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小学生の国語力が危機的状況にある

Youtubeで面白い動画を見ました。

それは小学生の国語で学ぶ「ごんぎつね」の描写を読み取れないという話でした。

ごんぎつねはいたずら好きのごんと言うきつねがいつもいたずらをしていました。

ある日兵十と言う若者が釣った魚をいたずらで逃がしてしまうのですが、後日兵十のお母さんの葬式を見たごんはあの魚は病気の母へ食べさせるものだったのだと気付き反省してその後栗などを兵十の家へ持ってくると言う話です。

その話の中で兵十の母の葬儀が自宅で行われる場面で、近所の女性達が大きな鍋でぐつぐつと何かを煮ています、と言う描写があ知ました。

一体女性達は大きな鍋で何を煮ているのでしょうか?と言う質問に「兵十の母の死体を消毒している」「死体を溶かしている」などの意見が出たそうです。

しかもそういう子が居たという話ではなく、班で4~5人で話し合い、結論として出てきた意見だったのです。

問題をちゃんと読むとか、気持ちを読み取るとか以前の問題だと動画は解説しています。

良ければYoutube で「ごんぎつね読めない」と検索していただければ、すぐに動画は出てきます。

私が一番問題と考えているのは、班で話合い結論が「死体を溶かしている」と決まった事なのです。

どう考えてもおかしい意見だと私は思いますが、何故「死体を溶かしている」と言う意見に周りは納得したのでしょうか?

いくらおかしな考えの子が居ると言っても、それが多数派になっているという事は私の感覚から言ってありません!

では何故なのか?答えは「塾に通う賢いと思われている子の意見だから」と言う結論だと思います。

私は以前から塾の国語教育には大いに疑問を持ち、塾の国語指導を否定してきました。

何故なら国語力は会話で身につくものであり、テキストを解いて身につくものではないと思っていました。

某有名進学塾の当時国語のエース講師と言われる女性と話をした事がありますが、国語指導は「テクニック」を指導しているだけで感受性や言葉の力など塾で付くわけないと断言していました。

教えている内容はこんな感じと5分くらいの説明で「これが全てですよ」と言い切り、こんな内容を1~2年かけて教えていると言っていました。

塾で教える国語と言うのは、問題を解くテクニックであり、正解を探す方法論でしかなく、言葉の力や感受性という物はテキスト指導では絶対身に付きません。

しかし、今当教室が行っている国語部門では言葉の力を育てたり、感受性が豊かになったりと言う一番難しい事に挑戦しています。

子供新聞を使い、雑学を広げ、難しい言葉に興味を持ってもらったり、歴史を題材に議論や推論、時には激論をしたり、国語本来の力が身につくように工夫しています。

国語とは究極は「相手の意図を読み、自分の思考を伝える」と言う事であり、すべての教科に通じる国語力とはまさに「出題者の意図を読み、相手の聞きたいことに自分の意見を解答する」と言う事なのです。

これが出来れば問題が聞きたいことを考え、自分が何を言えばいいのかわかります。

それがそもそも勉強の基本であり、社会へ出て一番重要な力なのです。

しかし、偏差値教育と言う間違った方向で戦後70年勉強を進めてきた日本の教育はいよいよ葬儀の描写で「死体を溶かしている」と言う人間を生み出し始めたのです。

そして彼らはおそらくは塾へ通い、普段算数や理科なので「よく出来る」と思われている子なのです。

その少数派の子供達が「良く正解している」「賢い」と言う評判や思い込みからどう感じるかの正解を捻じ曲げる影響力を持っているのです。

これが実は今の日本の社会の縮図なのです。

専門家と言う名の賢いと誤解されている人間の「答え」をメディアで拡散し、疑問はあれど「正解はコレ」と信じ込んで、いわば「少数の意見で最大の影響」を与える構図が出来ているのです。

私は塾を経営していますが、偏差値教育には大いに反対です!

教育はまず「人間教育」であり、正解間違いを教えるのではなく「判断の仕方」を教えるべきなのです。

そして正解は一つだという思い込みからとんでもない勘違いをする事が多いのです!

柔軟な発想で物事を多方面から見る事が出来る、そしてその考えを上手く人に伝える事が出来る。

そんな思考力と表現力を持った生徒さんをたくさん育てたいと考えています。

そしていつも同じですが簡単ではないのです!簡単なわけがありません。

真の教育とは難しく「答え」などないのです。

とにかくひたすらテストで点数を取れれば良い、これは簡単です。

誰でも分かる簡単な事です、簡単な答えつまりは「インスタントな解答」です。

正解なわけがありません。

国語力は今危機的状況にあります、最も二極化している科目だと言っていいと思います。

もし国語力に不安があるのなら、家での会話を増やして共通の話題を持つことです。

それしかありません。
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学歴は必要か?企業は何故高学歴の人を評価するの?

企業が学歴で採用・不採用を判断する理由を考えた事がありますか?

私から見れば学歴など何の意味もないと感じる世界で生きてきましたが、大企業など規模が大きくなればなるほど「学歴」の意味が分かってきます。

国立大出身や有名私立大学を卒業している事が「仕事」とどう関係するのか?色んな見方がありますが、1つの側面を知っていただきたいのです。

先日教室の講師と話をしている時に結婚相手は大卒かどうか関係あるか?と言う話になり、私はある!と答えました。

厳しい現実を話せば「高卒・中卒」である理由が問題なのだと答えました。

理由は親の経済力なのです、悲しい現実です。

今は大学へ合格する事は難しくありません、もちろん難関大学は相変わらず難しい事は変わりません。

しかし多くの私大はもう定員割れしている大学もあり、廃校・合併の流も止まりません・・・つまり簡単に言うと経済力があれば大学へ進学する事は出来ると言う結論が出てしまいます。

しかし、経済力に問題は無いが「大学進学」をしなかった場合もあるので一概には言えません。

そして何より国立大学へ進学するご家庭のほとんどが裕福なご家庭であると言う現実に目を向けなくてはいけません。

国立大学は学費こそ安いのですが、そこへ入学するまでの「塾費」という名の「投資」は莫大と言って良いと思います。

私が以前話しをした女性が2人の娘さんを国立大へ進学させたと聞き「さすがですね~」と言うと、「ビル一本無くなったで~」とおっしゃっていました。

ウソだろ?と思いましたが、娘の大学受験の時に「納得!」となりました。

つまり、国立大学へ進学していると言う事は「親の経済力」の証明でもあると言う事なのです。

そして経済力=信用なのです。

私が大学卒業後最初に就職した会社は金融でしたが「親を保証人」として担保されましたが、当たり前だと思います。

状況によっては現金を一億円を預かって会社へ帰る場合もあります、その場合「この現金持って飛ぶか?」と頭をよぎります。

親に迷惑をかけられないと言う思いが、もちろん思いとどまらせます。

つまり親の経済力=学歴となっている事は現実なのです、苦学生が進学出来る状態ではありません。

そして何より企業が評価しているのは「たゆまぬ努力」なのです。

親の経済力だけで国立大学や有名私大には入学出来ません、もちろん本人の努力が必要なのです。

勉強は小学校6年間、中学3年間、高校3年間、合計12年間どんな状態でも最低限の努力をし続け、勝負所ではスパートしないと国立大へは入学出来ません。

つまりコツコツ努力が出来る、もう一つ勝負所ではスパート力もある、この2つの力と真面目さの証明でもあるのです。

もちろん環境も重要です、高い塾費を払えば払うほど大学受験は有利だと言えます、しかし本人にその才覚が無ければ実らないのも事実です。

つまり有名国立大学を卒業していると言う事は親に経済力と信用がり、本人も長い年月たゆまぬ努力が出来る「真面目さ」の証だと言う事なのです。

企業がその青年に高い評価を与える事に私は疑問はありません。

私が生きてきた世界は自営業や職人と言われる世界なので、親の信用も本人の真面目さも評価されない「実力勝負」の世界、もっと言うなら「やった者勝ち」の世界なので実感する事は有りませんでした。

元大手企業の人事部の方に話を聞き納得しました。

大手は教育のシステムもビジネスのシステムも完成しています、求めるのチームで真面目に役割をこなす真面目さなのです。

しかも長い年月に渡り続けられる「忍耐力」を持っていると言う証明なのです。

大手人事部の方が面白い話をされていたのが「短期間で記録的結果を出すのは私大出身者、10年~20年の平均を取ると圧倒的に国公立大出身者だ」と言っていました。

国立大学へ進学するには、真面目な努力を長い期間しなければ行けません、これは評価に値する事だと私は思います。

ただ私は「偏差値教育」にも疑問を感じています。

多くの高学歴の人間が抱える「闇」も知っています。

高学歴の「闇」、親の経済力は解決できる問題なのです!

親の経済力が無くても国立大へ入学する方法はあります!これは一部の塾が実行し始めています、もちろん当教室もそのための基礎を作る方法を作り出しました。

しかし一番の問題は本人の人間性なのです!

どれだけ素晴らしいノウハウや環境があっても、本人に問題があれば事は成り立ちません。

しかも勉強だけに捧げた学生生活では意味がないとも私は思っています、部活動や友達との思い出、時には挫折や挑戦を繰り返しその中で勉強も最低限やり続けた上で「スパート力」で受験に勝ちきる。

そのために必要な事は「人間性」、分かりやすく言うと好き嫌いが激しくない、素直さ、そして好かれる性格という事なのです。

この人間性を教育せず偏差値教育で受験を乗り切るにはもう限界です・・・問題が難しくなりすぎました。

まっとうな人間性を持って勉強を知れば「偏差値教育」には負けません!簡単に受験を乗り切れます。

しかし人間性を無視して勉強に焦点を当てて教育すると「受験」はとてつもなく難しいものへと変化します。

これは残念すぎるデーターですが、国公立大の生徒さんほど「人間性」は高いと私も痛感しています。

国公立大へ進学すると「人間性が高くなる」のか、「人間性が高い人間が合格しているのか」答えはすでに出ています!

幼少期から偏差値教育を必死に頑張り、中高一貫の有名私立へ進学、その後国立大学へ進学した「ニート」が少なからず存在します。

それが答えだと私は思います、国公立大学へ合格する事自体に意味はありません、どのような経緯で入学したのか?これが問題なのです。

そのプロセスを含めて企業が「評価」を下すのは当然だと私は考えてしまいます。
プロフィール

KAZ・FUJITA

Author:KAZ・FUJITA
学習教室を運営して約20年、教育の仕事に関わりすでに約30年。日本の教育は間違っていると感じ正しい教育とは何かを考え続けここまで来ました。私自身の経験から「社会で活躍出来る人間とは何か?賢いとはどう言うことか?世界の教育の今、何を求めているのか?そんな事を考え子供達の指導をしています。私の考えをココに書いておきます。私はウソは大嫌いです、何でも本音で書きますので気分を害される方は読まないで下さい。
尊敬する人物は「坂本龍馬」と「諸葛亮孔明」
座右の銘は「因果応報」
教師とは職業ではなく生き様である、が信条です。

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