事が原因だと思う。
大人が世界一勉強しない国日本、そのツケをいよいよ払う時が来たのかもしれない。
我々の子供の頃は「知識」が賢さの重要要素であり、知識を持つことはとても大切な事だった。
しかし今はどうだろうか?スマートフォンを持っていれば「ググる」事で知識に困る事はほぼない・・・では現代において賢いとはどういう事を指すのか?考えたことがありますか?
私は今必要な賢さとはまず「国語力」だと思います、なぜならせっかく「ググった文章」を理解できないという危篤な現象が実際に起きている。
何故なら、色んな知識をネットに書き込む人は基本的に国語力が高く、難しい言葉を使う事が多いからだ。
次に想像力が重要だと思います。
例えば1234と教えれば、自分で5678を生む出せる事がとても重要だと思います。
しかし今の塾講師や学校の先生を見ていると「国語力」が欠如していて、想像力もありません。
指導者のレベルや知識がすでに時代遅れになっているのです。
当たり前の話で、自分が学生時代に受けた教育の知識でいまだに生徒さんに接しようとしている人が多いので、ある意味仕方ない事なのかもしれません。
しかし、私は幸いな事に塾経営するまでに金融や薬品メーカー、食料メーカーにも勤務してきましたし、自営でIT関連の仕事もしました。
その中で時代の変化を肌で感じてきたし、今社会で求められる能力は何かも常に考えてきました。
自分は運が良かったので新社会人を教育する立場にいる事が多く、彼らにかけているもの、逆に彼らの持つ優位性にも非常に興味を持ちました。
結果高学歴の人にも、学歴を無視してきた人にも欠点がある事がわかり、それは悪い事ではありませんが、学生時代に何をどうすればスムーズに活躍できる社会人になれるのか?を考えました。
その結論として出てきたのが「勉強の仕方が悪い」もっと具体的に言えば「効率の悪い作業」が身についているという事なのです。
「努力」と言う事が目的になり、結果が目的ではなくなっている事なのです。
だから仕事でも勉強でも「何時間やったか?」「どれだけ苦労したか」「どれほど真剣にやったか?」をアピールしてきますが、結果が出なければどうしようもないという事を学生時代に教わっていないのです。
昔は終身雇用制度という物があり、新社会人は会社に入社すれば一生涯会社が面倒を見てくれて、真面目に働くだけで幸せになれました。
今は転職全盛期、即戦力を求める企業がほとんどで、結果を瞬時に出せる人間を取り合う社会になってきています。
その中でいわば「言い訳の上手い」社会人は戦力外とみなされ、冷酷だ!非情だ!喚いても会社は知らんぷりです。
なのにまだ、お子さんに真面目を求めますか?それとも要領を求めますか?
不器用なんですうちの子・・・不器用にしか出来ない仕事が多々あります、職人です。
職人は愚直なまでに真面目な人が成功を納める世界で職人向きな子供を私はよく見ます、しかし一様に勉強させられ「平均的能力」を強要され良さを失っている気がします。
本当に賢いとは何なのか?まず我々が真剣に考えなくてはいけない時に来ていると思います。
勉強のシステムについても同じで、勉強の仕方が我々が子供の頃とほとんど変わっていない。
これは恐ろしい事で、時代が変化しているのに勉強の中身もやり方もほとんど変化していない・・・原因は「指導者」が時代の変化についていけていない事が原因だと思う。
大人が世界一勉強しない国日本、そのツケをいよいよ払う時が来たのかもしれない。
我々の子供の頃は「知識」が賢さの重要要素であり、知識を持つことはとても大切な事だった。
しかし今はどうだろうか?スマートフォンを持っていれば「ググる」事で知識に困る事はほぼない・・・では現代において賢いとはどういう事を指すのか?考えたことがありますか?
私は今必要な賢さとはまず「国語力」だと思います、なぜならせっかく「ググった文章」を理解できないという危篤な現象が実際に起きている。
何故なら、色んな知識をネットに書き込む人は基本的に国語力が高く、難しい言葉を使う事が多いからだ。
次に想像力が重要だと思います。
例えば1234と教えれば、自分で5678を生む出せる事がとても重要だと思います。
しかし今の塾講師や学校の先生を見ていると「国語力」が欠如していて、想像力もありません。
指導者のレベルや知識がすでに時代遅れになっているのです。
当たり前の話で、自分が学生時代に受けた教育の知識でいまだに生徒さんに接しようとしている人が多いので、ある意味仕方ない事なのかもしれません。
しかし、私は幸いな事に塾経営するまでに金融や薬品メーカー、食料メーカーにも勤務してきましたし、自営でIT関連の仕事もしました。
その中で時代の変化を肌で感じてきたし、今社会で求められる能力は何かも常に考えてきました。
自分は運が良かったので新社会人を教育する立場にいる事が多く、彼らにかけているもの、逆に彼らの持つ優位性にも非常に興味を持ちました。
結果高学歴の人にも、学歴を無視してきた人にも欠点がある事がわかり、それは悪い事ではありませんが、学生時代に何をどうすればスムーズに活躍できる社会人になれるのか?を考えました。
その結論として出てきたのが「勉強の仕方が悪い」もっと具体的に言えば「効率の悪い作業」が身についているという事なのです。
「努力」と言う事が目的になり、結果が目的ではなくなっている事なのです。
だから仕事でも勉強でも「何時間やったか?」「どれだけ苦労したか」「どれほど真剣にやったか?」をアピールしてきますが、結果が出なければどうしようもないという事を学生時代に教わっていないのです。
昔は終身雇用制度という物があり、新社会人は会社に入社すれば一生涯会社が面倒を見てくれて、真面目に働くだけで幸せになれました。
今は転職全盛期、即戦力を求める企業がほとんどで、結果を瞬時に出せる人間を取り合う社会になってきています。
その中でいわば「言い訳の上手い」社会人は戦力外とみなされ、冷酷だ!非情だ!喚いても会社は知らんぷりです。
なのにまだ、お子さんに真面目を求めますか?それとも要領を求めますか?
不器用なんですうちの子・・・不器用にしか出来ない仕事が多々あります、職人です。
職人は愚直なまでに真面目な人が成功を納める世界で職人向きな子供を私はよく見ます、しかし一様に勉強させられ「平均的能力」を強要され良さを失っている気がします。
本当に賢いとは何なのか?まず我々が真剣に考えなくてはいけない時に来ていると思います。
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