思考力を奪う「答え」を与える環境、正解か間違いかは自分がきめるもの
今のメディアの報道を聞いていると、昔親に「テレビを見るとアホになる」と言われた事を思い出します。
前に書きましたが「答えを与える事」を目的としていて、考えさせる余地がほぼありません。
専門家と呼ばれる「似非学者」が間違った答えに誘導し、テレビに飼いならされた「芸能人」が同意して「この答えが正解」だと思い込ませる・・・こんな茶番が毎日「報道番組」と名付けられ垂れ流されている。
私は野球の世界で「答えを教える」怖さを思い知りました。
私が初めて凄い!と感じた指導者は全ての事に理由が明確にあり、それをことあるごとに子供たちに教えていました。
練習中でも何かあれば、ワンプレーごとに集合させ「今のは○○が良くなかった、こうすべきだった」とわかりやすく説明していました。
しかし、そのチームは万年負け越し、野球大好きだった息子の同級生は野球を中学で辞めてしまいました・・・半分以上の子が野球を高校ではやっていなかったのです。
そしてその指導者が口癖が「野球を長くやるために、ケガしないように」でしたが、けが人も続出、なんか違うと感じていました。
その後別のチームに移り、そこですごい指導者に会いました。
その指導者は一切説明がない指導者でした、ただまずいプレーをするとグランドから出され少し経つと同じ状況でプレーさせ「わかってないの~」というか「それや!」というかだけ。
試合でも走塁ミスや守備のミスがあれば、すぐ「ベンチに帰ってこい!」と交代、理由も何も告げません。
そして子供たちは自分達で「今の何があかんねん!」と話し合い、答えを出す。
簡単に言うと指導しない、答えも言わない、というスタイルでした。
そのチームは硬式野球大会の最高峰アンダーアーマーカップという大会で準優勝・優勝・一回戦負け・優勝と輝かしい成績を残し、指導者の方は仕事が忙しいとの理由で勇退されチームもなくなりました。
しかし、答えを言わない、考えさせるという指導の難しさとすごさを実感した素晴らしい経験でした。
そして地元の公立高校で野球を続けた息子は小学校時代ともに「答えのない」野球をしたチームメイトと多く対戦し、みんな素晴らしいプレーヤーになっていました。
答えを教えることは考えさせないことであり、応用力を奪う事だと私は思っています。
しかし、答えをもらった方が楽なのですが「つまらない」のです、答えを考えるのはしんどいのですが「楽しい」のです。
今は学校もメディアも答えを押し付けてくるので、子供たちは考える事をしなくなっています。
私は考えることが重要であり、正解するかなどどうでもいいと思っています。
なぜなら、勉強には答えはありますが人生に答えはないのです。
仮に結婚したパートナーが暴力をふるう人だとします、離婚するのが正解か?子供のために婚姻関係を維持するのが正解か?誰にもわかりません。
全て同じなのです、この会社に就職するのは正解か?ここで独立すべきか?会社に残るべきか?この人と人生を歩むのが正解か?子供に何を習わせるのが正解か?誰にも答えはわかりません。
ここで大切なのは、選択よりも覚悟だと私は思っています。
選択が正解かどうかはそのあとの自分の行動で決まるのが人生のほとんどなのです。
抜群のタイミングで時流に乗った商売を開業しても、やることやらなければ潰れます。
皆さんは男前豆腐をご存じですか?
あの会社の社長は豆腐屋を継いだ時に「豆腐は衰退産業」と教えられ、豆腐は市場が固定され何をやっても売り上げなど変わらないと言われていたそうです。
そして業界の常識を破った「高級豆腐」を発売し、大成功したのです、まさに終わったと言われていた業界で成功したのです。
勉強には必ず答えがあります、だから答えを求める人間を量産できるのですが、勉強はすぐに自分の判断が正しかったか間違っていたかわかるのです。
そんな簡単な問題を自分で考えずして、人生の問題に答えが出せますか?
恐らく無理でしょう、日本が先進国の中で世界一の分野があります。
一つは日本は世界一大人が勉強しない国だそうです。
もう一つは若者の自殺率です。
自殺は人生に絶望する事が理由の一つで、絶望するのは「答え」がわからないからです。
解決法を見いだせないし、正解を知らないと動けないという「思考回路」が生み出すのです。
そろそろテレビ見るのやめませんか?
子供の質問に「知識」で答えるのやめませんか?
一緒に考えてみませんか?何がより良い選択なのか?
人の意見で判断するのもうやめませんか?
前に書きましたが「答えを与える事」を目的としていて、考えさせる余地がほぼありません。
専門家と呼ばれる「似非学者」が間違った答えに誘導し、テレビに飼いならされた「芸能人」が同意して「この答えが正解」だと思い込ませる・・・こんな茶番が毎日「報道番組」と名付けられ垂れ流されている。
私は野球の世界で「答えを教える」怖さを思い知りました。
私が初めて凄い!と感じた指導者は全ての事に理由が明確にあり、それをことあるごとに子供たちに教えていました。
練習中でも何かあれば、ワンプレーごとに集合させ「今のは○○が良くなかった、こうすべきだった」とわかりやすく説明していました。
しかし、そのチームは万年負け越し、野球大好きだった息子の同級生は野球を中学で辞めてしまいました・・・半分以上の子が野球を高校ではやっていなかったのです。
そしてその指導者が口癖が「野球を長くやるために、ケガしないように」でしたが、けが人も続出、なんか違うと感じていました。
その後別のチームに移り、そこですごい指導者に会いました。
その指導者は一切説明がない指導者でした、ただまずいプレーをするとグランドから出され少し経つと同じ状況でプレーさせ「わかってないの~」というか「それや!」というかだけ。
試合でも走塁ミスや守備のミスがあれば、すぐ「ベンチに帰ってこい!」と交代、理由も何も告げません。
そして子供たちは自分達で「今の何があかんねん!」と話し合い、答えを出す。
簡単に言うと指導しない、答えも言わない、というスタイルでした。
そのチームは硬式野球大会の最高峰アンダーアーマーカップという大会で準優勝・優勝・一回戦負け・優勝と輝かしい成績を残し、指導者の方は仕事が忙しいとの理由で勇退されチームもなくなりました。
しかし、答えを言わない、考えさせるという指導の難しさとすごさを実感した素晴らしい経験でした。
そして地元の公立高校で野球を続けた息子は小学校時代ともに「答えのない」野球をしたチームメイトと多く対戦し、みんな素晴らしいプレーヤーになっていました。
答えを教えることは考えさせないことであり、応用力を奪う事だと私は思っています。
しかし、答えをもらった方が楽なのですが「つまらない」のです、答えを考えるのはしんどいのですが「楽しい」のです。
今は学校もメディアも答えを押し付けてくるので、子供たちは考える事をしなくなっています。
私は考えることが重要であり、正解するかなどどうでもいいと思っています。
なぜなら、勉強には答えはありますが人生に答えはないのです。
仮に結婚したパートナーが暴力をふるう人だとします、離婚するのが正解か?子供のために婚姻関係を維持するのが正解か?誰にもわかりません。
全て同じなのです、この会社に就職するのは正解か?ここで独立すべきか?会社に残るべきか?この人と人生を歩むのが正解か?子供に何を習わせるのが正解か?誰にも答えはわかりません。
ここで大切なのは、選択よりも覚悟だと私は思っています。
選択が正解かどうかはそのあとの自分の行動で決まるのが人生のほとんどなのです。
抜群のタイミングで時流に乗った商売を開業しても、やることやらなければ潰れます。
皆さんは男前豆腐をご存じですか?
あの会社の社長は豆腐屋を継いだ時に「豆腐は衰退産業」と教えられ、豆腐は市場が固定され何をやっても売り上げなど変わらないと言われていたそうです。
そして業界の常識を破った「高級豆腐」を発売し、大成功したのです、まさに終わったと言われていた業界で成功したのです。
勉強には必ず答えがあります、だから答えを求める人間を量産できるのですが、勉強はすぐに自分の判断が正しかったか間違っていたかわかるのです。
そんな簡単な問題を自分で考えずして、人生の問題に答えが出せますか?
恐らく無理でしょう、日本が先進国の中で世界一の分野があります。
一つは日本は世界一大人が勉強しない国だそうです。
もう一つは若者の自殺率です。
自殺は人生に絶望する事が理由の一つで、絶望するのは「答え」がわからないからです。
解決法を見いだせないし、正解を知らないと動けないという「思考回路」が生み出すのです。
そろそろテレビ見るのやめませんか?
子供の質問に「知識」で答えるのやめませんか?
一緒に考えてみませんか?何がより良い選択なのか?
人の意見で判断するのもうやめませんか?
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