教育をする上で有利な能力それは「ウソ」を見抜く能力
私が今まで生きてきた中で優秀な指導者と言われる人で「優しい人」は一人も居ませんでした。
正確に言うと「優しいふり」をしている人は居なかった事は間違いないとと思います。
ただし、優しい指導で結果を出す人も居ますが「元々優秀なメンツをそろえている人」だと断言して間違いありません。
元々優秀な人間はそもそも厳しくする必要が無いのです、何故なら優秀な人達は「自分に厳しい」から優秀なのです。
私が最初に就職した金融の会社で「一番厳しい上司の下に配属して欲しい」と言ったのですが、それは自分が自分に甘い人間だと勉強の世界で思い知らされていたからです。
その最初に配属された上司とは今でも年賀状のやり取りをしていて「今年は大阪に行ったときに酒でも飲むか?」と書いていたのはとても嬉しい言葉でした。
結局仕事も勉強もスポーツも、自分に厳しい人間はある程度の結果を出すのです。
特に勉強に関しては自分に厳しい人間で結果の出ない人間など居ない、一人も居ない、この事実から分ることは「勉強が嫌い」とか「苦手」とか言ってる生徒さんは自分に甘いと言う結論にしかならないのです。
そして自分に甘い生徒さんほど「甘い環境」を求めているので、なかなか難しいのが現状です。
模試、うちの子は自分に厳し子だが勉強が苦手だ!と言う子がいれば、すぐに成績を上げてくれますよ!どこの塾でもです。
しかし、多くの出来ない生徒さんは「より楽な環境」や「優しい指導」を求め、塾を転塾してますが、結果を出す所を見たことがありません。
この話をするとすぐ「うちは甘い教育をしていない!」とか「うちはわりと厳しい」とおっしゃるのですが、恐らく厳しいと言う意味を分っていないと思います。
前にも書きましたが、息子の野球チームに居たお父さんが自信満々に「うちは厳しく教育しています!」と断言していましたが、激甘教育で母親の事を平気で人前で「ばばあ!金よこせ!」という子供でした。
何が厳しいかと考えれば、お父さんはすぐに子供をビンタする所?くらいだったのです、しかもお父さんの気分で・・・
それは厳しいのでは無く「気分でしばく」と言う最悪な教育だと本人に自覚が無いのが怖かったです。
私は厳しい教育とは一度決めたことを曲げないと言う事だと思っています。
そして私が怖いと言われる一番の理由は「ウソ」を見抜くと言う能力にあります。
私は生きてきた中で「現象」と「原因」を必ず考えなければ生きて行けない人生を歩んで来たので、「現象」と「原因」を分けて必ず「原因」を追求して来ました。
例えば、奥さんが怒っている・・・「何故?洗濯物をリビングに脱ぎっぱなしにするのか?」と怒られる場合、怒っていると発言しているのは「洗濯物」ですが「原因」は「誕生日を忘れていた事」だったりするのです。
この「誕生日問題」を解決しないと、怒りが収まる訳が無いのです・・・ちなみに一生懸命洗濯物を洗濯機に入れても何も変わりません。
勉強でも同じ現象が起きているのです!例えば宿題をやっていない、テスト勉強をしない、課題をやっていない・・・等などその「現象」を注意する講師が多いのですが「原因」を追求していません。
原因を解決しないと「根本的解決」にはならないのです。
例えば、宿題や課題をしていない原因が「学校生活のトラブル」なら、その問題を解決しないとまた課題や宿題をやらないだけです。
ここで重要なのは子供達がつく「稚拙なウソ」を信じてはいけないと言う事です。
子供は悪気無く「ウソ」をとっさにつきます、そして辻褄合わせのため「ウソにウソを重ねる」行為に出ます。
そして最初信じていた大人は話しているうちに「ウソ」に対して激怒し、そもそもの問題である「課題や宿題」をしていない事を忘れて「ウソは絶対ダメだ!人として最低だ!」とか道徳の授業が始まっていきます・・・
私もウソは辞めろと言いますが理由は二つです、一つめは「見抜く」ために使う時間が無駄、もう一つは「ウソは自分よりアホな人間にしか通用しないから」と教えています。
そして私はウソを見抜くのが天才的だと自分で思っています、何故なら自分が子供の時に「嘘つき」だったからです。
もう一つ私は「言い訳を聞かない」からです。
どんな事情があってもたまにしか宿題を忘れない子を怒る事はありません、しかしどんな事情があろうとも頻繁に忘れる子が忘れたらお説教モードが発動です。
そして、今回の宿題が出来る出来ないの事情なんかどうでも良い、普段の行動で判断されていると思い知りなさい!と伝えます。
昔、「子供を疑うのか!それが教育か!」と激怒した保護者の方が居たので、普段どれくらい宿題をしていないか?普段どれくらい適当か?を説明して納得してもらいましたが、一つ一つの事実の検証など私はどうでも良いと思っています。
結局普段の行動なのです、そして私がウソを簡単に見破るのは「何故こんなことを言うのか?」を考えれば簡単に分るからです。
そして多くの生徒さんが真面目に宿題や課題に取り組み、勉強を苦手としなくなり、ドンドン出来る様になります。
しかし私がどうしようも無いと感じてしまう生徒さんは「私は子供を信じている!」と現実を見ず、子供のウソに援護射撃をしてくるご家庭はどうしようもありません・・・
何故なら子供はウソに対して証拠を突きつければ素直に「ごめんなさい」と言えるし反省もしてくれますが、大人は後に引けなくなって感情論になりどうしようも無くなるので親が出てきたら私も証拠を引っ込めます。
そして最悪なのは子供はしてやったりなのです・・・困った時に親に訴えれば親が援護射撃に来てくれて、自分の事を弁護してくれると学習してしまうのです。
昔は親までまとめて・・・という事がありましたが、結局大人は事実を見せても認めなし、自分の意見を絶対に曲げないのでもう辞めました。
お子さんの教育を真剣に考えている皆さんにお願いです、子供の稚拙なウソを信じないであげて欲しい。
ウソをつくのは通じるからウソをつくのです、ウソが通じなければ「ウソをつくことは無い」と覚えていただきたいです。
子供ウソに悪意はありません、しかし子供は成長するとウソを利用し始めます、その頃には我々に証拠をつかませるような事を子供はしません。
幼少期、せめて小学生の4年生にまでにウソは通じない、ウソをついたら大変な事になると実感させておく事がとても重要です。
正確に言うと「優しいふり」をしている人は居なかった事は間違いないとと思います。
ただし、優しい指導で結果を出す人も居ますが「元々優秀なメンツをそろえている人」だと断言して間違いありません。
元々優秀な人間はそもそも厳しくする必要が無いのです、何故なら優秀な人達は「自分に厳しい」から優秀なのです。
私が最初に就職した金融の会社で「一番厳しい上司の下に配属して欲しい」と言ったのですが、それは自分が自分に甘い人間だと勉強の世界で思い知らされていたからです。
その最初に配属された上司とは今でも年賀状のやり取りをしていて「今年は大阪に行ったときに酒でも飲むか?」と書いていたのはとても嬉しい言葉でした。
結局仕事も勉強もスポーツも、自分に厳しい人間はある程度の結果を出すのです。
特に勉強に関しては自分に厳しい人間で結果の出ない人間など居ない、一人も居ない、この事実から分ることは「勉強が嫌い」とか「苦手」とか言ってる生徒さんは自分に甘いと言う結論にしかならないのです。
そして自分に甘い生徒さんほど「甘い環境」を求めているので、なかなか難しいのが現状です。
模試、うちの子は自分に厳し子だが勉強が苦手だ!と言う子がいれば、すぐに成績を上げてくれますよ!どこの塾でもです。
しかし、多くの出来ない生徒さんは「より楽な環境」や「優しい指導」を求め、塾を転塾してますが、結果を出す所を見たことがありません。
この話をするとすぐ「うちは甘い教育をしていない!」とか「うちはわりと厳しい」とおっしゃるのですが、恐らく厳しいと言う意味を分っていないと思います。
前にも書きましたが、息子の野球チームに居たお父さんが自信満々に「うちは厳しく教育しています!」と断言していましたが、激甘教育で母親の事を平気で人前で「ばばあ!金よこせ!」という子供でした。
何が厳しいかと考えれば、お父さんはすぐに子供をビンタする所?くらいだったのです、しかもお父さんの気分で・・・
それは厳しいのでは無く「気分でしばく」と言う最悪な教育だと本人に自覚が無いのが怖かったです。
私は厳しい教育とは一度決めたことを曲げないと言う事だと思っています。
そして私が怖いと言われる一番の理由は「ウソ」を見抜くと言う能力にあります。
私は生きてきた中で「現象」と「原因」を必ず考えなければ生きて行けない人生を歩んで来たので、「現象」と「原因」を分けて必ず「原因」を追求して来ました。
例えば、奥さんが怒っている・・・「何故?洗濯物をリビングに脱ぎっぱなしにするのか?」と怒られる場合、怒っていると発言しているのは「洗濯物」ですが「原因」は「誕生日を忘れていた事」だったりするのです。
この「誕生日問題」を解決しないと、怒りが収まる訳が無いのです・・・ちなみに一生懸命洗濯物を洗濯機に入れても何も変わりません。
勉強でも同じ現象が起きているのです!例えば宿題をやっていない、テスト勉強をしない、課題をやっていない・・・等などその「現象」を注意する講師が多いのですが「原因」を追求していません。
原因を解決しないと「根本的解決」にはならないのです。
例えば、宿題や課題をしていない原因が「学校生活のトラブル」なら、その問題を解決しないとまた課題や宿題をやらないだけです。
ここで重要なのは子供達がつく「稚拙なウソ」を信じてはいけないと言う事です。
子供は悪気無く「ウソ」をとっさにつきます、そして辻褄合わせのため「ウソにウソを重ねる」行為に出ます。
そして最初信じていた大人は話しているうちに「ウソ」に対して激怒し、そもそもの問題である「課題や宿題」をしていない事を忘れて「ウソは絶対ダメだ!人として最低だ!」とか道徳の授業が始まっていきます・・・
私もウソは辞めろと言いますが理由は二つです、一つめは「見抜く」ために使う時間が無駄、もう一つは「ウソは自分よりアホな人間にしか通用しないから」と教えています。
そして私はウソを見抜くのが天才的だと自分で思っています、何故なら自分が子供の時に「嘘つき」だったからです。
もう一つ私は「言い訳を聞かない」からです。
どんな事情があってもたまにしか宿題を忘れない子を怒る事はありません、しかしどんな事情があろうとも頻繁に忘れる子が忘れたらお説教モードが発動です。
そして、今回の宿題が出来る出来ないの事情なんかどうでも良い、普段の行動で判断されていると思い知りなさい!と伝えます。
昔、「子供を疑うのか!それが教育か!」と激怒した保護者の方が居たので、普段どれくらい宿題をしていないか?普段どれくらい適当か?を説明して納得してもらいましたが、一つ一つの事実の検証など私はどうでも良いと思っています。
結局普段の行動なのです、そして私がウソを簡単に見破るのは「何故こんなことを言うのか?」を考えれば簡単に分るからです。
そして多くの生徒さんが真面目に宿題や課題に取り組み、勉強を苦手としなくなり、ドンドン出来る様になります。
しかし私がどうしようも無いと感じてしまう生徒さんは「私は子供を信じている!」と現実を見ず、子供のウソに援護射撃をしてくるご家庭はどうしようもありません・・・
何故なら子供はウソに対して証拠を突きつければ素直に「ごめんなさい」と言えるし反省もしてくれますが、大人は後に引けなくなって感情論になりどうしようも無くなるので親が出てきたら私も証拠を引っ込めます。
そして最悪なのは子供はしてやったりなのです・・・困った時に親に訴えれば親が援護射撃に来てくれて、自分の事を弁護してくれると学習してしまうのです。
昔は親までまとめて・・・という事がありましたが、結局大人は事実を見せても認めなし、自分の意見を絶対に曲げないのでもう辞めました。
お子さんの教育を真剣に考えている皆さんにお願いです、子供の稚拙なウソを信じないであげて欲しい。
ウソをつくのは通じるからウソをつくのです、ウソが通じなければ「ウソをつくことは無い」と覚えていただきたいです。
子供ウソに悪意はありません、しかし子供は成長するとウソを利用し始めます、その頃には我々に証拠をつかませるような事を子供はしません。
幼少期、せめて小学生の4年生にまでにウソは通じない、ウソをついたら大変な事になると実感させておく事がとても重要です。
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