今の教育は日本という国に合っていない!
今の日本は教育が破壊されているのでなかなか厳しい未来しか予想できない。
しかし、冷静に見れば世界の教育も破壊されているのである意味普通なのでは?と誤解しがちだが日本と世界には決定的な違いある。
これは微妙な問題ではあるが、教育を考えるうえでどうしても避けては通れない問題だと思う。
世界と日本の決定的な違い、もっと言えば世界の教育へ日本が合わせて変化している事が何がまずいのか?
日本人は当然だが日本の標準が世界の標準とどれくらいズレているか?もっと言うなら日本が特殊な国だと気付いてい居ない人が多い。
世界では元々体罰は禁止であり、子供は自由に伸び伸び育てるという当たり前の感覚がある、だからこそ日本人は労働者として異常に高いレベルの能力を末端労働者まで持っていた事は世界的に見て脅威だった事実を知らなくてはいけない。
日本人は世界的に見て「能力もモラルも高い民族」であったと、過去に日本を訪れた偉人はみんな言っています。
それは日本の教育がとても素晴らしかった、もっと言えば日本人に合っていたといえると思う。
今は欧米の教育を猿真似する事で「個性」やら「個人の意思」「自由」などを提唱しているが、こんなものは日本には合わないと言わざるを得ない。
世界の標準である「個」の教育、「自由」を重んじる教育は日本になぜ合わないのか?と聞かれ即答できる教育者は少ないと思う。
日本と世界の決定的違いは「宗教観」なのだ。
日本では宗教は「アンタッチャブル」、もっと言えば「おかしい」とか「怖い」というイメージを持っている人がいるが、世界の教育の根底には宗教観があり、法律や憲法にまで影響している国がほとんどだ。
宗教を無視して国を作る事は出来ないともいえる。
日本は仏教徒だと勘違いしている人も多いが、日本は神道の国であり「神道と仏教の融合」を見事成し遂げたのが「聖徳太子」である。
しかし神道は経典や布教活動をしている人もおらず、しかも多神教でありなかなか「宗教」というカテゴリーに入れていいのかどうかも悩むレベルのものだ。
神道は何かを教えてもらうという形ではなく、感じ取るとか考えるというものでキリスト教のようにミサへ行き牧師の説教を聞くこともない。
仏教のように僧侶のありがたい話を聞くわけでもない、ましてや集会を開き意思統一や神の教えを乞う事もない。
これが教育とどう影響しているのか?実は世界の教育は根底に宗教の教えがあるから機能しているものものであって、日本のように宗教観の無い国では最低限のルールが守られないという点で合わないのだ。
私の兄はバリバリのキリスト教徒だが、まだ平成の時代であったにせよ5歳くらいの子をムチで叩くという教育をしていた。
何故なら「性悪説」という考え方があり、子供は元が悪であり矯正し人として生きられるという考え方が「家庭教育」で行われているからである。
各家庭で厳しく性悪説を元に体罰もやむを得ない教育で矯正された子供たちが学校で伸び伸びと教育を受けるのは悪くないと思う。
しかし、日本は「性善説」を元に家庭教育を行っていて、人は元々善であり悪い情報に触れて悪へと変化する事があると考えている。
そして日本は元々幼少期は神様からの預かり者として子供を教育したので、ああしろこうしろとは言わず各家庭で自由に過ごしていたのだ。
そして学校へ入学し、規律や我慢・努力を学び大人へと成長していくのです。
簡単に言うと家庭教育で「矯正」をするか、集団教育で「矯正」するかの違いなのです。
各家庭でちゃんと教育を受け「矯正」されている子が学校で伸び伸び過ごすのはいわば当たり前のことで、西洋の教育は宗教観と家庭教育を背景に成り立っている「個」の教育なのです。
日本はどうなのか?各家庭で自由に子供たちは伸び伸びとムチで打たれたり、宗教観を背景にしつけられることもなく学校へ進学しそこで「個」を重視した伸び伸び教育を受けていつ矯正されるのでしょうか?
今会社や学校で大きな問題となっているのが「常識の違い」なのです。
8時から始まる仕事に8時に来る社員、朝が苦手という理由で学校へ行かないという選択をする家庭、やりたくないという理由で宿題をしないという選択、意味が分からないと勉強を放棄する子供、子供の嫌を真に受け嫌がることを何もさせない子・・・
彼らがいつちゃんとした大人になるのか?なりませんよ!絶対に!
大きくなればちゃんとする・・・これは家庭教育と学校教育がかみ合っている場合にのみ成り立つ話で、今むしろ皆さんが信じる言葉は大きくなればちゃんとするではなく、「三つ子の魂百まで」です。
いつかちゃんとするだろうと甘い予測をしてきたご家庭の悲惨な末路を私たちは見てきました。
英会話教室から始まった学習塾だからこそ他の教育機関では味わえない「幼少期から大学受験まで」見てきた多くの子の事例、そして二人の子供とその周りの結果を確認してきたから断言します。
年齢とともにいい加減な子がちゃんとする事はありません!
どこかで矯正しないとダメです!
人間は楽を求めて生きる生き物で、本来意思が弱いものなのです。
自由に伸び伸びとなんの教育も受けなければ、怠惰に流れるに決まっているのです。
もちろん例外もいるかもしれませんが、私は例外は無いと思っています。
厳しい家庭教育を受けている生徒さんはやはり勉強だけでなく優秀です。
しかし、自由とか子供の目がキラキラとか、個性とか、子供を信じるとか「躾」を行う前から言っているご家庭の子で優秀な子は見たことがありません。
よほどご両親が規律正しい生活と努力する姿を見せているご家庭だけです。
子供は大人を見ています。
今は本当に怠惰な大人が多いです・・・残念ながら子供たちの良いお手本にもあこがれの対象にもなれていません・・・
しかし日本人は教育を受ける事でしっかりと社会で活躍する力を身に着けてきたのに、今は恐ろしい数の「引きこもり」「ニート」が存在し、社会で働く人間も「出世」「昇給」には全く興味がなく、最低限の仕事だけしたいと言っています。
これで良いのでしょうか?我々の時代から新人類と呼ばれた新社会人、私が金融の仕事に就いた30年ほど前から今の若者は「休まない・さぼらない・仕事しない」と言われておりました。
現代の西洋教育の結果が今の社会人ではないでしょうか?
私がよく言う事ですが、我々が社会に出た30年ほど前に日本は「野村証券」が世界一の証券会社であり、NTTが企業の資産ランキング一位に君臨し、アメリカでSONYの家電を買う事がステータスとされ、世界中にHONDAとTOYOTAの車が輸出され日本には多くの外貨を稼ぐ手段がありました。
我々はその先人たちの作った「収入」を食いつぶし、今の貧しくなる国日本を作ってしまいました・・・
新しい産業は生まれず、世界から外貨を稼ぐ手段はなくなり、ただダラダラと働くサラリーマンを大量に排出してきたのが今の教育なのです。
学校が躾や社会性を教えない以上、家庭教育がしっかりするしかないと私は思います。
以前中学生の保護者からご相談いただいたのですが、子供が学校へ行かないゲーム機を買ってほしいとごねていると・・・
学校の担任の先生は「ゲーム機を買えば学校へ行くんですから買ってあげてもらえますか?」と言われたと・・・
私は全力で反対し、そんな事は絶対やめてくれと伝え止めました。
その後もその先生から「高校受験は頑張りなさい、でも私立専願にしなさい」と言われたとご相談いただき、呆れました。
そして三者面談で絶対公立は無理!私立しか合格できないし、私立へ行かないとこの子は不幸になるとまで言われたそうです。
結局その子は当教室で高校受験をして、絶対無理だと断言された公立高校へ進学しましたが学校の先生を責める気はありませんが、これが学校教育の実態なのです。
こんな話をすると「ちゃんとしている先生もいる!」と反論する方もいますが、もっとひどい先生も私はたくさん知っていますし教育の方向がおかしな方向へ行っている以上自己防衛しかないと思います。
子供たちが未来で苦しまないよう、学生時代にいろんな失敗や苦労を経験すべきなのです。
私が大学卒業後最初に入社した会社は金融会社でしたが、離職率が80%を軽く超える今の言葉で言えば「ブラック企業」でした。
入社し2か月は金融の資格免許のため全員「琵琶湖」のほとりに閉じ込められ、試験勉強をします。
そして、6月に各支店に免許を取った状態で配属、7月には半分が辞めていました・・・
入社一年目で社員旅行へ行きました、場所は北海道で同期で入社した80名のうち社員旅行まで残ったのは20人いませんでした。
二年目には6名程度・・・本当に信じられないくらい離職率の高い会社でした。
しかし、条件は悪くない会社で家賃・光熱費は会社もち、給料も初任給で手取り25万円程度、しかも大型の歩合付き。
総務部から結婚の時に「歩合だけ別口座にしますか?」と言われ、「そんな必要あるんですか?」と聞くと「皆さんそうしてます」と言われ驚きました。
確かに給料以上の歩合が稼げる会社でした、私には「好条件」の会社でしたが多くの社員にはブラックだったようです。
私も3年在籍し、自営業へ転職しましたが3年残ったのは大学までスポーツをしてきた体育会系と特殊な学生生活を送った人間だけでした。
私は厳しい社会の現実を「定時制高校」で経験していました。
肉体労働も、怪しい営業も、トラックの運転手もパチンコの店員もやりました。
その私から見れば金融会社は「いい会社」でした、運動部出身の体育会系の同僚も言ってました。
ちなみに同期で最初にやめた子は支店配属3日目に退職、中高一貫の私立校から国公立大を卒業したエリート候補生でした。
厳しい学生生活や厳しい社会でもまれた人間はどんな環境でもある程度耐えられます。
快適な学生生活は「快楽」以外何を与えてくれるのでしょうか?
本当に快適に学生生活を過ごし、整った状況で勉強をする必要があるのでしょうか?
私は学生生活のうちに「理不尽」や「忍耐」に耐性を作り、自分の本省や可能性を知ることが一番大切だと考えています。
我々は学校がやってくれていた教育ですが、今は「朝が苦手」が学校へ行かない理由として認められるのが現状です。
お子さんが優秀とか偏差値が高いとかではなく、今の教育のシステムに疑問をもってもらえませんか?
現代教育に真っ向から立ち向かっているのがA YUMMY STUDY 伸学土台教室です。
子供たちを強く・賢く育てる、そして自立させる!
当教室の開業当初から変わらぬ理念です。
しかし、冷静に見れば世界の教育も破壊されているのである意味普通なのでは?と誤解しがちだが日本と世界には決定的な違いある。
これは微妙な問題ではあるが、教育を考えるうえでどうしても避けては通れない問題だと思う。
世界と日本の決定的な違い、もっと言えば世界の教育へ日本が合わせて変化している事が何がまずいのか?
日本人は当然だが日本の標準が世界の標準とどれくらいズレているか?もっと言うなら日本が特殊な国だと気付いてい居ない人が多い。
世界では元々体罰は禁止であり、子供は自由に伸び伸び育てるという当たり前の感覚がある、だからこそ日本人は労働者として異常に高いレベルの能力を末端労働者まで持っていた事は世界的に見て脅威だった事実を知らなくてはいけない。
日本人は世界的に見て「能力もモラルも高い民族」であったと、過去に日本を訪れた偉人はみんな言っています。
それは日本の教育がとても素晴らしかった、もっと言えば日本人に合っていたといえると思う。
今は欧米の教育を猿真似する事で「個性」やら「個人の意思」「自由」などを提唱しているが、こんなものは日本には合わないと言わざるを得ない。
世界の標準である「個」の教育、「自由」を重んじる教育は日本になぜ合わないのか?と聞かれ即答できる教育者は少ないと思う。
日本と世界の決定的違いは「宗教観」なのだ。
日本では宗教は「アンタッチャブル」、もっと言えば「おかしい」とか「怖い」というイメージを持っている人がいるが、世界の教育の根底には宗教観があり、法律や憲法にまで影響している国がほとんどだ。
宗教を無視して国を作る事は出来ないともいえる。
日本は仏教徒だと勘違いしている人も多いが、日本は神道の国であり「神道と仏教の融合」を見事成し遂げたのが「聖徳太子」である。
しかし神道は経典や布教活動をしている人もおらず、しかも多神教でありなかなか「宗教」というカテゴリーに入れていいのかどうかも悩むレベルのものだ。
神道は何かを教えてもらうという形ではなく、感じ取るとか考えるというものでキリスト教のようにミサへ行き牧師の説教を聞くこともない。
仏教のように僧侶のありがたい話を聞くわけでもない、ましてや集会を開き意思統一や神の教えを乞う事もない。
これが教育とどう影響しているのか?実は世界の教育は根底に宗教の教えがあるから機能しているものものであって、日本のように宗教観の無い国では最低限のルールが守られないという点で合わないのだ。
私の兄はバリバリのキリスト教徒だが、まだ平成の時代であったにせよ5歳くらいの子をムチで叩くという教育をしていた。
何故なら「性悪説」という考え方があり、子供は元が悪であり矯正し人として生きられるという考え方が「家庭教育」で行われているからである。
各家庭で厳しく性悪説を元に体罰もやむを得ない教育で矯正された子供たちが学校で伸び伸びと教育を受けるのは悪くないと思う。
しかし、日本は「性善説」を元に家庭教育を行っていて、人は元々善であり悪い情報に触れて悪へと変化する事があると考えている。
そして日本は元々幼少期は神様からの預かり者として子供を教育したので、ああしろこうしろとは言わず各家庭で自由に過ごしていたのだ。
そして学校へ入学し、規律や我慢・努力を学び大人へと成長していくのです。
簡単に言うと家庭教育で「矯正」をするか、集団教育で「矯正」するかの違いなのです。
各家庭でちゃんと教育を受け「矯正」されている子が学校で伸び伸び過ごすのはいわば当たり前のことで、西洋の教育は宗教観と家庭教育を背景に成り立っている「個」の教育なのです。
日本はどうなのか?各家庭で自由に子供たちは伸び伸びとムチで打たれたり、宗教観を背景にしつけられることもなく学校へ進学しそこで「個」を重視した伸び伸び教育を受けていつ矯正されるのでしょうか?
今会社や学校で大きな問題となっているのが「常識の違い」なのです。
8時から始まる仕事に8時に来る社員、朝が苦手という理由で学校へ行かないという選択をする家庭、やりたくないという理由で宿題をしないという選択、意味が分からないと勉強を放棄する子供、子供の嫌を真に受け嫌がることを何もさせない子・・・
彼らがいつちゃんとした大人になるのか?なりませんよ!絶対に!
大きくなればちゃんとする・・・これは家庭教育と学校教育がかみ合っている場合にのみ成り立つ話で、今むしろ皆さんが信じる言葉は大きくなればちゃんとするではなく、「三つ子の魂百まで」です。
いつかちゃんとするだろうと甘い予測をしてきたご家庭の悲惨な末路を私たちは見てきました。
英会話教室から始まった学習塾だからこそ他の教育機関では味わえない「幼少期から大学受験まで」見てきた多くの子の事例、そして二人の子供とその周りの結果を確認してきたから断言します。
年齢とともにいい加減な子がちゃんとする事はありません!
どこかで矯正しないとダメです!
人間は楽を求めて生きる生き物で、本来意思が弱いものなのです。
自由に伸び伸びとなんの教育も受けなければ、怠惰に流れるに決まっているのです。
もちろん例外もいるかもしれませんが、私は例外は無いと思っています。
厳しい家庭教育を受けている生徒さんはやはり勉強だけでなく優秀です。
しかし、自由とか子供の目がキラキラとか、個性とか、子供を信じるとか「躾」を行う前から言っているご家庭の子で優秀な子は見たことがありません。
よほどご両親が規律正しい生活と努力する姿を見せているご家庭だけです。
子供は大人を見ています。
今は本当に怠惰な大人が多いです・・・残念ながら子供たちの良いお手本にもあこがれの対象にもなれていません・・・
しかし日本人は教育を受ける事でしっかりと社会で活躍する力を身に着けてきたのに、今は恐ろしい数の「引きこもり」「ニート」が存在し、社会で働く人間も「出世」「昇給」には全く興味がなく、最低限の仕事だけしたいと言っています。
これで良いのでしょうか?我々の時代から新人類と呼ばれた新社会人、私が金融の仕事に就いた30年ほど前から今の若者は「休まない・さぼらない・仕事しない」と言われておりました。
現代の西洋教育の結果が今の社会人ではないでしょうか?
私がよく言う事ですが、我々が社会に出た30年ほど前に日本は「野村証券」が世界一の証券会社であり、NTTが企業の資産ランキング一位に君臨し、アメリカでSONYの家電を買う事がステータスとされ、世界中にHONDAとTOYOTAの車が輸出され日本には多くの外貨を稼ぐ手段がありました。
我々はその先人たちの作った「収入」を食いつぶし、今の貧しくなる国日本を作ってしまいました・・・
新しい産業は生まれず、世界から外貨を稼ぐ手段はなくなり、ただダラダラと働くサラリーマンを大量に排出してきたのが今の教育なのです。
学校が躾や社会性を教えない以上、家庭教育がしっかりするしかないと私は思います。
以前中学生の保護者からご相談いただいたのですが、子供が学校へ行かないゲーム機を買ってほしいとごねていると・・・
学校の担任の先生は「ゲーム機を買えば学校へ行くんですから買ってあげてもらえますか?」と言われたと・・・
私は全力で反対し、そんな事は絶対やめてくれと伝え止めました。
その後もその先生から「高校受験は頑張りなさい、でも私立専願にしなさい」と言われたとご相談いただき、呆れました。
そして三者面談で絶対公立は無理!私立しか合格できないし、私立へ行かないとこの子は不幸になるとまで言われたそうです。
結局その子は当教室で高校受験をして、絶対無理だと断言された公立高校へ進学しましたが学校の先生を責める気はありませんが、これが学校教育の実態なのです。
こんな話をすると「ちゃんとしている先生もいる!」と反論する方もいますが、もっとひどい先生も私はたくさん知っていますし教育の方向がおかしな方向へ行っている以上自己防衛しかないと思います。
子供たちが未来で苦しまないよう、学生時代にいろんな失敗や苦労を経験すべきなのです。
私が大学卒業後最初に入社した会社は金融会社でしたが、離職率が80%を軽く超える今の言葉で言えば「ブラック企業」でした。
入社し2か月は金融の資格免許のため全員「琵琶湖」のほとりに閉じ込められ、試験勉強をします。
そして、6月に各支店に免許を取った状態で配属、7月には半分が辞めていました・・・
入社一年目で社員旅行へ行きました、場所は北海道で同期で入社した80名のうち社員旅行まで残ったのは20人いませんでした。
二年目には6名程度・・・本当に信じられないくらい離職率の高い会社でした。
しかし、条件は悪くない会社で家賃・光熱費は会社もち、給料も初任給で手取り25万円程度、しかも大型の歩合付き。
総務部から結婚の時に「歩合だけ別口座にしますか?」と言われ、「そんな必要あるんですか?」と聞くと「皆さんそうしてます」と言われ驚きました。
確かに給料以上の歩合が稼げる会社でした、私には「好条件」の会社でしたが多くの社員にはブラックだったようです。
私も3年在籍し、自営業へ転職しましたが3年残ったのは大学までスポーツをしてきた体育会系と特殊な学生生活を送った人間だけでした。
私は厳しい社会の現実を「定時制高校」で経験していました。
肉体労働も、怪しい営業も、トラックの運転手もパチンコの店員もやりました。
その私から見れば金融会社は「いい会社」でした、運動部出身の体育会系の同僚も言ってました。
ちなみに同期で最初にやめた子は支店配属3日目に退職、中高一貫の私立校から国公立大を卒業したエリート候補生でした。
厳しい学生生活や厳しい社会でもまれた人間はどんな環境でもある程度耐えられます。
快適な学生生活は「快楽」以外何を与えてくれるのでしょうか?
本当に快適に学生生活を過ごし、整った状況で勉強をする必要があるのでしょうか?
私は学生生活のうちに「理不尽」や「忍耐」に耐性を作り、自分の本省や可能性を知ることが一番大切だと考えています。
我々は学校がやってくれていた教育ですが、今は「朝が苦手」が学校へ行かない理由として認められるのが現状です。
お子さんが優秀とか偏差値が高いとかではなく、今の教育のシステムに疑問をもってもらえませんか?
現代教育に真っ向から立ち向かっているのがA YUMMY STUDY 伸学土台教室です。
子供たちを強く・賢く育てる、そして自立させる!
当教室の開業当初から変わらぬ理念です。
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