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家庭教育が一番の教育なのです

夏期講習は今年も無事に終了、トラブルが無かった訳ではないが大きな事故やトラブルは無かったのでほっとしている。

夏期講習が終われば受験モード全開、中学受験があり、芦屋国際、私立高校、推薦、公立高校と受験ラッシュとなります。

私は受験指導をしていて「家庭教育」の大切さをいつも痛感します。

伸びる子は驚くほど伸びていきますし、成長しない子は本当にゆっくりとしか伸びていきません・・・

一体何が原因なのか?これは家庭教育です。

私は勉強だけを頑張って受験に合格すると言う方法は良くないと思っています。

むしろ、部活も頑張って適度に遊び、頑張れない時期も経験した方が社会に出てから大きな成果を上げてくれると確信しています。

私が社会で見てきた「勉強しか出来ない使えない人」は遊んでいないと言う特徴を持ち、考えが固く、責任転換が好きで、失敗を恐れてゆっくりとしか何事も出来ず、瞬発力がありません。

その上理屈っぽく、人を不快にさせる言動が多いのが特徴です。

勉強や学校生活は「良い社会人」になる為にあると私は思っていますし、勉強が出来るが他には出来ないというのは失敗だと認識しています。

社会へ出て究極は「可愛がってもらえる性格」をしていれば何とか成ると私は考えています。

私は自分で可愛い人間とは思いませんが、多くの先輩方に助けられた事も事実です。

良く私は言うのですが、私が大学を卒業し最初に勤めた金融の会社で最初の上司には本当に感謝していますし、今でもその方の教えは守っています。

学生時代にお世話になった先生方にも本当に感謝しています。

気に止めてもらい、諦めず注意し続けてくれた先生方への恩は私が生徒を諦めず指導する事だと思っています。

いつも思うのですが、生徒を注意せず、叱りもせず、何でも許し「辞めないこと」を一番に指導してればもっと簡単に生徒さんは増え、お金も稼げるのだと分かっています。

しかし、それでは長くは続かないとも思っていますし、私がそんな塾を経営する必要も無いと思っています。

だから勉強など出来なくても私は良いと思っていますし、賢く無くても良いと思っています、困ったときに助けてやろうと思ってもらえる性格であれば大丈夫だと思います。

しかし、いい加減な人間は悪い人間に利用されます、彼らは甘い誘いで楽な道に見せかけ「地獄」へ誘導します。

私も高校の時に幾度となく「地獄」への誘いを受けました。

しかしその誘いに乗らなかったのは「家庭教育」だと私は思います。

私の父は会社を潰し、多額の借金をして一家離散の自体を招きました・・・しかし、卑怯なこと、汚い事は絶対しない人でした。

私はその父の背中を見てきたので悪の誘いは断れたのだと思います。

福沢諭吉さんの言葉で「一家は習慣の学校なり、父母は習慣の教師なり。しかしこの習慣の学校は、教育の学校よりもさらに有力にして実行を奏する。」という言葉があります。

塾は家庭教育がしっかりしている生徒さんは全員伸ばす事が出来ます。

家庭教育がいい加減であれば伸ばす事は出来ない、そう考えています。

当教室も同じですが、当教室は「ご両親が諦めず、ご協力いただけるなら伸ばして見せる」と断言しています。

しかし、ご家庭の協力が無ければやはり伸ばして行くのは難しいと思います。

では家庭教育で大切な事は何なのか?当たり前の事を当たり前に行うと言う事です。

私の父は会社を潰しましたが、責任は自分が取ると借金取りが押し寄せる自宅に1人残り、債務整理を行いました。

だから私にとって失敗をして責任逃れをするとか、逃げると言う選択は「卑怯者のやる事だ」と強く記憶しました。

それは父が言葉では無く「背中」で教えてくれた事なので、私は一生守り貫く事だと決めています。

そして私の母も口癖で「あやまって済むことはいくらしても良い」と言っていました。

だから警察のご厄介になったときも、高校を退学担ったときも一言の嫌味も小言も言いませんでした。

しかし親の財布からお金を盗んだ時は血まみれになるまでおぼんでしばかれました。

私の行動に嫌味の1つも言わなかった母に「大学に行ってくれ」と涙を流された時に「嫌」とは言えませんでした。

母は私に教育の大切さや、勉強の必要性など何も言いませんでした、ただ自分の望みとして大学へ行ってくれ、嫌ならすぐ辞めて構わないと言ったのです。

今は感謝の気持ちでいっぱいです、私が大学へ行っていなければどうなっていたか?想像するだけで恐ろしいのです。

私の両親は私が高校受験のタイミングで会社を倒産させ、一家離散にした挙げ句、私は親戚の家に預けられました。

それは結果であって一度も私を説得したりはしませんでした、いつも行動で手本を示してくれました。

先日両親にあって、年老いた両親を見て考える所があり、今の受験生を見て考える所があります。

今の教育は「子供の意思を尊重する」と言っていますが、子供達はまだ未熟で環境に大きく左右されます。

だからこそ何が正しいのかを教えるのでは無く、行動で見せてあげて欲しいのです。

そして私は親の方が子供よりも「色々知っている」という事実は認めますが、「親の方が正しい」とは思っていません。

私は自分の教育理論が正しいと確信したのは「息子の野球」でしたし、息子が証明してくれたと思っています。

娘も同じです「教えない」という事で賢くなると娘が証明してくれましたし、賢ければ勉強は「やらずとも出来る」と証明してくれました。

私は運動音痴でしたし、勉強を地道に頑張る事はとても苦手でした。

子供達は違いました、息子は地道に練習が出来る子でしたし、娘は私に性格が似ているにもかかわらず「真面目」に育ってくれました。

子供は親の言うことは聞いていませんが、行動は良く見ています。

私は「家庭教育の正解」はそこにあると思っています。

私は両親に背中で教育を受けたのだと最近分かりました、もちろん嫌な所もです。

だから私も必死で頑張ったつもりですが、子供達に自分の嫌な所も苦手な所もきっちり受継がれているのは悲しい限りです。

多くの受験生が苦しむ自分の弱点は実はご両親の弱点でひょっとすると学生時代から解決したかった「弱点」かも知れません。
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賢くなる事が一番重要だと思います

今、夕方に再放送中の「白い巨塔」というドラマをご存じですか?

財前と言う医者の物語で、大学病院の闇を書いた大昔の小説をドラマ化して、さらにリメイクされ再放送されているドラマです。

このドラマを見て是非道徳の授業をして欲しいと私は思っています。

当教室では歴史授業を実験的に行い、歴史の分岐点で議論をする事を国語の授業で行っております。

その中で気になるのが授業を始めた当初、「戦うくらいなら相手に従う」「どんな理由がるにせよ、争いはダメ」「戦・戦争は絶対ダメ」など、正義感いっぱいの意見が出ておりました。

しかし4ヶ月ほど経過した今では「ただ侵略される位くらいなら戦う」とか「どうせ乗っ取られるなら戦って乗っ取られる」とか、戦うと言う選択肢を選ぶ子も出てきているのが面白いな~と思っています。

私は偏差値教育は「答え」を受け入れさせるものであり、良くない教育だと考えています。

争い=ダメ、もめない=○、と言った短絡的な答えを選択し「大局」が見えない日本人が増えている事に危機感を感じております。

ただ戦う事を推奨してるのではなく、大局を見て「より良い選択を未来の為にする」という考え方を今の日本は教育出来ておりません。

それは簡単に答えを受け入れ、しかも後に検証しないと言う恐ろしい考え方を「偏差値教育」が後押ししています。

私は今回「白い巨塔」というドラマで皆さんに考えて欲しいのは「里見」という江口洋介さん演じる内科医の行動なのです。

私は一番の「問題児」が里見という内科医であり、財前という外科医がそれほど悪い人間には見えないのです。

長いドラマなのでなかなか内容を書けませんが、里見という内科医の行動が正しいと感じるのは私はおかしいと思っています。

そして財前という外科医にももちろん落ち度はありますが、基本的に話をこじらせているのは里見という内科医だと考えています。

「正義感」という正解を追い求め、大局が見れない今の教育に私は本当に危機感を感じています。

実は今、歴史教育では「小野妹子」という遣隋使について学んでいる所で、彼は随の皇帝から日本の天皇に手紙を渡せと言われますが内容が良くないのです。

日本を侮辱し、脅迫するような手紙だったらしくこの手紙を渡せば、日本は随の属国になるか随と戦争するかの選択を迫られると言う内容の手紙だったのです。

この手紙を小野妹子は無くしたとウソをつき、日本の危機を救い、その事を知った聖徳太子も褒め称えました。

この選択を今の官僚や日本の大人に出来るのか?と考えました。

恐らく無理でしょう。

しかし当教室が歴史教育を通じてみんなに学んで欲しいのは「安易な正義感」でl答えを出すのではなく、大局を見て判断すると言う事がみんなが出来ないと日本の未来は危ういと言う事なのです。

日本が日本として長い歴史を持つのは、こうした大局を見て時にルールを破り、必要なウソをつき、自己責任で処理をすると言う気概が重要だと気付いて欲しいのです。

今回再放送されている白い巨塔の里見と言う内科医が完全に間違っているのでは無く、大局が見えていないと言う話なのです。

彼は自分の正義感を満たすために、長年心血を注いできた研究を捨て、信じている患者を放り出し、的確な診断能力を活かす場所まで失ったのです。

大学病院の信用を失墜させ、患者の多くを不安に陥れ、誰が一体良い思いが出来たのか?

そんな事を考えもせず、言わば自己満足のために行動したと言わざるを得ません。

同じ現象が教育でも政治でもビジネスでも起きていて、皆「感情論」や「正義感」で判断をして「大局」を見ていないのです。

その結果が日本の30年にも渡る不況と低位賃金と物価高なのです。

日本人自身が大局を見られるようになり、1人1人が賢い選択を出来ないとこの状況はなかなか改善しません。

だからこそカギを握るのは教育であると私は考えています。

イオンでイベントに参加、もやもやした・・・・

昨日は昆陽イオンにてアミカルさんが主宰される職業体験イベントに参加させていただき、一日イオンで頑張りました。

当教室は「英語の先生体験」と言う事で、お子さんに答えを渡し、親御さんに指導してもらう体験をしてもらいました。

可愛いお子さんがいっぱい来てくれて、楽しんでくれたように感じまいたが相変わらず文美先生の「子供の扱いの上手さ」には感心します。

私は元々金融やネットワークビジネスなど「儲かる」と言われる仕事が大好きで、人の3倍仕事しても人より1.5倍ほしいと考えるタイプでお金儲けが大好きです。

だからこそ「塾」や「英会話教室」の経営に何の興味もなく、奥さんがやっているから勝手にすればいいと思っていました。

そして、色々あって算数・数学を手伝うようになりましたが、塾とか英会話と言う業界で「生き残る」根拠が見えず、その気にはなれませんでした。

ところがある日、子供会でボードゲーム大会をしてほしいとの依頼を受け、初めて奥さんと子供が触れ合う姿を見て驚きました。

その当時私は少年野球に関わり、多くの大人が子供に接する所を見てきましたが「下手!」と思う大人ばかりで「子供達が可愛そう・・・」と思ってみていました。

奥さんの子供の接し方を見てまさに「天才」だと思いましたし、これならこの業界で生き残れる!と確信しました。

そして昨日数十年ぶりに奥さんの凄さを目の当たりにして「ん~天才は違う」と改めて感じました。

それと同時に「大人の子供への接し方」にも大いに驚きました。

先生体験で親御さんは生徒だと言っているのに、誘導尋問・あからさまな質問・指示・教え込み・・・もう酷かった。

そら子供は勉強嫌いになるわ・・・と痛感しました。

私は「桃太郎電鉄」と言うゲームが大好きで、こんなに面白いゲームはないと思っています。

息子も娘も大好きで昔よくやりました。

ただ奥さんはゲームを全くしない人なので、4人でやるときに私も息子も娘も奥さんが負けないように細かくアドバイスをしました。

結果奥さんは「面白くない」と言って二度とやりませんでした。

あの桃太郎電鉄でも「教え込まれると面白くない」と言う事を痛感しました。

ましてや勉強など教え込まれて面白いはずがありません!

自分で考え、やってみて失敗して上手くなっていく事が楽しいのであって、誰かの指示通りにやって上手くいっても楽しくはないのです。

しかし、勉強に関しては教え込み、前倒しで学ばせ、間違いを指摘して、決まった事を苦行と修行のイメージで頑張らせる・・・

もうやめませんか?勉強教え込むの。

好きにさせませんか?当教室ではまず自由に考えさせ、間違えればどこが違うのかを気付かせる、と言う指導をしています。

最初から正解ばかりにガンガン誘導されても面白味はないのです。

しかし何故か皆さん教え込んで正解へ誘導するのです・・・そしてある日「子供が勉強しないんです」と悩むんです。

当たり前の話です!

勉強もゲームもスポーツもすべて「面白い」と感じる事が入口で、そこから上達するかどうかは本人の努力なのです。

息子は地元の学童野球に2年生の終わりに入団しました。

そのチームは有名プロ野球選手を出したと当時話題にもなっていて、野球は素人の私は深く考えずに預けました。

そしてそのチームの長老のような監督さんの口癖は「長く野球をやるには投げ方、打ち方をしっかり教えないとダメ」でした。

型にはまった指導を小学生に教え込むスタイルは私には良いとは思えなかったのですが、とにかく指導者が言うんだから間違いなかろうと思い息子にも野球を頑張らせました。

そのチームはことあるごとに選手を集合させ「あの場合はこうしないとダメ」「この時はコレが正解」ととにかく教え込んでいました。

平日にも練習があり、息子は平日練習など参加しませんでしたが、みんなまじめに来ていました。

そして4年生の終わりに息子は硬式チームに移籍、その後は何度も書きましたが日本一にもなり最高の思い出を作りました。

そして息子も高校へ進学し、地元の公立高校で野球を続けましたが「長く野球をやるために・・・」と言っていた学童野球の選手たちがほとんど高校で野球をしてないという事実に驚愕でした・・・

長く野球どころか、中学ですでに野球をしていない選手もいて「なんやってん!」と心から思いました。

その時に思い出したのが、後に移籍した硬式チームの指導法だったのです。

何も言わず、監督が良くないと思ったプレーをしたときはグランドから出され、休憩時間に選手たちが話し合い、何がダメだったのか考えさせるというものでした。

投げ方、打ち方にも細かい事を言われたことなど一度もなく、とにかく楽しい練習が多いチームでした。

結果、硬式チームで息子の同級生だった選手たちと高校でも多く対戦し、高校で野球を続けていない子は一人もおらず上手い下手は別にしてみんな野球を高校でも続けていました。

その事からも分かるように「教え込む」と言う事は決していいことではないと私は思います。

その長老監督が育てたというプロ選手は超が付くほどの一流選手でしたが、多くの選手が野球を辞めている事実を見るとやはり自由にプレーさせる事が一番なのだと感じました。

勉強も同じです、苦労させたくないとか、勉強が苦手にしたくないとか、周りに後れを取らせたくないとか、そんな理由で正解を教え込み「嫌い」にしてしまっているのです。

今回イオンで出会った多くの親子がに「あ~この子将来勉強嫌いになるな・・・」と思った子が多くいました。

しかし、イベントで出会っただけのご家庭にそんなことも言えず、何かもやもやした一日でした。

皆さん子供を信じてください、そして信じて任せない!これが重要です。

出来る、やると信じてあげるんです、自由にさせるんです、その上でちゃんと「確認」するんです。

それが出来れば勝手に賢く強い子に成長します。

先回りして、教え込んでもちょっと知識が増えるだけで賢くはなりませんよ。

私は神仏を信じています

先日数年ぶりに両親に会ってきました。

いつも子供達の誕生日には美味しい食べ物とお小遣いを送ってくれて、そのお礼の電話は毎回していますが会って話すのは本当に久しぶりでした。

息子と娘も一緒に行き、私の昔話を聞いて笑い転げていました。

特に塾をサボるために回数券を捨てていた話、小学校にランドセルを忘れた話、父の財布から盗んだお金を隠して貯めていた話など、色々と母が話してくれて「変わった子供やな~」と2人とも感心していました。

今回両親に会ったのは、ある神社へ参拝に行くついでだったのですが、なかなか楽しい時間を過ごせました。

私は帰りの車の中で「よく社会に出て仕事が出来ているな・・・」と不思議に思いました。

高校では定時制高校へ進学し、本当にひどい環境で「盗難行為」「薬物」「反社会勢力へ加入」など驚くような行動をする人間がたくさん居ました。

その中で自分は極悪と言われる行為には一切関わらず、当然ですが薬物に手を出したこともありません。

窃盗行為にも荷担しませんでした。

一見当たり前の様に感じるかも知れませんが、定時制高校という環境では「当たり前」と勘違いしてしまいますし、私が居た環境では一緒にやらないと言う選択は意識しないと出来ないものでした。

とにかく何でも「やってみないと分からない」と考えている私は一線を越えない事が今振り返ると不思議でした。

そして答えが出たのです、何故私が最後の最後で一線を越えなかったのか?

私は幼少期から「神仏」の存在を感じて生きてきたからです。

悪い行いをすれば必ず「天罰」が下ると信じていましたし、神の存在を否定する話を聞いても「俺は信じている」と思っていました。

今のおかしな事件も私と似たような人間が一線を越えたのかも知れない・・・と思うことがあります。

しかし、自分が本当の悪に手を染めない理由は恐らく「天罰」を恐れているのだと、今年初めて気付きました。

そしてその悪の行為と「ルールを破る」という事は全く別だと考えています。

悪意を持って人を傷つける、自己の利益のため人の物を取る、こそこそ裏で動き人を貶める。

そういう行為をしなかったのは「悪意を持った行為に必ず天罰は下る」と幼少期に強く教育された結果だと私は思います。

今は「科学」や「数字」を信じすぎて、目に見えないものを信じない傾向が強いように感じます。

もちろん私も根拠の無い事は信用しませんし、怪しい話には根拠を求めます。

しかし、神仏は別です、信じていた方が人生が良くなると思っているから信じているのです。

バレないから良いだろう、誰も見ていないからバレないとか、平気で嘘つきとぼける人間などに成りたくないと言う思いがとても強いのです。

真面目に正直に生きる事は辛い事もあれば、面倒くさい事もあります。

しかし、私は絶対正直に真っ直ぐ生きると決めています、何故なら何か不幸があったときに「原因」をそこに求めてしまうからです。

今、一番大切なものは「家族」です。

その家族に何かあれば私の悪行が原因か・・・と後悔したくない、その一点なのです。

幸い家族に大きな不幸はありませんし、本当に恵まれていると感じています。

子供達にもよく言う事ですが、我々夫婦は運が良いと心から思っていますが、もし原因があるとすれば夫婦共に「異性関係が綺麗」という事だと思います。

私は自慢ではありませんが、振られた事は多いのですが振ったことはありません。

奥さんも同じです、ですから若い時はなかなか辛い事でしたが、今思えば良いことだったと感じています。

因果応報、輪廻転生・・・色々と言われておりますが、私は教育という観点から言うと「神仏の存在」は信じていた方が良いと思います。

だからこそ、人は臆病になりますし、最後の一線を越えない選択が出来るのだと思います。

論理や科学、根拠や数字。

とても大事かも知れません、しかし結局の所「信念」「良心」「正義」を持ち合わせていないと、道を外す可能性が高くなる。

そんな事を考えた両親との会話でした。
プロフィール

KAZ・FUJITA

Author:KAZ・FUJITA
学習教室を運営して約20年、教育の仕事に関わりすでに約30年。日本の教育は間違っていると感じ正しい教育とは何かを考え続けここまで来ました。私自身の経験から「社会で活躍出来る人間とは何か?賢いとはどう言うことか?世界の教育の今、何を求めているのか?そんな事を考え子供達の指導をしています。私の考えをココに書いておきます。私はウソは大嫌いです、何でも本音で書きますので気分を害される方は読まないで下さい。
尊敬する人物は「坂本龍馬」と「諸葛亮孔明」
座右の銘は「因果応報」
教師とは職業ではなく生き様である、が信条です。

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