挑戦こそが人生であり、挑戦無き人生はつまらない人生
昨日は私立高校の受験結果を誰も報告しに来なかったことに驚きました!
それだけ当教室の生徒さんは公立高校へ的を絞っているという前向きな考え方も出来ますが、信頼関係が無いのかな?とも不安になります。
以前も高校受験を担当した生徒さんで、学校側から絶対無理だと言われた高校へ勝負させたので「結果がすぐに知らせて欲しい」と何回も伝え、朝か得意の算学神社へ祈祷をかけに行き結果を待ちました。
しかし昼になっても夕方になっても連絡は来ず、ダメだったか・・・と一人悩んで居ました。
すると夜になって塾へ現れ「受かってたで~」と満面の笑みを浮かべ来てくれたのですが、こっちが気になっているとは思わなかったのでしょう、非常に呑気な対応にびっくりした事を思い出します。
良く言う事ですが、結果を出し続ける人は周りの人に「上手く行って欲しい」と願ってもらう事が必要だそうです。
受験はもちろん本人の努力が一番であり、ご家族の協力が不可欠です。
しかし、塾もそこそこ頑張ります・・・心配で合格発表はドキドキします。
当教室が各ご家庭で勝手に志望校を決めてもらい、学校の言うとおりに安全な高校を受験している場合は気にもなりません。
しかし、ほとんどの受験生が勝負していますし、当教室が危険な勝負を後押ししている場合が多くとても結果が気になります。
特に塾業界が「不思議だな・・・」と思うのが、受験結果と塾生の数が本当に比例しないのです。
当教室が開業以来、驚異の合格率を維持しているにもかかわらず塾生の数は毎年微増・・・卒業もあるので微減が正しいのかも知れません。
それでも受験結果にこだわるのは「自尊心」しかも根拠のある自尊心を育成するのにどうしても必要だからです。
私は今の学習教室経営も、ネットワークビジネスを始めたときも、金融の会社に入社したときも、いつも周りから「無理」と忠告を受けましたし、ダメだと言われました。
しかし私は何とも思わないのです、何故なら人は否定する方が楽で結果を見て後でころっと意見を変えることを大学受験で経験しているからです。
無理だと周りが言う事をやってのけた事がある人にはみんな共通していますが、不利な状況でも挑戦する事が出来るのです。
それは周りの評価などいい加減で何の根拠もないと知っているからです。
でも仕事で長年勤めたサラリーマンを家族を抱えているのに辞めて、独立で勝負をかける・・・これは勇気が要ります。
しかし、受験はどうでしょうか?失敗したらどうなりますか?何も変わりません。
東進の林先生が言っていましたが受験生は大きく分けて4つに分類されるのです。
頑張って合格した人、頑張って不合格だった人、頑張らずに不合格だった人、頑張らずに合格した人の4種類です。
そして人生どうにもならず一生苦労するのが「頑張らずに合格した人」なんだそうです。
人生何においても努力が出来なくなり、人生が好転する事はほぼないそうです。
私はその理論がよく分かります、私が良く言う事ですが人間は「成功体験」に立ち返るのです。
窮地や岐路に立ったとき、必ず過去の成功例をなぞります。
安全な選択をして、無理をしない進路を選んだ人は必ずその道を選びます。
そうする事でずるずると後退し、諦めと妥協の人生を老年期に悔やむとありとあらゆるデーター、アンケート、調査の結果が示しています。
私が興味深かったのは、人生で最も後悔している事は何ですか?と70才以上死期が近づいた人にアンケートをとると実に90%近い人が「もっと挑戦し、リスクをとるべきだった」と答えたそうです。
人は安全安心を求めますが、その実退屈な選択なのです。
人生は挑戦と行動こそ自分の可能性を証明し、出来なかった事が出来たときに自分の人生の可能性を無限に感じられるのです。
ダメだ、無理だ、難しいと感じる事をやり遂げないと、自分の可能性を信じる事が出来ないのです。
今は個性の尊重とか、無理をさせないという教育の雰囲気が挑戦と行動と避ける選択へ導き、自分の可能性を信じる事が出来ない子供達を大量生産しているのです。
だから前回書いたように「いじめ」が頻発するんです。
誰がどんな結果を出したところで「自分の人生が良くなる」と感じる以上にワクワクする事がありますか?
努力も挑戦も伴わない「楽しさ」など、TVゲームやYouTube、くだらない遊びと同じでしょ?
可能性を感じないのだから、無理はしない出来ない事はしない・・・何が面白いのか?そんな人生!間違っている。
私はサッカーをしました、中学・高校・社会人と出来ない事で悔しい思いもしましたが夢中になれました。
野球もサッカーも音楽も夢中でやる人は壁を破り、出来ない事を克服し自分に可能性を感じ夢中になって突き進みまた壁に当る、その繰り返しを楽しんでいるのです。
今の子が何をしても「無気力」なのは、出来る事しかさせないから「面白くない」のです、壁を突破した経験が無いから「自分に可能性を感じていない」という状態なのです。
それは何故ですか?挑戦と努力を大人が背中で見せないからですよ、その楽しさ必要性を伝える事が出来ないからですよ。
私は生徒さんにそれを伝え、受験と言う誰もが逃げられない登竜門で一緒に戦う事を生業にすると決めたのです。
だからどうか子供達に挑戦させて欲しい!出来ない事を繰り返し挑戦し克服させて欲しい。
その挑戦と努力を見守る事しか大人の役目はないんです。
そして子供が勇気を失いかけたり、挑戦を諦めかけたりしたその時に支えてあげたり、自分の行動で勇気を与えたりするのです。
今はハッキリ言いますが、努力も挑戦も苦労も我慢も何もしていない子供を必死に支えようとするからおかしくなっているんです!
そもそも学生時代にたくさん失敗し、傷つき、挫折しそんな経験をしておかないと社会で活躍出来るわけ無いんです。
そろそろ気付きませんか?
それだけ当教室の生徒さんは公立高校へ的を絞っているという前向きな考え方も出来ますが、信頼関係が無いのかな?とも不安になります。
以前も高校受験を担当した生徒さんで、学校側から絶対無理だと言われた高校へ勝負させたので「結果がすぐに知らせて欲しい」と何回も伝え、朝か得意の算学神社へ祈祷をかけに行き結果を待ちました。
しかし昼になっても夕方になっても連絡は来ず、ダメだったか・・・と一人悩んで居ました。
すると夜になって塾へ現れ「受かってたで~」と満面の笑みを浮かべ来てくれたのですが、こっちが気になっているとは思わなかったのでしょう、非常に呑気な対応にびっくりした事を思い出します。
良く言う事ですが、結果を出し続ける人は周りの人に「上手く行って欲しい」と願ってもらう事が必要だそうです。
受験はもちろん本人の努力が一番であり、ご家族の協力が不可欠です。
しかし、塾もそこそこ頑張ります・・・心配で合格発表はドキドキします。
当教室が各ご家庭で勝手に志望校を決めてもらい、学校の言うとおりに安全な高校を受験している場合は気にもなりません。
しかし、ほとんどの受験生が勝負していますし、当教室が危険な勝負を後押ししている場合が多くとても結果が気になります。
特に塾業界が「不思議だな・・・」と思うのが、受験結果と塾生の数が本当に比例しないのです。
当教室が開業以来、驚異の合格率を維持しているにもかかわらず塾生の数は毎年微増・・・卒業もあるので微減が正しいのかも知れません。
それでも受験結果にこだわるのは「自尊心」しかも根拠のある自尊心を育成するのにどうしても必要だからです。
私は今の学習教室経営も、ネットワークビジネスを始めたときも、金融の会社に入社したときも、いつも周りから「無理」と忠告を受けましたし、ダメだと言われました。
しかし私は何とも思わないのです、何故なら人は否定する方が楽で結果を見て後でころっと意見を変えることを大学受験で経験しているからです。
無理だと周りが言う事をやってのけた事がある人にはみんな共通していますが、不利な状況でも挑戦する事が出来るのです。
それは周りの評価などいい加減で何の根拠もないと知っているからです。
でも仕事で長年勤めたサラリーマンを家族を抱えているのに辞めて、独立で勝負をかける・・・これは勇気が要ります。
しかし、受験はどうでしょうか?失敗したらどうなりますか?何も変わりません。
東進の林先生が言っていましたが受験生は大きく分けて4つに分類されるのです。
頑張って合格した人、頑張って不合格だった人、頑張らずに不合格だった人、頑張らずに合格した人の4種類です。
そして人生どうにもならず一生苦労するのが「頑張らずに合格した人」なんだそうです。
人生何においても努力が出来なくなり、人生が好転する事はほぼないそうです。
私はその理論がよく分かります、私が良く言う事ですが人間は「成功体験」に立ち返るのです。
窮地や岐路に立ったとき、必ず過去の成功例をなぞります。
安全な選択をして、無理をしない進路を選んだ人は必ずその道を選びます。
そうする事でずるずると後退し、諦めと妥協の人生を老年期に悔やむとありとあらゆるデーター、アンケート、調査の結果が示しています。
私が興味深かったのは、人生で最も後悔している事は何ですか?と70才以上死期が近づいた人にアンケートをとると実に90%近い人が「もっと挑戦し、リスクをとるべきだった」と答えたそうです。
人は安全安心を求めますが、その実退屈な選択なのです。
人生は挑戦と行動こそ自分の可能性を証明し、出来なかった事が出来たときに自分の人生の可能性を無限に感じられるのです。
ダメだ、無理だ、難しいと感じる事をやり遂げないと、自分の可能性を信じる事が出来ないのです。
今は個性の尊重とか、無理をさせないという教育の雰囲気が挑戦と行動と避ける選択へ導き、自分の可能性を信じる事が出来ない子供達を大量生産しているのです。
だから前回書いたように「いじめ」が頻発するんです。
誰がどんな結果を出したところで「自分の人生が良くなる」と感じる以上にワクワクする事がありますか?
努力も挑戦も伴わない「楽しさ」など、TVゲームやYouTube、くだらない遊びと同じでしょ?
可能性を感じないのだから、無理はしない出来ない事はしない・・・何が面白いのか?そんな人生!間違っている。
私はサッカーをしました、中学・高校・社会人と出来ない事で悔しい思いもしましたが夢中になれました。
野球もサッカーも音楽も夢中でやる人は壁を破り、出来ない事を克服し自分に可能性を感じ夢中になって突き進みまた壁に当る、その繰り返しを楽しんでいるのです。
今の子が何をしても「無気力」なのは、出来る事しかさせないから「面白くない」のです、壁を突破した経験が無いから「自分に可能性を感じていない」という状態なのです。
それは何故ですか?挑戦と努力を大人が背中で見せないからですよ、その楽しさ必要性を伝える事が出来ないからですよ。
私は生徒さんにそれを伝え、受験と言う誰もが逃げられない登竜門で一緒に戦う事を生業にすると決めたのです。
だからどうか子供達に挑戦させて欲しい!出来ない事を繰り返し挑戦し克服させて欲しい。
その挑戦と努力を見守る事しか大人の役目はないんです。
そして子供が勇気を失いかけたり、挑戦を諦めかけたりしたその時に支えてあげたり、自分の行動で勇気を与えたりするのです。
今はハッキリ言いますが、努力も挑戦も苦労も我慢も何もしていない子供を必死に支えようとするからおかしくなっているんです!
そもそも学生時代にたくさん失敗し、傷つき、挫折しそんな経験をしておかないと社会で活躍出来るわけ無いんです。
そろそろ気付きませんか?
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