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コロナと西洋教育でおかしくなった日本人、自己責任と自己判断の時代

我々の学生時代学校は一定のレベルを強制し、学校を休む事も宿題をしない事も許さなかった。

素行の悪い人間も常に疑われ、一方的な見方をされた。

その事が社会生活でどれほど役に立ったか、社会へ出て分る事が多かった。

学校生活で問題が無い生徒さんは社会へ出ても問題が無く、社会性・協調性・忍耐などを持ち合わせて高いモラルを持ち合わせていた。

そして日本ブランドを作り上げた「日本教育」は今崩壊している事にも気が付いていない・・・

何故?日本経済は世界一にまで成長したのかその理由をちゃんと説明出来ない人も多いと思う。

近代史をちゃんと勉強しないと今何故こうなっているのかなど分るはずがない。

日本経済が大きく成長したのは、米ソ冷戦が背景にあるが、詳しく話すと長くなるので、1つだけ確認していただきたいのはベツリンの壁崩壊と共に日本経済の崩壊も始まっている。

ここで大切なのは「戦争」と「経済」は連動しているし、戦争の背景には「誰かのお金儲けがある」という事なのです。

しかし、あくまでも戦争や政治情勢は経済変化の要因の1つであり、日本ブランドが確立された背景には「高い教育意識」と「高いモラルレベル」があったのです。

これは日本が行っていた教育の成果であり、その成果を具体的に言うと「末端労働者まで高い教育とモラル」を保っていたと言う事なのだ。

末端労働者というと聞こえは悪いのだが、現場で物作りをしている最前線の人が「思考力」を持ち、「高いモラル」を持っていたと言う事が脅威なのです。

だから工場の大規模生産を行っても、分りやすく言えば「歯車」が1つ1つ思考力を持ち、高いモラルで生産活動に参加していたので、事故・不良品が少なく、産地偽装や危険物の混入などを防げたのだ。

その製造工程の素晴らしさが「日本ブランド」を作り上げ、世界で信用を勝ち取ったのだ。

しかし、今は高いモラルを持っていても「正しい事」が分らなくなっているので、問題は「思考力」と「基礎学力」なのだ。

学校が個性や自由を尊重し初め「自由」を誤解した子供達がそのまま「ピーターパン状態」で社会に出て、仕事をすぐに辞めてしまう・・・これは当たり前の事だと思う。

基礎学力に関しても、本当に下がってきていると現場で指導していて実感している。

問題自体は次々と難しくなり、出来る子と出来ない子の差が広がっている現状にも恐らく多くの保護者が気付いていない。

これはコロナ騒動のずっと前から言われている事で、私が30歳になった20年前から「もう中国には勝てない」と多くの経営者が予言していた。

私はとても信じられなかったので何故ですか?と理由を聞いて納得した。

日本人は「労働意欲がない。そして未来に希望を持っていない。トドメに教育がおかしくなっている。中国に勝てる要素がない」と言っていた。

驚くことに当時利益を次々を出していた会社の経営者は口をそろえて同じ事を言っていた。

そしてトドメにコロナ騒動が勃発・・・学校や仕事を休むことも当たり前になり、ただでさえ遅れていたカリキュラムにさらなる打撃が加えられ学校授業は先生方も何をどうして良いのか?手探り状態で進めている。

しかし、このコロナ騒動で空いた「穴」は確実に生徒さんの学力を落とし、高校での勉強は苦しいものになるだろう。

ただでさえ、教科書大改訂でカリキュラムが増え、自由と個性とわがままを勘違いした教育を実践し忍耐も我慢も出来ない生徒が急増している・・・

遅れを取り戻す程の「ガッツ」も「スピード」も持ち合わせていない生徒さんが「独学」で出来るほど今の受験勉強は甘く無い。

もちろん、学校もコロナ騒動も数年すれば落ち着くが問題は今学校で学んでいる生徒さんは一体どうなるのか?

自己防衛しないと、本当に可哀想だと思う。

学歴社会が終わると言う話もあるが、私はもっとひどくなると思っている。

今は学歴コンプレックスを持つ大人に対して有効な学歴だが、今後は学歴というもの自体に価値を付ける時代が来るかも知れない。

今日本が進んでいる未来に似ているのは「中国」と「韓国」だ。

中国と韓国の2国の受験の凄まじさは皆さんも知っていると思いますが、恐ろしいのは2国とも少子高齢化が進んでいる国なので日本とほぼ同じ状況なのだ。

仮に日本経済に追い風が吹いても「労働力」と質が低下している以上、日本経済の復活は考えにくいと私は思う。

今私が言っているのは「日本経済と日本人全体」の話であり、個人としては自己防衛すればなんとかなると思う。

しかし、赤信号みんなで渡ればこわく無い、そんな感じで「何か今の教育はおかしい??」と感じながらも、周りも同じだからと油断していると感じています。

社会全体が間違った判断をした事は日本の歴史上、世界の歴史を見て無いのでしょうか?

日本は2682年の歴史を持つ国ですが、世界には「滅んでしまった国」の方が多くあり、その危機がないとは言えません。

問題は国や学校を信用しすぎないと言う事なのです。
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自分もプレイヤーに!そんな気持ちにさせてくれる、今日の試合

今日はワールドカップコスタリカ戦の日、日本が決勝トーナメント進出を決める瞬間をぜひ見たい。

先日のドイツ戦では不覚にも泣いてしまったが、昭和40年代生まれのサッカー小僧はみんな泣いたと思う。

私がサッカーを真剣に見始めたのは1986年のワールドカップ、ディエゴ・マラドーナが世界一になったメキシコワールドカップ。

そして1990年イタリアワールドカップの時は高校生でサッカー部で、定時制高校ではあったが、サッカーを真剣にやっていたし良いチームメイトと指導者に恵まれサッカーに一番のめり込んでいった。

マラドーナ一色のワールドカップだったが、グループリーグで初戦カメルーン戦に負けたマラドーナ率いるアルゼンチン・・・心配したがその後勝ち上がり開催国のイタリアをPK戦の末撃破、やはりアルゼンチン優勝だと思った。

しかし決勝戦の相手、当時西ドイツ代表がアルゼンチンを倒し、優勝した。

その後もドイツの強さ、凄さをワールドカップで散々見てきた、そのドイツを日本代表が倒すなど、10年前は想像もしていなかった。

個人的には、オリンピックの予選リーグでブラジルを撃破したオリンピック日本代表は私はあると思っていたし、ブラジルは強いがマラドーナにやられている姿も何回も見た。

しかしドイツは違う、いつも強くスキがないイメージで技術よりメンタルが強いイメージで、日本がワールドカップで勝利するなど快挙だと思う。

ここまでドイツ戦で感動できたのは、日本代表の歴史、ワールドカップの歴史、ドイツの凄さ、マラドーナの全盛期に一試合抑え切ったドイツの凄さを知っているからだ。

日本代表の歴史は苦労と惜敗の歴史だと思う。

私は三浦知良、キングカズが居なければ今のサッカー無いと思っている、しかしそのカズはワールドカップで出場できていない。

日本サッカー界は決定力のあるフォワードをずっと育成できず、良いゲームメーカーは居たが決定力のあるFWがいつの時代もいない。

その中ブラジル帰りのカズの力はすごかった・・・間違いなく日本サッカーに世界を感じさせた選手だ。

その後もいい試合はするが「決定力不足」に悩み続ける日本代表だったが、今回のドイツ戦はシュート3本中、2本決めた。

浅野選手が決めた二点目はシュートコースがなく、本当によく決めたと感動した。

何が言いたいかというと、過去を知らないと感動も薄れるという事だ。

ワールドカップだけではない、受験生も同じだ。

幼少期から知る子が成長し、希望の学校を目指し努力し合格すると感動する。

その子の背景を知っているからだ。

これは日本という国にも同じことがいえる。

日本は素晴らしい文化と歴史を持つ素晴らしい国なのに、その事を知らない子供や大人が多すぎる。

日本の素晴らしい歴史や文化、他国の評価を聞いていると、自分自身にも自信が持てる。

そして日本が何か行動起こしたときの感動は倍増する、それが私が思う愛国心だと思う。

外国では当たり前に学校で行われることだが、日本ではなぜか全く行われない・・・

しかし単純にワールドカップを見て、日本に誇りを持ち、日本を応援し日本のすばらしさを知ることは出来る。

日本人であることに誇りを持ち、自分の人生にも自信と誇りを持つことが出来る。

ワールドカップと日本代表の歴史を少し知るともっと感動は倍増し、胸が熱くなるはずだ。

前も書きましたが、日本代表が挑戦し敗れていく姿も感動だ、昨年のオリンピックで泣きながらインタビューに答えた久保建英選手の事が頭から離れない・・・

物凄く悔しい思いをして、今回のワールドカップに懸けてきたはずだ。

若い時から単身スペインに渡り、人の数十倍苦労も悔しい思いもした彼が涙を流す意味を考えると泣けてくる。

そして今回その思いが昇華して、目標を達成する素晴らしさを目撃するチャンスがある、今の日本代表はめちゃくちゃ強い。

目標を持ち、夢を追い、敗れる姿も叶える姿もどちらも勉強になる。

私は今まで後輩や部下に言ってきたことがある。

プロ野球選手は野球をやったこともない素人に「へたくそ!」とか「辞めちまえ」などのヤジを飛ばされる。

もちろんサッカー選手も同じで、自分よりも明らかに下手な人、素人に「ヤジ」を飛ばされる・・・なぜなのか?

それはヤジを飛ばしている人はお金を払い、ヤジを飛ばされる人はお金をもらっているという事だ。

つまり、人生はギャラリーでいる方が「気楽」であり「偉そうな理論」を披露し気分も良い、しかしプレイヤーは「苦労」して「努力」をする。

ヤジられ、けなされ、辛い思いもする・・・しかし、人生はプレイヤーであるべきなのだ!

ギャラリーで終わる人生などくだらないと私は思う!

挑戦し、馬鹿にされ、ヤジられても批判されても「プレイヤー」になるべきなのだ。

ワールドカップは残念ながらプレイヤーになることは非常に難しい、でも自分の人生はプレイヤーに誰でもなれるのだ。

どんな分野でもいい、なんでもいい、プレイヤーとして挑戦してほしい。

そんな気持ちにさせてくれるサッカーワールドカップ、盛り上がらないなんて選択しは無い。

プレイヤーが夢を昇華させる、その瞬間を目撃して日本の学生よみんな「熱くなれ!」夢に向かって、自分の可能性を信じて前へ突き進め!

その勇気を今日日本代表がくれるはずだ。

日本サッカー界の夢、今年昇華するか?

今はワールドカップの真っ最中、4年に一度の世界最大のお祭りの1つ。

生徒さんや自分の子供達にはいつも言っている事だが、私が高校生だった30数年前、「死ぬまでに日本がワールドカップでプレイする姿を見てみたい」とサッカーファンはみんな言っていた。

日本がワールドカップに出場することは「夢」だったのだ。

それが今では6大会連続出場、昨年のオリンピックでは4位に入った。

日本代表のほとんどが海外でプレイしている・・・我々が高校生・大学生の時には考えられない状態だ。

しかし、この現状も日本サッカー協会が2050年までに日本をワールドカップで優勝させる!と言う目標・ビジョンが打ち出されたからだ。

明日ドイツと対戦する日本代表、一昔前なら勝つと言う事を本気で考えるのは無理だった・・・しかし、今の日本代表は勝つ事が想像出来る。

もちろん私は勝つと思っている。

今の強い日本代表は「夢」「ビジョン」から始まっている。

高い目標を持ち、計画をして、実行していく。

2050年までに日本代表は優勝すると本気で思う、ここまで急成長した日本代表がワールドカップで優勝する日は必ず来ると思うし自分の目で見ることが出来ると思う。

一昔前から見れば「夢物語」も良いところだ。

しかし、日本サッカーは急成長し実現に向けて確実に歩んで来た。

生徒さんにも真似して欲しい、日本代表を見習って欲しい。

夢や無謀な挑戦をして、実現に向けて歩んで欲しい。

私はブルース・リーという役者さんが大好きで、彼の言葉で有名な言葉がある。

失敗を恐れるな!
失敗する事ではなく、目標を低く掲げる事が罪なのだ。
大きな挑戦では、失敗さえも栄光となる。

もう一つ

簡単な人生を願うな!
困難を生き抜く強さを願え!

受験生が志望校を下げる姿を見るのは本当に辛い。

不合格よりも辛い。

中学受験も高校受験も人生初めての受験のはず。

そこで妥協の決断すれば、人生はずっと妥協の選択をし続ける事になる。

そうとは限らないと言う人も居るが、間違い無い!妥協と諦めに人生を生きることになる。

そして、大半の大人が妥協とあきらめの人生を生き、その姿を見て子供達は社会に希望と夢を持てなくなっている。

日本は豊かな国で、治安も良く、のたれ死になどしない国だと私は思っている。

仕事に関しても、ハッキリ言って「人手不足」が慢性化して、選ばなければ仕事はいくらでもあると思う。

受験で妥協した人が仕事はこだわることが出来るのか?人生を楽しむ挑戦が出来るのだろうか?

入れる学校へはいった人が、はいれる会社へ入り、与えられた仕事をこなし、我慢の人生を送る事にならないのだろうか?

もちろん例外も居るだろう、しかし確立論は無視出来ない。

私は昔から、部下や後輩には常に言っている事がある。

人生は我慢するか、努力するかの二択しかない。我慢と努力の違いは自ら選んで行うのが努力、人から与えられるのが我慢。努力はいつか報われ、我慢に終りは無い。受け入れるしかない。

流されていく人生には「我慢」しか無く、自ら切り開く人生には「努力」しか無い。

私の多くの元友人達は我慢に文句は言うが努力はしない・・・だから人生は一向に改善しない。

そんな選択を学生のうちにして欲しくない。

高い目標を持ち、努力し挑戦をして欲しい。

失敗を恐れず、挑戦をして、経験を積んで強い大人になって欲しい。

そして夢を追い叶えて欲しい、でも夢破れるのもまた良い。

何故なら、夢を本気で追い、夢破れた時待っているのもは何か?この答えは夢を追った者しか答えられない。

私は何度も夢破れている・・・しかし、本気で夢を追ったのは恐らく一回だけ、その夢が破れたとき、待っていたのは新しい挑戦だった。

絶望感も失望感も何もなかった、あれだけいい加減に挑んだ中学受験や高校受験では廃人になる勢いで落ち込んだのに・・・

本気で夢を追った仕事を廃業する時、このままで終わってたまるか!という気持ちと新しい目標だった。

その事をみんなに経験して欲しい。

いい加減に努力した目標こそ、ダメージが大きく、甘い計画を立てている。

適当な努力こそ自分はダメージを受ける。

まして妥協した目標を達成出来なかった時は「自分の未来」を疑ってしまう。

今、日本サッカーは1つの結果を出そうとしている。

ひょっとすると予選リーグで敗退するかも知れない。

ひょっとするとベスト4、優勝まで行くかも知れない。

その結果を見て欲しい、大きな夢を追った日本サッカー界の1つの答えを見て欲しい。

そして生徒さんも保護者の方も夢を持ち、追っていただきたい。

妥協した目標も、諦めた精神も要らない。

挑戦し、勝ち得た結果からしか「自分の未来」に希望は持てない。

一緒に戦う生徒さんを誇りに思うし、結果を出すため死にもの狂いで自分の出来る事をする。

そして一年が終り、次の受験生との戦いが始まる。

自分が好きな事を仕事に出来るというのは本当に幸せな事だ。

しかし12月18日の決勝戦まで、ワールドカップも楽しみたい。

受験生以外は全員ワールドカップを楽しもう!

夢を追う日本代表の結末をこの目で確認しよう!

諦めず指導する、それしか無い

私が常に悩んでいるのは「甘い教育」を推奨する今の世論である。

私の浅い経験から言うと「甘い教育」を推奨する大人ととことん議論をした事があるが、結論から言えば「子供を馬鹿にしている」と私は思っている。

言葉の端々に「出来ない子は出来ない」とか「無理にさせても出来ない」「可哀想」というフレーズが出てくる。

ひどい大人になるとそこまで熱心に指導する「メリットが無い」とまで言っている・・・私は悲しい。

能力の低い大人を私はたくさん見てきた、それは自分も含めて歩んで来た道に問題があるのであって、その人が生まれてからずっと能力が引くわけでは無い。

私も中学受験に失敗し全てが嫌になったし、最後は自分には悪い結果しか降りかからないと常に思っていた。

だから高校受験も偏差値が70を越える私立高校へは合格したが、偏差値50程度の公立高校は落ちた・・・もちろん内申点が最悪だったっと言う事も原因だと思うが。

それでも何をやってもダメだったが、高校生活の中で徐々にやれば出来る様な気がしてきた。

そして決定的だったのは大学受験だ。

詳しく覚えていないが、5大学10学部くらい受験したと思う、そして大学受験では第一希望の大学と学部だけ合格した。

私にハッパをかける為、大学によって入学祝いの金額を変えていた義理の兄からは「おい!詐欺ちゃうやろな」と笑いながら言われた。

その時に自分が今まで出来なかったのは自分が手を抜き勝手に諦め何より努力していない事が原因だと痛感した。

それから割と何をやっても上手く行く事が多くなり、大学受験で人生が変わったことは事実だった。

しかし、最近生徒さんを指導するようになり、大学受験合格の本当の理由が分った。

それは親の指導と厳しい指導をしてくれた高校の先生達だ。

私は中学受験に失敗してから言わば学歴社会から「ドロップアウト」して、完全に反社会団体へまっしぐらだったと思う。

しかし、親も兄弟も諦めず私に勉強を促し、ADHDがかなり強い私に社会生活が出来る様に根気強く声かけをしてくれた。

中学2年生の時に来た新卒の先生に「この子は頭がおかしい」と本気で言われ、大学病院へ行き「脳波」を計り徹底的に検査された。

もちろん正常だったが、その先生は「そんなはず無い!」と言っていたが、あの時自分の両親が良く黙っていたなと思う。

それくらいおかしかった私を両親も兄弟も親戚も、諦めず躾て諭して導き、こりもせずチャンスをくれた。

その結果、せっかく入学した私立高校を退学になった時「たけし軍団に入る」と言った私を本気で止め、せめて高校は卒業しておけと言い定時制高校へ進学した。

定時制高校へ行っていなければ、大学進学しなかったし、自分はいつでも結果はダメだと思ったままたけしさんに弟子入りさせていただいても結果は絶対出なかったと思う。

浅はかな考えでプロのミュージシャンを目指した事があったが、それを本気で止めてくれたのは兄で、私が当時大好きだった「爆風スランプ」と「聖飢魔Ⅱ」というバンドは早稲田大学のサークルから誕生していると教えてくれた。

兄に音楽がしたいならちゃんと大学へ行きそこでやれば良い、その時は応援してやると言ってくれた・・・あの言葉が無ければ勉強と言うものを完全にしなくなったと思う。

私は家族と先生達に優しくしてもらったとは思っていない、厳しい指導や助言が多かった。

しかし、本気で私を思い指導してくれていることは感じたし、諦めず導いてくれたことに感謝している。

私が今一番危惧しているのは、優しい指導をしている「甘い教育」は諦めて放り出す事がほとんどなのだ。

もし現代に私が学生生活を送っていたら、間違い無く定時制高校の先生も家族も諦め手板と思うし私はその状況に甘えとんでもない社会人になっていたと思う。

厳しい指導も恐い先生も私も嫌だったが、今思えば優しい先生のことは何も覚えていないし「俺を馬鹿にしていたのだろう」と今はわかる。

私が学生の頃はまだ熱血教師と言われる奇特な大人が居た、あの熱血教師のおかげでまっとうな人生を送れている社会人がどれだけ居るだろう。

私の周りだけでも「あいつはやばかっただろう」とおもうのが十数人居る。

もちろんどうにもならなかった奴も居るが、大半が家庭を持ち仕事を持ち、まっとうに生活している。

数人の恩師にはいまだに年賀状で毎年感謝を伝えている。

そんな先生は今は居ないのだろうか?

私達の頃ほど厄介な生徒さんも居ないと思う、しかしどうしようも無いと考えられている。

好きな子としかしない、学校生活に合わすことが出来ない、朝が苦手とか言って学校へ行かない、自分を中心に社会を見てしまう・・・

少し指導者が熱意を持って指導すれば、考え方が広がり優秀な人間になるのに甘い指導を推奨している事で諦められている子供達がたくさんいる。

私もおなじだが「きっかけ」がれば変わる、変わった子ほど高い能力を持っている。

そして日本は集団生活を基本として「協調性」「忍耐」「努力」が不可欠で人間関係を円滑にする「愛想」も少しはあった方が良い。

勉強なんて出来なくても良いと私は本気で思っている、ただ「馬鹿」になれば人生は本当に辛い。

社会で活躍出来る人間性、最低限の能力を持ち合わせていれば、生きて行ける。

一人でも多くの指導者が熱を取り戻し、一人でも多くの生徒さんを正しい道へ導いて欲しいと思う。

生徒を叱る熱量も経験も持てない指導者は少しぐらいいても良いと思うが、今は大半がそうなってしまっている。

出来ない子供は居ないし、能力の低い子も居ない。

やっていないだけだがやるきっかけを無くしていたり、楽を覚え能力を低くしてしまった子が居るだけなのだ。

私は教育がサービス業と成り下がった今、本当の教育をしてあげないと子供達が大人になり、自分が子供を持ったときや私の年になって、自分もやれば出来たのに・・・と後悔して欲しくない。

しかし、目の前の勉強ややるべき事が面倒くさい事も事実で、失敗して恥をかきたくない事も事実だし、気分が乗らない事も事実なのだ。

だからそこを一緒に乗り切る指導をする時に「頑張れ」の一言で私は出来なかった、厳しい指導と環境で自分を突き動かすしか無かった。

そんな子がたくさん居ると思う。

私はいつも言いますが、勉強に才能は必要無い、それが一番素晴らしい所でやれば誰でも出来る。

後はきっかけそれも出来るだけ早い方が良い・・・それをやるのが大人の役目だと思っている

データーで考えないと正しい判断は出来ない!

世の中はきちんとデーターを見ないと判断は出来ない、えせ専門家、有名人の専門外の意見は無視しないと冷静な判断は出来ない。

特に近年恐ろしいのは「専門家」がウソつく事が多い、ここはまだ詳しく話す時期では無いので飛ばすが私が言いたいのはデーターを見ろ!と言う事だ。

昔私がやっていた、ネットワークビジネス、ネズミ講やらマルチ商法やら色んな呼び名があるが、ネズミ講は違法行為であり物販を伴わない金銭だけのやり取りを言うのでこんな違法行為今時やっているのは本当のお馬鹿さんくらいです。

マルチ商法などと言う人が居るが、正確にはそんな物はない、もっと正確に言うと「マルチレベルマーケティング」という報酬計算を利用した商法であり違法行為でも何でも無いのだが、知らない人が余りに多い。

今、Youtube等で「マルチ詐欺を撃退した」と言う動画が結構流れているが、私が説明する側なら完膚なきまでに論破できるようなお馬鹿さんが動画で張り切っている姿を見て複雑な気持ちになった。

私はネットワークビジネスは「良い物でも悪い物でも無い、稼ぐ手段の1つ」だと考えている。

ネットワークビジネスで借金をしたと言う話を良く聞くが、せいぜい数百万円の物だ。

私の知っている限り、うどんやそばや居酒屋で失敗した人間は1000万円くらいの借金が残るので、どっちがひどいかは一概に言えないと思う。

しかも、飲食業は店舗数が増えればランニングコストも増大し、巨大化すればリスクは増える一方だ。

一方ネットワークビジネスはいつまで経っても経費は自分の交通費くらいで、組織が巨大化しても経費は変わらず売上は上がり続ける。

何故私がネットワークビジネスのことを書いたのか?それは勉強と同じだからである。

ネットワークビジネスを簡単に儲かると考える人間は多いが、それは大きな間違いである。

当然お金を稼ぐ訳だから相当の努力と創意工夫が必要だ、もちろん勝負所の集中力も必要で結構他のビジネス似共通する事は多い。

ただ最大の違いは金銭的リスクはもの凄く低いと言う事だ。

コレが私には大きかった。

大学在学中に婚約をして、社会人2年目に結婚したので、給料は多かったが貯金が無く会社を設立したり、店を開業したり出来なかった。

私は父が商売人だったので、経営者にリスクは当たり前だと考えていたし、自分が経営者にならないと自分が思うような人生は送れないと知っていた。

しかしお金が無い、結婚をすぐにした、加えて子供が出来た・・・このままでは人生がんじがらめになると思い、ネットワークビジネスで勝負に出た。

やってみて驚いたのは、みんなネットワークビジネスをなめている、もっと言うなら経営者になる、自営業いなると言う事をなめていたことだ。

真面目にやりもせずに儲からない、儲からないと愚痴を言い、やるべき事もやりもしないで結果が出ないといている・・・当たり前だ。

私はネットワークビジネスで勝負をかけて分った事はやはり自分はいい加減だったと言う事だ・・・勉強で思い知っていので会社ではそれなりに活躍出来たが、やはり自営業者としては甘いと思い知った。

そしてそれなりに努力をしなんとか5年くらい良い思いをさせてもらえたが、上の人間とどうしても意見が合わず辞めてしまった。

その時に私の組織に大量にいたのが「塾講師」軍団だ。

彼らは「我慢」も「努力」も出来ない、言わばどうしようも無いタイプで「理屈」は詳しいが行動が伴わない・・・悲しいタイプの人間だった。

その時に私は塾業界では絶対働きたくないと思ったのを今でも覚えている。

彼らがちゃんと仕事をしている姿を私は見たことが無い、もちろん塾講師として一流になれないのでネットワークビジネスにも手を出しているので全員が腐っているとは言わないが大半は腐っていた。

今生徒さんを見ていて、彼ら腐った塾講師の様になりそうで非常に危惧している。

彼らは理屈ばかりをこねて、やるべき事をせず、自分にだけ特別なラッキーが訪れると本気で思っている。

人と違う結果を出したければ、人と違う判断・行動・努力が必要なのは当たり前だと思う。

そういった当たり前の事が分らない人が塾講師には多かったのだ。

そして塾講師も金銭苦の人が多く、しかも夜の仕事なのでチャンスは限られている・・・なのに自分に置かれた状況や出来ない言い訳がとても多く、見ていて辛かったのを今でも覚えている。

私は分っていた、自分にはコレしか無いと思っていたし、最高のチャンス出なくても自分の状況を考えれば悪い条件では無いと思っていた。

だから頑張れたし、一定の結果は出せたのだと思っている。

勉強でも同じなのだ、自分の状況を分っていない生徒さんがとても多い。

嫌な事はしない、気分が乗らないと出来ない、手取足取り丁寧に導かないと出来ない・・・ご家庭が溢れるほどの資金力があるならそれでも勉強は出来る可能性がある。

しかし、普通のご家庭なら、自学自習が出来る状態で無ければ、大学受験は戦えない、しかも高額な塾費を頑張って支払ってもらえても私学へ進学すれば莫大な学費が飛んでいく。

実は勉強も当たり前に「与えられた状況」で戦う敷かない。

その事を考えれば経済的に普通のご家庭が国公立大学へ進学しようと思えば「自学自習」の能力を身に付けるしか無い!

しかし、女王様や王様のように振る舞い、気分に左右され、好みに合わない先生の話は聞かない。

そんなやり方では上手く行かないのだ、当然分っているはずだ。

私が冷静にデーターを見て欲しいと言っているのは、そういうことなのだ。

国公立へ進学している半分は中高一貫の私立から上がってくる子、もう半分は公立中学公立高校から上がってくる。

そして国公立へ進学してくる公立校出身の子は「自学自習」が出来ている子が大半だと言う事です。

前倒し教育で教え込まれ、親が手間と時間をかけ教え込んで、手助けして育てた子で国公立大へ進学した子は中高一貫の私立校へ進学した子だけと言う事実も忘れてはいけない。

もちろん例外はいる、しかし確立は無視出来ない。

私立中学へ進学させる経済力が無いなら、自学自習する能力は絶対不可欠な能力なのだ。

A YUMMY STUDY 伸学土台教室が開業当初から訴えている事の1つが「国立大へ合格する能力を身に付ける」と言う事です。
プロフィール

KAZ・FUJITA

Author:KAZ・FUJITA
学習教室を運営して約20年、教育の仕事に関わりすでに約30年。日本の教育は間違っていると感じ正しい教育とは何かを考え続けここまで来ました。私自身の経験から「社会で活躍出来る人間とは何か?賢いとはどう言うことか?世界の教育の今、何を求めているのか?そんな事を考え子供達の指導をしています。私の考えをココに書いておきます。私はウソは大嫌いです、何でも本音で書きますので気分を害される方は読まないで下さい。
尊敬する人物は「坂本龍馬」と「諸葛亮孔明」
座右の銘は「因果応報」
教師とは職業ではなく生き様である、が信条です。

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