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トンビが鷹を生むのか?

私は色んな法則について話をすることがあります、例えば「コカ・コーラの法則」

これは日本で一番売れている清涼飲料水は「コカ・コーラ・ボトラーズ」の清涼飲料水なのですが、何故日本で一番売れているのでしょうか?

一番美味しい?違います、一番安い?いいえそんな事はありません、一番体にいい?絶対違います、答えは自動販売機の数が日本一だからです。

つまりコカ・コーラは販売力がNo.1というだけで、正直そんなに美味しくも安くもないという事実があるのです。

後はお金の価値を正しく理解できる「ディズニーランドの法則」や、勉強を効率よくする「素振りの法則」、勉強の仕組みがよくわかる「ダイエットの法則」などがありますが成功例と失敗例を分析し「一定の法則を見つける」という事なのです。

今回皆さんにお伝えしたいのは「トンビが鷹を生む」法則なのです。

よく「トンビが鷹を生むのか?」という議論がなされますが、頻繁にあります。

日本においては教育が間違っているので、はっきり言って大人よりも子供のほうが賢いと思いますので、そこら中のトンビが鷹を生んでいます。

しかし、せっかく生まれた鷹も「鷹として成長しない」という現実があります。

何故なら、せっかく生まれた鷹をトンビが育てるので「トンビのような鷹」に成長し、「カエルの子はカエルか・・・」ととんちんかんな結論を出します。

結論から言うと「トンビが鷹を生むけれど、トンビが育てるので鷹になれない」が正しいのです。

これは何を言っているかというと、正しい成長をするにはレベルによって育成法が違うという事なのです。

勉強で言うと0~50点までの勉強法と、50点から70点の勉強法と、70~80・80~90、90~100点の勉強法は全く違うという事なのです。

そして多くの保護者の方が知っている勉強法は50点~70点へ上げる勉強法なのです。

ココが一番簡単で「量をやる」という一点なので、誰でも育成可能と言えると思います。

ある程度の基礎が出来ていないと50点くらいも取れないので、基礎の理解はおよそ出来ている、しかし70点にと到達していないというのは「解くスピード」か「記憶のあいまいさ」が問題なので、練習量でどうにでもなります。

問題は50点に到達してない生徒さんの勉強法ですが、50点くらいに到達しても、簡単に言うと何も効果がないというか、その上70点・80点までいかないと本人が「やったぜ!」とは思えないので、完全に通過点です。

しかし、基礎理解に問題があるため時間がかかる上に、なかなか上がってきません。

50点に到達していない生徒さんで、ちゃんと勉強したいと思うなら「専門家」に指導してもらわないと中学生は相当難しいと思います。

0点~50点の生徒さんの育成法も正直、問題がないというか専門家にお願いするの一択なので悩むこともありません。

問題は70点~90点の勉強法なのです!ここに一番の問題があるんです!トンビの法則の極意はココにあるのです。

スポーツも勉強も同じで平均的なレベルには「練習量」で到達できるのです、これは普通の大人なら誰でも知っていると思います。

しかし平均以上に成長する、上達・到達するためには「練習量では無理」だと知っているか?なのです。

昔、息子が野球をしている時に才能のみで野球をしてきたT君という選手が居て、小学校の時には天才だのなんだのもてはやされまともに練習もしてこなかったそうです。

しかし、硬式野球で日本一になった息子のチームから5人も入団したチームで4番を約束されていたT君は7番を打つことになり、練習をやりだしたそうです。

そして息子に「一日何回素振りしているか・」と質問してきたので、息子は「500回」と答えると、「絶対に嘘だ!二万回は振っているな!」と言ったそうです。

息子は不思議そうな顔をして帰ってきたので、T君の思考を解説してあげました。

彼は自分が素振りをまともにした事がなかったので、練習すればするほど上手くなると本気で勘違いしている、自分の実力と練習量と考え彼なりに計算したのだと伝えると「なるほど!」と言ってました。

ちなみにT君はチームから推薦をもらい入学した静岡県の強豪校を1年生の夏に逃げて中退、近くの王将でバイトしているのを見たときに「やはりそうなったか・・・」と思いました。

つまり彼は才能だけで狭い世界でちやほやされ、自分よりも高いレベルの選手を見て初めて努力を始めましたが平均的な実力をつける方法しか知らず、その豊かな才能を開花する事は出来ませんでした。

これは本当によくある話で、よく勉強が出来ていた子が出来なくなって普通になる…この理由は2つしかありません。

一つはそもそも「前倒し教育」で人より早い準備でリードしていただけ、もう一つは努力の方法を間違えている。

この二点だけなのです。

練習量で人よりも少しだけ優れた結果を出す事は可能ですが、とびぬけた結果を出すことは難しいのです。

私はズバリ多くの学習教室や進学塾がここを勘違いしていると警鐘を鳴らしています。

まず大前提努力は必要です、しかしある程度の努力をすれば平均的な力は身に付きますが、その上のステージに行くには「その道を知る人間の指導が絶対必要」なのです。

多くの保護者の方々が「地道な努力」で平均的な力を身につける、いわば「成功体験」をしているので子供達にも「成功例」として指導します。

その事に間違いはないのですが、問題なのは「その平均的な結果を出すノウハウ」でトップレベルに挑ませることなのです!

これがトンビの教育なのです!

きつい言い方かもしれませんが事実です!

勉強で考えるから分かりにくいのですが、野球で考えると簡単です!

練習を一杯やればプロ野球選手になれますか?甲子園に出場できますか?無理なんです。

その世界に行こうと思えば努力が必要ですが、平均的な力を身につける努力とは別の努力がいるんです。

その世界を知っている人間にアドバイスをもらう事、その世界を知っている人間の「考え方」を学ぶことがとても重要なのです。

しかし多くの保護者の方々が平均的な努力法でもっと上へ挑戦しろ!もっと上を目指せと挑戦させ、もちろん平均的な結果しか出ないので負け癖が付き逆に平均以下の結果になることが多いのです。

一番言いたいのは90点~100点へ上げていく勉強法は100%無駄な行為なのです。

当教室では90点以上いらないと教えています、だからこそ100点を取る生徒さんが多いのです。

これは矛盾して聞こえるかもしれませんが、100点にこだわることで重箱の隅をつつくような無駄な勉強をたくさんする事になり、勉強の嫌な面と真正面から向き合う事になり「逆効果」なのです。

私も息子の野球人生で一番間違ったと思うアドバイスが小学校の時には各大会で打率10割に挑戦させた事です。

今思えば打率は6割程度あればすごいし、10割打つという事を課した事で思い切りのよいスイングだ出来ず本塁打数が相当減ったと今は分かります・・・反省しております。

しかし、勉強の世界で同じような事をしている保護者の方をたくさん見ます。

そして私の野球指導も同じですが「上手くいっている時」は人のアドバイスは聞けないものなのです。

お子さんがちゃんと努力をして人並以上の力を身につけたなら、決断しないとダメなんです!

平均的な力を保ち学生生活を楽しんでほしいと考えるのか、上のレベルに挑戦してほしいから「必要なノウハウを学ぶ」という選択をするのかです。

今までと同じ努力を量を増やして上のレベルに挑戦させるのは辞めてあげてください。

お子さんにjは「勝てるプラン」で勝負させてあげるという事が基本になり、勝てるかどうか分からない勝負にお子さんを巻き込まないでほしいのです。

何故なら、子供達はご両親の事を絶対に信用しています。

だからあなた方が提案する挑戦に全力で挑みます、そして敗北すれば心は折れるのです・・・それを繰り返せば負け癖が付き、自分に自信を失い、自分の未来を信じられなくなります。

可哀そうなのは、努力をして挑戦してダメだったという経験をして負け癖が付き自分を信じられなくなったという事です、何もさぼって逃げて楽してダメになったのではないのです・・・信じて努力した結果なのです。

私は無謀な挑戦も大好きですが、あくまで「逆転の芽」がある事が大前提で「勝てるプラン」がなければ絶対しません。

子供にはその判断が出来ません。

以前指導していた子でスポーツで負けまくり、勝つことなど無いのにずっと続けていて、受験でも無理だと散々お話したのに子供を信じると言い挑戦しダメだった生徒さんがいます。

彼の将来が不安でたまりません・・・彼は今自分を全く信用できない状態だと思います。

平均的な力を身につけるノウハウで上のレベルに挑戦するのは本当に危険な賭けです、ぜひ考え直してください。

スポーツも勉強も上達して成績が伸びてくれば楽しいものです、しかし努力しても結果が伴わなければつらい経験をします。

それが自分の決断と判断なら「経験」として残り、分析をして勝てる力が身に付きますが人に与えられた事、特に自分が信じている人からの提案であればなおさらです。

お子さんが頑張らない・・・これは悩みとして一番多いと思いますが、その前に負け癖がついてませんか?検証してみてください。

せっかく生まれた素晴らしい才能を開花させるためには、重要なのは環境と考え方です。
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原因が分からなければ改善は出来ない

この時期は新規の御入会を頑張らないといけない時期なのですが、受験の追い込み時期でもあり、確定申告の時期でもあります。

新規入会の時期に必ず話題になるのが「学習障害と言われる特性」や「学力に対する不安」などがあります。

当教室にはもちろん優秀な生徒さんからの問い合わせもいただきますが、優秀な生徒さんの問題点は一点だけです。

それは「プリント学習をやり過ぎて想像力や思考力が無くなっている」という事です。

しかし、優秀な子は宿題や課題を真面目になので修正が早く、対応策は簡単です。

問題は出来ない子、しかも「学習障害という特性」を信じ込んでいるご家庭です。

私は前々から提唱していますが、勉強はやれば誰でも出来ると言う大原則に従ってお子さんを導かなければ、間違った選択をしてしまします。

批判を覚悟で書けば「この子勉強しているんですが、成績が・・・」とおっしゃるご家庭には問題は2点しかありません。

やり方が分からないとおっしゃる保護者の方も居ますが、指導させてもらうと「やっていない」という現実しか見えてこないです。

もう一つは出来る事をやらしていないと言う現実です。

やる事をやっていないというのは2つです。

1つは問題を読まない、自分で分かる事を面倒くさいと言う理由でやっていない、問題集を開いているだけで「答えやヒントを教えてもらうのを待っているだけ」という現象です。

これには声かけや指導のコツだけですぐに改善する事が出来るので、大きな問題ではありません。

問題はもう一つの出来る事をやらしていないという現象です、それは「学習障害・発達障害」という言葉にとらわれ何もかも出来ないという風に捉え「能力が止まっている」状態です。

確かに学習障害とか発達障害と言われる現象はあります、しかしその多くが指導次第で改善しますし、どうにでもなります。

しかし学習障害・発達障害という言葉にとらわれ、能力の成長を止めてしまうと本当に色んな事が出来なくなってしまうのです。

ここでハッキリ言っておきますが、当教室は学習障害という存在を知ってはいますが、考慮はしません。

そして特性に合わせた指導はしますが、出来る事は自分でさせると言う基本方針は変えません。

何故なら、学習障害・発達障害などとネーミングしてラベリングしても、社会に出れば何も保証がないからです。

つまり学生時代に手厚いフォローを受けても、結局は社会へ放り出され、ご家族が手厚いフォローを続ける事になります。

私は社会が生活保障やセーフティーネットを作ってくれるなら、学生時代を手厚くフォローし、卒業させる事も考えます。

しかし、社会へ出たとたん出来ない人間に対する冷たい対応が待っており、企業とは「利益」を出す事を目的としており、自分がもらう給料以上の利益を作り出せないと企業には居続けられないのです。

それを考えれば「一定の社会性」を身に付けなければ、せっかく生まれつき身に付けた才能を社会で活かす事だ出来ません。

それを考えれば、いくら特性の強い子でもある程度能力を向上するために言わば学生時代に「努力」する事が求められます。

しかし、盲目の人に読めと言ってもそれは絶対に出来ないので「ある程度の知識」を持っていない事が問題視されている事は分ります。

しかし、多くの学習障害の研究をしてきた専門家は「知って欲しい」と考えていただけで、別に多くの生徒さんにラベリングをして、何もかも手伝ってあげて欲しいと思ってはいません。

しかし、学習障害と言う都合の良い分類が出来て、出来ない理由を「家庭教育」とは言えない、学校側が都合の良い言い訳として多用しているのが現実です。

私は学習障害という現象を勉強をした時期がありますが、ギフテッドと言われる彼らの才能と社会性などは年齢と共に整って行き、特殊才能も薄れる事がほとんどです。

簡単に言うと、年齢と共にバランスは整って行くのが普通なのです、しかし年齢と共に特性が強くなっていく子が居ます・・・問題はこの子達なのです。

年齢と共に整って行く子達は苦労はしますが、いずれ才能を開花させ社会で活躍すると思います。

年齢と共に特性が強くなる子?このおかしさに気付きますか?

原因は「性格」であり「生活環境」が原因なのです。

人間は楽を求める生き物なので、楽をさせればドンドンひどくなっていきます。

私はあえて厳しい事を言わせてもらいますが、学習障害という現象に苦しむ子達は「真面目」という特徴を持ち、その子達は一生懸命整えようと努力しています。

しかし、環境や性格が原因の子供達はドンドンエスカレートしていき、学校側もラベリングする事で納得しているだけなのです。

年齢と共に特性が強くなる・・・と感じていたら、一度考え方を変えた方が良いかもしれません。

当教室はそう考えています。

挑戦こそが人生であり、挑戦無き人生はつまらない人生

昨日は私立高校の受験結果を誰も報告しに来なかったことに驚きました!

それだけ当教室の生徒さんは公立高校へ的を絞っているという前向きな考え方も出来ますが、信頼関係が無いのかな?とも不安になります。

以前も高校受験を担当した生徒さんで、学校側から絶対無理だと言われた高校へ勝負させたので「結果がすぐに知らせて欲しい」と何回も伝え、朝か得意の算学神社へ祈祷をかけに行き結果を待ちました。

しかし昼になっても夕方になっても連絡は来ず、ダメだったか・・・と一人悩んで居ました。

すると夜になって塾へ現れ「受かってたで~」と満面の笑みを浮かべ来てくれたのですが、こっちが気になっているとは思わなかったのでしょう、非常に呑気な対応にびっくりした事を思い出します。

良く言う事ですが、結果を出し続ける人は周りの人に「上手く行って欲しい」と願ってもらう事が必要だそうです。

受験はもちろん本人の努力が一番であり、ご家族の協力が不可欠です。

しかし、塾もそこそこ頑張ります・・・心配で合格発表はドキドキします。

当教室が各ご家庭で勝手に志望校を決めてもらい、学校の言うとおりに安全な高校を受験している場合は気にもなりません。

しかし、ほとんどの受験生が勝負していますし、当教室が危険な勝負を後押ししている場合が多くとても結果が気になります。

特に塾業界が「不思議だな・・・」と思うのが、受験結果と塾生の数が本当に比例しないのです。

当教室が開業以来、驚異の合格率を維持しているにもかかわらず塾生の数は毎年微増・・・卒業もあるので微減が正しいのかも知れません。

それでも受験結果にこだわるのは「自尊心」しかも根拠のある自尊心を育成するのにどうしても必要だからです。

私は今の学習教室経営も、ネットワークビジネスを始めたときも、金融の会社に入社したときも、いつも周りから「無理」と忠告を受けましたし、ダメだと言われました。

しかし私は何とも思わないのです、何故なら人は否定する方が楽で結果を見て後でころっと意見を変えることを大学受験で経験しているからです。

無理だと周りが言う事をやってのけた事がある人にはみんな共通していますが、不利な状況でも挑戦する事が出来るのです。

それは周りの評価などいい加減で何の根拠もないと知っているからです。

でも仕事で長年勤めたサラリーマンを家族を抱えているのに辞めて、独立で勝負をかける・・・これは勇気が要ります。

しかし、受験はどうでしょうか?失敗したらどうなりますか?何も変わりません。

東進の林先生が言っていましたが受験生は大きく分けて4つに分類されるのです。

頑張って合格した人、頑張って不合格だった人、頑張らずに不合格だった人、頑張らずに合格した人の4種類です。

そして人生どうにもならず一生苦労するのが「頑張らずに合格した人」なんだそうです。

人生何においても努力が出来なくなり、人生が好転する事はほぼないそうです。

私はその理論がよく分かります、私が良く言う事ですが人間は「成功体験」に立ち返るのです。

窮地や岐路に立ったとき、必ず過去の成功例をなぞります。

安全な選択をして、無理をしない進路を選んだ人は必ずその道を選びます。

そうする事でずるずると後退し、諦めと妥協の人生を老年期に悔やむとありとあらゆるデーター、アンケート、調査の結果が示しています。

私が興味深かったのは、人生で最も後悔している事は何ですか?と70才以上死期が近づいた人にアンケートをとると実に90%近い人が「もっと挑戦し、リスクをとるべきだった」と答えたそうです。

人は安全安心を求めますが、その実退屈な選択なのです。

人生は挑戦と行動こそ自分の可能性を証明し、出来なかった事が出来たときに自分の人生の可能性を無限に感じられるのです。

ダメだ、無理だ、難しいと感じる事をやり遂げないと、自分の可能性を信じる事が出来ないのです。

今は個性の尊重とか、無理をさせないという教育の雰囲気が挑戦と行動と避ける選択へ導き、自分の可能性を信じる事が出来ない子供達を大量生産しているのです。

だから前回書いたように「いじめ」が頻発するんです。

誰がどんな結果を出したところで「自分の人生が良くなる」と感じる以上にワクワクする事がありますか?

努力も挑戦も伴わない「楽しさ」など、TVゲームやYouTube、くだらない遊びと同じでしょ?

可能性を感じないのだから、無理はしない出来ない事はしない・・・何が面白いのか?そんな人生!間違っている。

私はサッカーをしました、中学・高校・社会人と出来ない事で悔しい思いもしましたが夢中になれました。

野球もサッカーも音楽も夢中でやる人は壁を破り、出来ない事を克服し自分に可能性を感じ夢中になって突き進みまた壁に当る、その繰り返しを楽しんでいるのです。

今の子が何をしても「無気力」なのは、出来る事しかさせないから「面白くない」のです、壁を突破した経験が無いから「自分に可能性を感じていない」という状態なのです。

それは何故ですか?挑戦と努力を大人が背中で見せないからですよ、その楽しさ必要性を伝える事が出来ないからですよ。

私は生徒さんにそれを伝え、受験と言う誰もが逃げられない登竜門で一緒に戦う事を生業にすると決めたのです。

だからどうか子供達に挑戦させて欲しい!出来ない事を繰り返し挑戦し克服させて欲しい。

その挑戦と努力を見守る事しか大人の役目はないんです。

そして子供が勇気を失いかけたり、挑戦を諦めかけたりしたその時に支えてあげたり、自分の行動で勇気を与えたりするのです。

今はハッキリ言いますが、努力も挑戦も苦労も我慢も何もしていない子供を必死に支えようとするからおかしくなっているんです!

そもそも学生時代にたくさん失敗し、傷つき、挫折しそんな経験をしておかないと社会で活躍出来るわけ無いんです。

そろそろ気付きませんか?

加藤秀視さんの動画を見た事ありますか?

皆さんは加藤秀視さんという人物をご存じでしょか?

人材育成と青少年の更生に人生を懸ける人物で、僕は大好きで昔からTVやYouTubeで拝見しております。

加藤さんはいじめの問題に向き合うため、学校へ入り込み「改革」に乗り出しています。

元々は非行少年達を自分の会社で働かせ、更生させ社会で自立出来る様に尽力されて居ました。

この時にマスコミが取り上げ良くTVで特集されて居ました。

しかし、最近TVで拝見する事も亡くなったな・・・と思っていたら、企業の人材育成や「探求型学習」やいじめの解決に大活躍されていました。

私は非行少年を更生させる加藤さんが大好きで、この人は本物の漢なので声を荒げたり、暴力を使わずとも非行少年達はおとなしくなる言わば「オーラ」をまとった人でした。

今もその雰囲気はそう変わらないのですが、学校や企業相手に「人材育成」の講師をされているのは驚きと感動を得ました。

加藤さんが学校と交渉する動画がたくさんありますので、皆さんもお時間あれば見て下さい。

学校がいかに逃げの一手で「隠蔽」を基本体質にしているか本当によく分かります。

こんな事を言うと「ちゃんとした教師もいるんです!」とお叱りを受けますが、当たり前です。

しかし、教師自身が自浄出来ないと言う現実も受け止め無ければいけません。

これは外国の人にも言えることで、犯罪率や日本に批判的な言動を指摘すると「そうじゃ無い人も居る」と言われますが、問題は自浄出来ていない時点でダメだという自覚がないのです。

学校はもちろん、教育委員会があり、日教組があり、学術会議があり、文部科学省があり、複雑で現場の教師の頑張りでどうにもならない事は知っています。

私の母は元教師ですから・・・しかし加藤さんの取り組む「いじめ」の問題は現場でもっと対応次第でどうにかなるものなのです。

加藤さんはそれを訴え、署名活動をして、学校と交渉までされています。

素晴らしい行いだと思う反面、私の仕事ではないとも考えています。

何故なら、私はいじめの問題は大きく分けて3つの課題があると考えています。

1つは植松努さんの意見で「自分の成長を信じれない人間が他人を叩き、自尊心を保つ」という理論があり、全くその通りだと思います。

だから私は生徒さんに「挑戦・努力」を推奨し、自分の未来に期待するように成って欲しいと思います。

そうする事で「いじめをする」という発想自体がなくなるのです。

妥協と諦めの選択は未来に希望を持てず、いずれ自分より劣る人間を攻撃するという行動へつながります。

無理させないとか、そこそこの結果などという「諦めの選択」がいじめの根底にあると私は考えています。

2つ目は私はいじめの当事者に問題があることは否定しませんが、人間社会いじめはあるのです、ただし命の危険があるような規模に発展させはいけないと思います。

私の大好きなゲームも簡単に言うと弱いものいじめゲームですから、みんな自分より弱い人間を叩くのはストレス発散になりますし、世界はいじめで溢れています。

しかし、問題はいじめの現場に居る「当事者以外の人」に私は以前から問題意識を持っています。

いじめられている子は本当に辛いと思うし、助けてあげたいと思う。

いじめている側には「正義」がある事に気付いて欲しいのです。

私は良く言う事なのですが、いじめている子達は「正義」を持って報復をしている、それがエスカレートしてひどいいじめになると言うケースがほとんどなのです。

私は多少のいじめはしょうが無い、人間世界でなくなることはないと考えていますが、心身ともにボロボロになるまで発展させてはいけない、その役目は当事者達以外の周りの人間の「モラルの問題」だと思っています。

いじめている人間も黙ってそれを見ている人間も私は「同罪」だと思いますし、私の頃はひどいいじめには「不良」が関与してなんとなくひどい事にはならないようにしていたと思います。

3つ目は「強きを挫き、弱気を助ける」という日本人の感覚は無くなったのか?と私は聞きたい!

いつの間に弱気を叩き、強きになびく人間ばかりに成ったのか?本当に悲しいと思います。

仮に何があったとしても間違っている事は間違っていると発言する勇気と行動力を失って欲しくない!これこそが私の言う人間性なのです!

事なかれ主義と規則を守るだけの杓子定規な考え方でいれば、平穏に過ごせるでしょう・・・だから世界はこんなにおかしくなったのです。

ロシアとウクライナ、どちらが悪いかの前に、本気で戦争を止めようとする人は居ない、見て分かりませんか?

マスクが個人の判断に3月13日からなる?元々個人の判断であり、とっくの昔にマスクは意味がないと専門家は言っています。

そもそもコロナ対策でとかした税金3000兆円は必要だったんですか?誰が検証するんです?

事なかれ主義、隠蔽、権力に負ける、規則を杓子定規に守る・・・今の公務員全般の考え方、そして教師の姿、だから日本人はこうなったと私は思っています。

時にルールを破ったり、危険を冒したり、強者や権力に逆らってでも「違う事は違う」「ルールではなく良心に問う」そんな事は必要無いのでしょうか?

確かに学校でいじめがあり、それを間違っていると発言すれば「自分がいじめの対象」になる危険がある、だから静観し自分がいじめられる事を回避する。

その結果事なかれ主義になり、くだらない大人になるんでしょ?

私が子供達に持て欲しいのは「挑戦心」と「勇気」です。

ルールを守る「悪」にはもう成って欲しくない!そんな大人を見て自殺者は増えているんでしょ?

そろそろ大人がルールや世間体や規則ではなく「良心」に従った言動を子供達に見せませんか?

そうすればひどいいじめは格段に減ります!私は断言します!

それでもひどいいじめはなくならない、しかしだから加藤秀視さんが戦ってくれるんです。

解決は我々にはできない、加藤さんほどの精神力も迫力も我々にはない、でも数を減らしひどいものを抑制する事は出来ます。

私はそう思っていますし、私が算数・数学を教え逃げなかった生徒さんでいじめに関与するような子は絶対居ない!断言出来ます。

5年ぶりの芦屋国際中等教合格者なし、倍率の壁突破出来ず・・・悔しい!

今年も芦屋国際中等教育学校の合格発表があり、今年の受験生は全滅、合格者はゼロでした。

毎年数十倍の倍率を叩き出す芦屋国際ですが、合格者を出し続けてきましたが今年はゼロでとても悔しい!

しかし、何かが悪かったと言うわけではなく、これは「運」の要素であり次回もその次も今まで通り、しっかりと対策をして自信を持って受験生を送り出したいと思います。

毎年、芦屋国際の受験に関しては「予想外」の結果が多く、作文と面接だけしかも倍率が15倍~20倍という強烈な倍率で受験のご依頼をいただく時も「お任せ下さいとは言えません」とお伝えしていますが、やはり合格させてあげたかった。

ただ唯一の救いは受験の結果報告をいただいた時に、ほとんどのご家庭が「ダメでしたが、ここに通って良かった」と言っていただけた事です。

今年は特に個性的な生徒さんが多く、しかも受験生同士も仲が良く楽しそうに作文を書く姿が印象的で、最後の授業の時も全く緊張感がなくみんなリラックスしていました。

楽しい授業が出来たと思いますが、やはり受験は結果が一番大切だと私は思いますので、また来年から連続記録を作りたいと思っています。

通常の国語や算数で受験する学校は、どんな問題がでて何点取れば合格すると誰もが知っている言わば情報が公開されている状態なので、後は「間に合うか間に合わないか」の問題だけなのです。

そして、受験をする4ヶ月前くらいには「合否」の予想は立っており、ほとんど間違えた事はありません。

今年も中学受験生が一人不合格でしたが、保護者の方ともよく相談し「100%無理です」と現実をお伝えしましたがそれでも良いとの判断だったのである意味は納得しています。

今年はまだ高校受験が残っていますので、今年も高校受験をしっかり全員合格で終え、来年度の準備を進めたいと思っています。

当たり前に合格出来る学校を受験しても私は意味はないと思っています。

そういう意味では芦屋国際こそ当教室の真骨頂の受験と言えます。

ほとんどダメ元と言われる学校で「芦屋国際はお任せさい」と書いている教室を知っていますが「合格率で言うとひどいものです。

しかも月謝がめちゃめちゃ高いことにも驚きました!

当教室の挑戦というテーマにピッタリの芦屋国際ですが、今年は残念な結果となりました。

しかし私は諦めず、無謀な挑戦しかも合格率100%を目指し、今後も邁進していきます。

受験は挑戦しなければ意味はない!

とりあえず受かる学校に進学しても、未来は開けません!

受験は挑戦し、努力し、ドキドキして、不安と戦い、そして合格するから意味があるのです。

しかし、合格にこそ子供達が求める「自信の源」がある事も事実です。

普通に国語や算数で受ける受験はお任せ下さい!全てのデ-ターを本屋さんで手に入れ、間に合うか間に合わないかだけの問題なので自信を持って合格させます!と断言出来ます。

しかし芦屋国際だけは断言ができないのです・・・それでもここまで合格者を出し続けた事が当教室の挑戦&合格の真骨頂だったのです。

来年からまた連続合格目指し、出直しです。

受験生のみんなお疲れ様でした、そして楽しい授業をありがとう!

みんなの未来が明るく開けることを祈ってます、そしてそのきっかけを作れなかったこと申し訳無く思っています。

ごめんなさい。

第一回丹養塾は成功かな?第二回もやります!!

先日に行われた「大人が一緒に考える座談会・丹養塾」は多くの父兄の方にご参加いただき上手く行ったと思っています。

内容は主に「情報」と呼ばれる広告やお知らせの危険性について話をしました。

本当はもっと皆さんの意見をお伺いしながら、進めて行くつもりだったのですが私が一方的に話す内容になってしまい反省しております。

私が今回一番皆さんに強く伝えたのは、メディアが流す偏見報道を皆さんが信じる理由は「偏差値教育」だと言う部分です。

今の学校教育や勉強内容がメディアの馬鹿げたウソ偽りを皆さんが信じる「土台」を作っていると言う事なのです。

我々がA YUMMY STUDY 伸学土台教室と名乗る理由は進学の土台ではなく、伸学の土台を作ると言う所に極意があるのです。

メディアの報道がミスリードだと気付いたところから、教育を考え直す事へとつながるからです。

今の子供達は意味も分からず、必要性も分からず、「計算を練習して、漢字を暗記して、パターン演習」を繰り返しています。

情報が正しく判断できれば、何を学び、何を身に付けるべきかは自ずと分かってきますので、今回は父兄の方と一緒に正しい情報を考え正しい教育を考える機会にしたいと考えました。

次回ですが「歴史教育」について皆さんと一緒に考えたいと思います。

次回大人が一緒に考える座談会・丹養塾は「世界と日本の正しい歴史」について考えたいと思います。

日本は若者の自殺率が先進国でNo.1だと言われていますが、この理由の1つが歴史教育なのです。

私が以前指導した作文の生徒さんは非常に感性の鋭い子で、発想も豊かでしたが将来の夢について話をしたときに「夢が持てない」「未来に希望がない」と本気で言っていたので心配になり話しを聞きました。

その夢を持てない、未来に希望が持てないと言う理由が、日本の歴史を小説で読んだからなのです。

皆さんが恐ろしい勘違いをされているのは「歴史」は、社会科で学んでいないのです・・・小説・雑誌・TV・噂・国語の読解問題・・・などなど様々な所でさりげなくすり込まれているのです。

私が今回皆さんと考えたい歴史は戦争がうんぬん、韓国と中国がうんぬん、原爆がうんぬんではないのです。

そもそも西洋人と日本人そしてアジア諸国と日本の「感覚の違い」を考えたいのです!

この歴史を考えるとメディア洗脳と言われる現象の答えが見えてきます!

日にちは決まり次第お知らせしますが、皆様是非ご参加下さい。

宜しくお願いいたします。

受験は人間性・人柄これに尽きるのです

私は人生を通じて「人に何かを教える」という事を生業にしてきたように思います。

高校の時からそんな事を同級生にしていた記憶もありますし、アルバイトで勤めた時にも新人教育をさせられたり、大学卒業後に入社した会社では1年半後には部下を持たされ教育した記憶があります。

その仕事自体も俗に言う富裕層に「投資のイロハを指導する事」がメインの仕事であり、説明すると言う事が一番の仕事だったと思います。

その後自営業に転じた時も、自分の組織を作る仕事で説明の仕事がメインでしたし、今も塾という仕事で勉強の説明をしています。

この説明人生の中で伸びる人と伸びない人が分かるようになった事は良かったと思っています。

まず伸びる人の特徴は「好き嫌いを言わない」という事が共通していると思います。

私も会社に入社したときは新人で教育をしてもらいましたが、私が最初に指導を受けた上司は当時私の居た会社では有名な恐い人でみんな接触をしたがらない人でした。

私は単純に成績の良い人だったし、確かに仕事には厳しい人でしたが「理不尽・自分勝手・無責任」を感じない人だったので、色々と教えていただきました。

おかげで誰にも恥じることの無い成績を収めることが出来ましたし、一年半後には部下出来ました。

その上司とは未だに年賀状のやり取りをしていて、地元の京都に引退されても戻られていると書いてあったので一度お説教されに行こうかと思っています。

しかし多くの同僚や先輩達はその上司を避けて居たのですが、それは単に「好き嫌い」で判断していたのです。

今私が学習教室を運営している中でも「好き嫌い」で判断する生徒さんは一時的に良くても最終的にダメになるという結果をことごとく見てきました。

何故なら「好き嫌い」は気分であり状況であり簡単に言うと「コロコロ変わる」というとても良くない特徴があります。

私が指導してきた後輩や部下でも「好き嫌い」を言わない人間はすぐに伸びできましたし、何より結果が出続けると言う素晴らしい成長を見せてくれました。

気分や状況でコロコロ判断を変える人間ほど信用出来ない人間はおらず、人が一番の失敗をする時に決定要素に感情が強く影響しているのです。

くだらない理由の退社、中退、もめ事、離婚・・・全て「感情論」で出した結果であり、その感情論に負ける根源は「好き嫌い」なのです。

だから、現代の子供の意見を尊重すると言う風潮を私は危ないと感じています。

子供は好き嫌いの固まりであり、冷静な判断が出来るほど「知識」や「判断能力」がありません。

だから、子供達がいう「好き嫌い」は本当に気分やその時の状況で決めているので簡単に言うと「判断材料」になる事が少ないのです。

教育とは「自立」の為にあり、子供を育成し鍛え強く賢くする・・・それが教育なのです。

子供の意見を尊重する事は大切かも知れませんが、尊重するに値する意見を言える人間性が育っているか?も見なければいけません。

社会には嫌な事や我慢を強いられる状況、忍耐を伴う業務、理不尽、偏見、差別が当たり前に存在します。

しかし、それを避けて居ては生きて行けません。

だから子供達にとっての障害を取り除くのではなく「乗り越える知恵と精神力、強さ」を身に付けて社会へ送り出すのです。

私は色んな意見を聞くのが大好きで、自分とは全く違う意見を聞くのも興味があります。

そして最近とても興味があるアンケート結果を見ました、それは「今企業が求める人材は何」という記事でした。

それは米国やイギリス、日本も含む大企業が今求める人材について書いていたのですが、驚きの結果でした。

企業が今求めるものは、真面目さでもなく、賢さでもなく、スキルでも無かったのです。

求めているもの、それは人柄だったのです!

賢さもスキルもフリーランスから「金で買えば良い」という考えだそうです。

では社員として一緒に長く会社をやっていくには「一緒に居て楽しい、居心地が良い」という人柄が一番だそうです。

私が悲しいのは「勉強が出来る子ほど無愛想で空気感を壊す子が多い」という現実です。

坂本龍馬の言葉に

わずかに他人より優れているだけの知恵や知識が、この時勢に何になるか?
そういう頼りにならぬものにうぬぼれるそれだけで歴然たる敗北者だ。

という言葉があります、その通りだと思います。

私は坂本龍馬が大好きですが、彼は人たらしであり間違い無く大局の見える賢者だったと思います。

今は勉強が出来れば「偉い」と勘違いしている生徒さんが多く、私は特に中学受験の生徒さんにおねがいているのは「合格しても人より優れているとか偉いとか賢いという勘違いは絶対しないでほしい」と毎年言います。

なぜなら、勉強は知識でありテクニックであり親の経済力と深い関係があるからです。

勉強は自分を鍛錬するのに必要なものであり、やり方を間違えると「馬鹿」になりかねないものなのです。

私が生徒さんに一番伝えたいのは「社会で必要とされ、愛される人間になれ」という事なのです。

真面目なだけで周りの空気感をぶちこわすような中途半端な人間を社会は必要としません。

賢さも真面目さもスキルも知恵も発想も「人柄」を伴って、初めて高い評価を得られるのです。

私自身このことが理解出来ず会社という場所で大変苦労しました。

自分の事を優秀と勘違いしていた訳ではありませんが、私よりも明らかに成績・能力・実績の低い人間の評価が高かったのです。

しかしその同僚と未だにFaceBookでつながっていますが、彼はいつも人に囲まれ彼の周りには必ず笑顔の人がたくさん居ます。

上司も部下も彼の人柄に惹かれていると気付くまで20年以上かかりました。

今頑張る学生達にこの事実を伝えたいし、知って欲しい・・・何故なら無愛想で空気感をぶちこわす彼らは優秀で真面目だから。

そして、周りの大人が間違った教育をしただけで、根は良い人間だからなのです。

だから今子育て中の方に一番言いたいのは「素直」という要素を一番大切にして欲しいのです。

人柄が良く、素直であれば勉強は周りが出来る様にしてくれます!

私自身もまだまだ出来ないのですが、謙虚で素直。

これが一番なのだと思います。

芦屋国際中等教育学校も私立中学高校も試験で学力を試すのは、勉強を極める上で最も必要な要素が「素直と謙虚」だからだと思います。
プロフィール

KAZ・FUJITA

Author:KAZ・FUJITA
学習教室を運営して約20年、教育の仕事に関わりすでに約30年。日本の教育は間違っていると感じ正しい教育とは何かを考え続けここまで来ました。私自身の経験から「社会で活躍出来る人間とは何か?賢いとはどう言うことか?世界の教育の今、何を求めているのか?そんな事を考え子供達の指導をしています。私の考えをココに書いておきます。私はウソは大嫌いです、何でも本音で書きますので気分を害される方は読まないで下さい。
尊敬する人物は「坂本龍馬」と「諸葛亮孔明」
座右の銘は「因果応報」
教師とは職業ではなく生き様である、が信条です。

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