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A YUMMY STUDY 伸学土台教室 高校生部門 いよいよ開講致します。

今まで高校生部門は小中学生の卒業生のみとして来ましたが、正式に開校する事になりました。

高校生部門に関してましては、高校をスタディーサプリで乗り切れる「学習能力」を指導すると言うコンセプトで指導してきました。

しかし、高校生を対象とした塾で「当教室と考え方の合う塾」が見当たらないというのが現状です。

もちろん成績の良い子、優秀な子は何処でも結果を出してくれているのですが、いい加減な塾を選んでしまったがために「潰されてしまった子」も少なくありません。

数年前に卒業生の大学受験結果の報告を聞いたときに、なんでそうなった???と聞いた所「塾の指導」だったと聞き、塾名を聞きましたが「そんな所に行くからやん!」と言うと「ダディーの所が高校生やってないからやんか!」と言われ落ち込みました。

確かに、当教室で学んだ子の多くが「何処でも結果が出せる子」なのですが、自分のレベルよりも低い生徒さんを対象としている塾へ入学し大失敗という話は聞いたことがありましたがまさか当教室の卒業生がそんな目に合うとは考えていませんでした。

中学受験・高校受験も同じだったのですが「そんな結果なら、俺でも出せるで!」という塾へ高い塾費を払っている生徒さんがいることを知り、大学受験にもとうとう乗り出す羽目になりました。

しかし、実績と信用を売りとしているA YUMMY STUDY 伸学土台教室ですからきちっと準備が出来るまでは開校するまいと考えていましたので準備は進めてきました。

そして2023年度の受験から、大学受験にも挑戦する事になりました。

小学校・中学校とは全く違う形で行いますので、詳細はお問い合わせ下さい。
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日本で唯一、算学の神様をお祀りしている神社

私は運をとても大切にしています。

それは人の力など所詮知れていると思う事が幼少期からとても多いからです。

私の父は鋳物を製造する会社の社長でした。

父は大阪工業大学へ親の反対を押し切って進学、勉強を必死にして大学で講師として勤める予定だったそうです。

しかし、父の卒業間近になった時期に、会社の創業者で経営者だった祖父が他界し父は選択の余地もなく後を継いだそうです。

私は父が必至に働く姿を見ていました・・・当時の父に比べたら今の私は仕事をしているとは呼べないくらい父は必死に働いていました。

しかし私が中学3年生の時に会社は倒産しました。

その後、夜逃げ同然で親戚に預けられた私はちょうど高校受験の時期でした。

そしてその親戚も私を面倒見切れず、受験の数か月前に母が身を寄せていた京都の舞鶴市に引っ越しました。

そして高校受験、偏差値の高い私立高校へは合格しましたが、公立高校は不合格・・・私にとっては中学受験に続き2連敗。

家の状態も理解していたので何とか公立へと思っていましたが、裏切る形となりつらい思いをしました。

その後も色んな事がありました・・・まさに人の力ではそうしようもない事が次々と起こりました。

その後も関西に戻りましたが、阪神大震災で家がなくなり、多くの友人知人を失いました。

結局人の努力出来る箇所は本当にごく一部で、自然や運命には逆らえないと思うようになっていきました。

しかし同時に運のよい人生を送る人も多く知っていますが、まさに人事を尽くして天命を待つを言う生き方をしている人がほとんどでした。

だから私は自分が出来る事は出来るだけ自分で努力する、いい加減な人間ではあるけども今の自分が出来る予防策はする、あとは運を天に任せる。

そのように考えています。

実は受験も同じです、我々生徒さんと講師の出来る事は出来るだけやる、しかし運というどうしようもない変数が人生には存在します。

そこはもう素直に神頼みです。

私は和歌山県にある「熊野本宮」へ毎年二回行きます、4月の年度初めとお正月元旦の二回行っています。

熊野本宮は八咫烏の伝説が有名な所で、サッカーの日本代表も願掛けに来る有名な神社んです。

熊野本宮は全国に熊野神社として分社があり、その一つが西宮の熊野神社です。

熊野の御神様は「導きの神」で正しい方向へ導いてくれる神様だそうです。

そして、私の大好きな熊野本宮の分社が西宮にあり、その中に「算学神社」という日本で唯一の算数の神様が祀られたお社が隅にひっそりとあります。

私は熊野大社の分社を探して、この算学神社に出会ったときは「運命」を感じました。

毎年受験生とここに初詣に行き、合格祈願するのが恒例となっています。

先日、今年の受験終了のお礼と素晴らしい結果に感謝を伝えにお参りしました。

私は受験生にも、自分の子供にも「実力」以外で結果が伴わないというのが嫌なので、出来る事は出来るだけやり最新のノウハウやテクニックを伝授し運は神頼みで毎年挑んでいます。

神頼みだけでもダメだし、やはり運という変数をバカにできない事も事実なのです。

運を左右するのは何なのか?それは「自分が人に恥じる行動をしない」という事なのです。

その一つが挨拶・礼儀・姿勢なのです。

そして、私は法律やモラル、常識と違っていても違う事は違うと言わない事を卑怯と考える人間です。

私の訴える「人間性」とはズバリそこなのです。

周りからの評価や評判などどうでもいいのです、自分がどう思われたいか?ではなく、どうなりたいか?なのです。

自分が正しいと思える事を言い、行動できる。

それこそが正義であり、人に恥じる事無い行動だと私は思います。

最近国語の授業で二宮金次郎の言葉を生徒さんには強く印象付けています。

その言葉は「道徳を忘れた経済は罪悪でる。経済を忘れた道徳は寝言である」なのです。

正しい正しくないは時代によって変化します。

しかし、何が正しく何が正しくないかはみんな心の中で分かっています、しかし常識や決まり、周りの目を言い訳に正しくない結論を出しているのです。

そんな人間に追い風が吹くわけがないと誰もが心の中で気づいているはずです。

だから私は自分が正しいと思える事を言い、行動し、運を天に任せるのです。

運が良ければ人生は全て上手くいきます、しかしその運を決めるのは言動です。

規則や世論に従う事ではなく、自分の中の正義に従う行動です。

当教室は受験生にそれを教えているのです。

だから運を天に任せるのです。

過去を見ると現在が分かります、良くなっているのか?悪くなっているのか?

今日でとりあえず今年度は終了したと同じ、色々と事務所や教室を片付けていると過去のデーターや手帳が出てきました。

読み返したり、思い出したりするとやはり開業当初の自分と奥さんは「情熱」が凄いと思い知らされます。

2年目の高校受験が終わった時、あまりの疲労で肩こりから首を痛め病院送りになった事を思い出して懐かしく思いました。

そして数年前の高校受験生が今年と同じ十人を超える年でそこに芦屋国際の受験生7人、中学受験生も重なりかなりハードスケジュールで手帳に教室のいすに座っていてもめまいが止まらないと書いてあり、我ながらスゲーと思いながら見ていました。

ほんの2~3年前まで高校受験が終わると一度倒れるか入院か寝込むというのが恒例で、受験で燃え尽きるのが毎年の事でした。

しかしいつからか、受験が終わってもそのまま翌年度の準備に入る事が出来るようになり、今も仕事を平然としています。

これは良いことなのか?悪い事なのか?少し考えてしまいます。

つまり、この仕事に慣れてしまい、テクニックを覚え、技術も身に付けそれと反比例する様に「情熱」は無くなっている様に思います。

開業当初は「こんな小さい無名の塾で受験をしてくれるのだから、粉骨砕身やり切るんだ!」と意気込んだものです。

当時は受験の事があまり分からず、とにかく一生懸命やる以外信頼に応える方法が無かった気がします。

しかし、年々データーを取り、技術も上がり、知識・知恵も付いてきて確かに「指導力」は格段に上がったと思いますが、情熱を失っていると感じました。

私は以前から仕事をする人に訴えている事は「はじめは情熱があるが腕が無い、その内腕が上がるが情熱は冷めていく。だから熱い仕事をしなければ情熱が冷め腕も無いどうしようも無い人間になるぞ!」です。

確かに情熱を失う代わりに手に入れた技術は凄い・・・とみんな言ってくれます。

しかし、平凡・当たり前の嫌いな私はダメかも知れないけど「今の技術知識を持って、もう一度激熱受験に挑戦しもう一段階上へ挑戦したい」と考えました。

ただ、夜中に人が考える事は大体実行されないか、冷静になって目標修正が関の山です。

だから私はブログに残し、逃げずにやってみようと思います。

今知っている知識・身に付けた知恵・テクニック・技術をフル活用し、もう一度がむしゃらに受験に挑戦しようと今決意を固めております。

自分でも塾は長くやるとダメだな・・・と感じていた所なんです。

開業当初なら「何故なんだ!一緒に頑張ろうと言ったのはウソか!」と言っていた場面で「ん~次は頑張れよ」と言ってしまう自分に疑問を感じていました。

まだまだ生徒さん達は伸びる事が出来るし、私ももっと熱く頑張れるはずだと今何故か燃えています。

今時代が変革の時で色んな事が間違っています。

そして先日おそらくはある保護者の方に言った一言がきっかけだと思っています。

それは「うちの子は手助けしてあげないと何も出来ない子なんです・・・」と言っていた方が居て、その方は子供は優しく育て苦手な事はさせたくない、何故なら出来ないからとおっしゃっていました。

だから私は言いました「今の大人は子供をバカにしている!出来ない子などいない、勝手に決めつけているだけだ。それこそ子供に対して失礼な態度だ」と言いました。

その後、以前と違う自分にもやもやしていましたが、今日昔の記録を見て思い出し自分も同じだ!と気付きました。

気付きをくれた保護者の皆様ありがとうございます、私はもう一度教育業界で身を焦がすような努力をしようと思えました。

A YUMMY STUDY 伸学土台教室はまだまだ、これから成長する学習教室です。

今年の高校受験は本当に大変でした・・・でもみんなよく頑張りました!

今年も無事すべての受験が終了しました。

高校受験に関しては、学校側から「絶対無理だ!何故学校名にこだわるのか?私立の〇〇高校へ行った方がこの子は幸せになれます!」などと適当な事を言う担任に苦しめられながらも無事全員公立高校へ合格する事が出来ました。

今年は一人だけ第一希望を落ちましたが、これは成績開示をしてもらい原因調査を徹底したいと思っております。

ただ、みんなよく頑張りました!

入試本番で400点近く得点が無いといけない生徒さんも無事に合格!今年合格したうち数人はA YUMMY STUDY 伸学土台教室でなければこの逆転劇は無かったと断言できる生徒さんです。

もちろん、ご家庭の協力と本人の努力があっての結果である事は間違いありません。

しかし、当教室で毎年行う「冬期講習での繰り返し過去問テスト」と3月頭に行った本番シュミレーションテストが大きかったと思います。

明確な合格点を生徒さんに伝え、あと何点足りないという具体的な数字と、その得点を上げるための具体策をまず一月に理解してもらい、次に一週間前の段階でどこまで差が詰まったかを確認する。

そして足りているのか?足りていないか?を確認し、最後の追い込みをする。

前々から私は訴えていますが、受験は「科学」であり「努力・根性・気合」でやるもんではありません。

ただしその受験時期に入るその前に、「休まず来る・宿題はちゃんとやる・高い目標を持つ」この三つを出来るようにしておくわけです。

今年は半数くらいの生徒さんが学校側から「志望校を言うと鼻で笑われた」とか「絶対無理、私立専願でないと受からない」とか「頼むから志望校を下げてくれ」と言われた生徒さんでした。

学校側には今年「怒り」しか私は感じていません。

何故なら、高い目標を持ち努力する事が受験の意味であり、そこにしか成長は無いのです。

しかし、学校側の都合で生徒さんのやる気をそぐようなことばかりを言ってきて生徒さんの成長や未来、可能性を全く考慮kしていないと感じました。

そして恐ろしいのは「塾側」も安易な志望校を進める事が多く、塾など本当に必要ないと感じさせる塾が大量発生している事です。

ここでハッキリいますがA YUMMY STUDY 伸学土台教室も学校に乗っかって「学校の言う志望校にしましょう」と言って、楽な受験をした方が儲かるし楽なんです。

しかしそれでは私が学習塾を経営している意味が無いのです!

私は前から言ってますが「人間形成」に勉強を利用し、受験は絶好のチャンスだと考えているのです。

無難な志望校、しかもそれがある程度高いレベルの高校であれば意味があります、多くは中くらいの成績の子をしたの志望校へ変更させ楽な受験をさせるのです。

それで子供は成長しますか?しません、しません!絶対しない!!!

ただ面倒くさいだけでしょ?だから勉強が嫌になり「大学受験」のモチベーションがなくなるのです。

受験は勝負させる!無理させる!挑戦させるが基本ですよ。

どんな仕事でも「そんな~」と思う場面を経験します、その時に「やるだけやってみるか?」とか「やってやるぜ」と思える人は「苦しい局面」を自分の力で打破したことのある人なのです。

それは、部活やスポーツかもしれません、はたまた発表会のようなものかも、または人間関係の事かもしれない・・・でもその局面を経験する事はその瞬間はつらいですが、打破した経験は一生の財産であり武器になるのです。

そして子供達が一番追い込まれるのは間違いなく「受験」なのです。

その受験をともに戦い、その子に打破した経験で人生を力強く生き抜いてもらう!

だから志望校を下げる事に私は大反対し、挑戦を煽るのです。

そこで受験で合格率が低ければ、ただの無謀な塾です。

しかし、合格率でうちより高い塾あるんですかね?私は聞いたことがありません。

もちろん安全校を全員に受けさせて「全員合格」とか言っているところはありますが・・・

私は当教室も含めて、塾費は安いもんではないと思っています、だからこそ払った金額以上のものを返したいと思っています。

私は自信をもって言い切ります、当教室で学んだ事は一生の財産になるはずです。

そんな受験を毎年行っています。

だから時には「叱り」、情熱のまま「説教」することもあります。

全ては受験で追い込まれた時生徒さんが一人で打破できる「力」を身に付けてもらうためです。

今年の受験生、お疲れさまでした。

毎日毎日塾へ来た日々はみんなの財産です、よく頑張った!

お疲れ様、高校生活楽しんでね~昨日、特別授業で突然泣いてごめんね、びっくりした?

日本は対処療法大好き、世界は予防が常識です!

私が小学校の頃は「塾」とは「学校の勉強で物足りない優秀な子」や「受験をする子」が行くものだとおそらくみんな思っていたと思います。

それがいつからか「塾へ行けば優秀になる」という勘違いが横行し始めたように思います。

当教室にも「勉強が付いていけなくて・・・」と入塾されるご家庭がありますが、塾事態の役割は変わっていません。

優秀な生徒さんをより高い所へ導くためにあると私は考えています。

ただし、私自身中高とグレてしまいましたのでたまたま「分からない子の気持ちがわかる」というだけなのです。

ここで日本が世界的に見て凄く変わっているところを皆さんにも知っていただきたいと思います。

それは医学についてです。

日本人は「病気になってから、その病気を治すために大金を払う国」なのです、しかし欧米では「病気にならない為にお金をかける」が当たり前なのです。

これは「予防」に重きを置くか?「対処法」に重きを置くか?の違いなのです。

前にSNSでヒーローと悪の違いを書いていて、とても面白いと思いました。

正義のヒーローは常に悪の組織が問題を起こしてから「対処」へ向かいますが、悪の組織は必ず「先に仕掛ける」事が前提なのです。

そして正義のヒーローには「世界平和」というぼんやりとした目標しかなく、具体的行動はありません・・・常に悪が動いてから「対処」に奔走するだけです。

しかし、悪の組織は「世界征服」という明確な目標の元、研究開発を繰り返し常に「挑戦」をしています。

もちろん悪が良いというわけではなりませんが、対処に奔走する人間と目標を持ち創意工夫して仕掛けていく人間では私は後者の方が絶対上手くいくと思います。

これは勉強でも同じことが言えるのです、はっきり言いますが大半の塾は優秀な子を平凡な「がり勉」へ変える事しか出来ず、出来ない子が伸びる事も普通な子が飛びぬけて出来るようになる事もありません。

ただ元々優秀な子がしっかりとした家庭教育を基盤にそれなりに伸びているというのが私の正直な見解です。

抜群に出来るようになる生徒さんは二種類がほとんどだと思います、もともと家庭教育がものすごくしっかりしていて才能があった子か個人経営の熱心な先生がたまたまその生徒さんを伸ばす方法と自分の勉強法が一致した場合です。

何故?そんなことが言い切れるのか?簡単です。

ほとんどの子をあきらめず伸ばそうと思えば、負荷もかかるし「叱る事」も必要です、そして何より恐ろしいほどの情熱が必要です。

しかし、今の大半の塾講師が持ち合わせていないと言わざるを得ません・・・なぜなら「退塾させない事」を中心においているからです。

負荷をかけたり、叱るという行為は今の生徒さんは非常に嫌います・・・だからその行為自体を禁止している塾も非常に多いのです。

恐らく大手ほとんどだと思います、そして負荷をかけ時には生徒さんを「叱り」、恐ろしい情熱を注ぐと当然ですが「退塾」が大量に出ます。

当教室も恐ろしい数の退塾を出しています、しかしその結果「どうすれば出来るか?」という答えとそのためのテクニックを手に入れました。

それを今のアルバイト講師にやれとは言えません、そして私も50歳を過ぎ恐ろしいほどの情熱は出にくくなっています。

しかしそれと引き換えに「知恵・知識・経験・テクニック」を得ました。

多くの塾講師がまず辞めさせない事を前提に指導すると「テクニックも知識も知恵も経験」も手に入りません。

だから大半の塾で生徒さんが伸びていくことは難しいと私は思います。

そして多くの塾講師は勉強=量だと考え、真面目に一生懸命やる事が正解であり、正義だと考えているようですが私は違うと考えています。

勉強で最も必要なのは、まず人間性です!これは変わりません、しかし「要領」もまたトップレベルでやるためには絶対必要です。

考え方、や工夫、モチベーションなどほかにも必要なものはありますが「要領」という一点に関しては「小学校」の時に鍛える項目だと私は考えています。

勉強は出来るだけやらずに出来るをまず目指す事、だから人間性なのです。

やらないというのは、サボるとか逃げるとかごまかすなどは愚の骨頂です、やるべき事をきちんとやったうえで「無駄なことはしたくない」という感情がとても大切なのです。

当教室は「要領」を教える教室であり、小学校からちゃんと続けてくれている生徒さんで成績の悪い生徒さんは居ないと思います。

ただし「塾を休まない・宿題をする」この二点を守ってくれればです。

塾来ない、宿題をちゃんとしないではさすがに抜群に出来るようになりません、もしも塾も頻繁に休むし宿題もやってこないでも成績がぐんぐん上がります!という塾があれば教えてください。

私はそのノウハウを1億円出しても欲しいです。

しかし実際にはそんなものは無いと全員知っているのです。

勉強はちゃんとやれば全員出来るようになります、当教室はそれを証明してきました。

しかし残念なのは「授業についていけない」「このままでは公立高校へ進めない」など悪化してから入塾してきた生徒さんには本来の「要領」の極意を伝える前に卒業となってしまいます。

それが残念でたまらないのです。

やっと出来るようになってきて「さあ!今からがA YUMMY STUDY 伸学土台教室の神髄やで!」と思う頃には受験です。

中学受験・高校受験・大学受験・・・先日データーを取りました、当教室に4年以上通ってくれた生徒さんで受験に失敗したのは、つまり入塾時に行っていた志望校へ合格させられなかったのは「一人」だけでした。

しかもその子のご両親には小学校卒業時点で「この子はこのままではダメです、今分からせないと!」と伝えましたが、「社会に出てからでいいんちゃいますの?」と恐ろしい解答に何も言えませんでした。

さすがにご家庭の協力無くしてはお子さんの能力自体を作り変える事は難しいです。

約20年の経験から色んな事が分かりました、いろんな知識・知恵・テクニックも手に入れました。

だからこそ塾に関して思う事がありすぎるのです、大半の塾・学習教室へ行けば「勉強」が出来るようになるかもしれませんが、能力はほとんど変わらず、むしろ不器用やドンくさい子になる事がほとんどです。

A YUMMY STUDY 伸学土台教室は勉強を楽に出来るようにする、そこに極意があり勉強は苦手になる前に来ていただきたいのです。

そうすれば「要領の良い」勉強法や考え方、テクニックを指導で出来ますが、苦手になってくるとまず苦手意識の排除、次に学校授業についていけるようにする。

ここまでで子供にとっては重労働です、今までよりもはるかに頑張っています!

しかし褒められる事はほとんどありません・・・なぜなら人並みになっただけなので。

しかし苦手になる前の子は違います、同じような苦労をすると「めっちゃできるやん!」って言われるんです。

そうなると出来る自分を崩したくないという思いから勉強を頑張ります、そして苦しい事も乗り越えたその先に真の勉強の楽しさがあるのです!

これこそがおそらく理想の勉強スタイルなのです!」

自分に可能性を感じ、高い目標を持ち、自ら頑張る。

その状態へなればもう「勉強しなさい」とか「成績大丈夫?」の言葉は二度と言わないのです。

その状態へ意図的に導く方法を私は学んだのです、しかし自分が学生時代は活かす事が出来ず非常に後悔しています。

もちろん、お子さんが勉強が分からない、出来ない、やり方が分からない・・・そんな状態になったらすぐへ自己防衛として塾をお勧めします。

しかし、それは対処療法であり大切なのは「予防」です。

特に算数に関しては「小学校での指導」は全く期待できませんし、中学生が高校受験で苦労する場合はほとんどが算数を理解出来ていません。

算数こそ時間をかけ「予防」する事が重要な教科なのです。

逆を言えば、算数がちゃんと出来ている子は全ての教科で困る姿は見たことがありません。

そろそろ対処から予防へと変えませんか?

人の判断は100%比較で決まります。

教育を行う上で知っておいていただきたい事の一つが「人は比較の理論」しか持っていないという事です。

美人や不細工、賢いや賢くない、いい人や悪い人・・・すべての判断は比較して言っているだけで「基準」となっている物が必ずあるのです。

この事が分かると人の考え判断、特に子供の言い分に対して納得のいくことばかりです。

厳しい厳しくないもまさにその例の一つで、お子さんが色んな学習教室や習い事、運動のクラブに対しても「続かない」のは「つらい」と感じるからであり、その比較対象に親の対応があると気付けるか?なんです。

つまり、反感を覚悟で書けばお子さんが家庭外で「つらい」「厳しい」「しんどい」と感じるのは「家庭教育が甘いと疑った方が良いという事です。

勉強が嫌だ!と言って勉強しないんです~と言っているご家庭も「勉強と何を比べているか?」を考えてくれれば、勉強させることはとても簡単です。

友達と遊びに行くか勉強するか?で勉強する子は頭がおかしいのです、なぜなら絶対友達と遊ぶ方が楽しいからです。

もちろん責任感やご家庭の躾が出来ているお子さんは十分あり得ますが、ここで問題としているご家庭は勉強をしない!と困っているご家庭の話です。

よく面談でお話しをしますが、うちの息子は野球をやっていましたが毎日素振り500回とランニングを欠かしたことはありません。

その話をチーム内ですると「すごいですね~、どうやってやらしているのですか?」と聞かれますが、やらせているのではなく「自分で進んでやっていた」というのが答えですが問題は野球と何を比較させていたか?なんです。

私は息子に中学受験を強要し、応用自在という普通の小学生では絶対解けない問題集を買い与えていました。

そして家で息子がくつろいていると「応用自在をやるか、野球の個人練習しろ!」と毎回行っていました。

息子は応用自在が嫌で野球の個人練習をしていただけなのです。

娘は卓球をやりました、同じ事をしました。

娘がくつろいでいると「卓球の個人練習するか、勉強しろ」と毎回言いました、結果娘は勉強を選びました。

それだけの事なのです、つまり勉強をさせたければ「勉強よりも明らかに嫌うもの」と二者択一を突き付ければいいのです。

遊んでも良い、TVを見ても良い、You tubeを見ても良い、何しても良い・・・じゃ勉強します。

そんな子は親の顔色を気にしているだけの子で自分の意思が無い子だと思います。

勉強が本当に面白くなるのは「中学受験」か「中学から」だと私は思います。

それまでに真面目に勉強に取り組む子は「お母さん」がほめてくれるからという理由です。

母がほめてくれるという理由だけで勉強している子は反抗期で成績は急降下する確率が相当高いのでご注意ください。

つまり、お子さんにどちらを選択されても困らない「二者択一」を用意できるか?これが教育のコツの一つだと私は思っています。

我々が国語部門や算数部門で使用している「知育系教材」も同じです。

勉強で使う「ドリル」や「プリント学習」に比べれば、めちゃくちゃ面白い問題ですが、ゲームやYouTube、友達と遊ぶのには勝てません。

何と比較して「やりたくない」とか「つらい」とか「しんどい」と言っているのか、そこを見極める必要があります。

今の教育業界の風潮は「子供の意見は最大限尊重する」とか「嫌な事苦手なことはさせない」といういわば「きれいごと」を真に受けた子教育を受けた子が「会社」で働けると思いますか?

だから、学校社会は崩壊し会社では新入社員の仰天行動に頭を悩ませているのです。

学校が「甘い寝言」を真に受けて教育いしている以上、ご家庭の自己防衛が絶対必要です。

比較の理論のすごさを思い知ったのは私は大学を卒業し、初めてスーツを着てサラリーマンをした時です。

金融の会社に入りましたが、離職率が高い会社で100人近く入社した同期は3か月で半分いなくなり半年で8割が辞めました。

その時に残った同期も2年たったことろにはほとんどいなくなりました。

辞めていく同期が「こんな会社なんで続けてるの?」と我々残留組に聞くので私は「地震で実家もなく、フィアンセもいる、ここしかない」と言いました。

しかしもう一人の残留組の同期は野球部出身でしかも六大学野球でレギュラーを張りしかも関東の激戦区から甲子園出場したやつでした。

彼が言ったのは「野球部みたいにバットで頭叩かれたり、理不尽に怒鳴られた挙句グランドを5時間も走らされる事もない。その上給料くれるのに何がつらいのか分からん」と発言して、私は子供が出来たら絶対野球部やと思いました。

その後3年がたち野球部の同期も私も独立して会社を辞めました。

自営業は大変だと聞きますが、金融会社に比べたらやりがいしかありませんでした。

子供を快適な環境で育てるのは「やさしさ」ではなく「甘やかし」という可能性もあると知ってください。

子供は賢く強く育てる事が教育であり、教育の目的は「自立」なのです。

親元の居心地がいいから「独立」をしないのです。

子供に知識を教え込んでもAiphoneには勝てませんし、いくらストレスの無い状態で大きくしても社会はストレスだらけなのです。

究極の子育ては「不労所得」を用意してあげる事だと私は思います。

「お前が大きくなったら私の保有するマンションと会社を相続させる、何もしなくても年間数億円が入ってくる」そんな話がありますか?

あるんです、だから資産家の家の子は生まれてすぐに帝王学を学び「一般とはかけ離れた教育」を受けるのです。

もし皆さんが年間数億円の不労所得を稼ぐ資産家なら「子供の意見を最大限に尊重し、嫌なことや苦手なことはさせない」という教育は正解かもしれません。

しかし私は資産家の家に生まれた子を友達に数人いますが、家庭教育には「厳しい」以外のイメージはありませんでした。

恐らくうちの家の方が数倍甘かったと思います。

だから私は50歳を超えた今も「一生懸命働く」という結末が待っていたのです。

教え込みの終焉を迎えようとしています

先日、今の子供達が「消去法」という考え方が苦手である事を気付きました。

これは「正解」を教えられた子には出来ない考え方で、分からないなりに答えを当てる「確率論」なのです。

私は消去法を多用する人間なのですが、その結果分かりにくい予想を的中する事がとても多いですし、人生で大きな武器となっています。

「未来は誰にも分からない」という人がとても多いのですが、よく考えれば「未来は分かる」というのが私の意見です。

今の子供たちの現状を見れば、将来どうなっているか?大体わかりますし、こうなると言い切れないまでも消去法で考えればいくつかの未来しか想像できないというのが本音です。

問題に対して常に「正解」を導く考え方は勉強という世界一点においては正解ですが、人生においてはそれはほとんどが間違いであることがほとんどです。

前にも書きましたが、勉強は必ず正解がある、これが良い訓練にもなりますが「間違った思考」を生みやすいのです。

私は色んな仕事をしてきた中で「人を指導する」という職業をずっとしてきたように思いますが、多くの若者が人生の「解答書」を探しているような思考をしている事にぞっとしてしまいます。

勉強は絶対正解がある代わりに「受験」という期限が設けられていて、何度もチャンスはもらえないのが受験であり「勉強という世界なのです。

しかし、人生には「解答書」や正解が用意されていない代わりに、2回目・3回目のチャンスが用意されているのです。

仕事や人間関係、人生の大きな選択には「間違い」が許されるということを理解できていない若者が非常に多いと感じます。

正解が何か迷っているうちに時間だけがどんどん過ぎていく・・・そして受験のように明確な期限はありませんが、年齢という壁にぶつかり守りの選択をする・・・高学歴な人にそんな思考が多い様に思います。

私が何が言いたいのか?勉強は教え込んで出来るようになると「正解」を追い求める人間になってしまうという事なのです。

しかし、正解を常に自分で探し出してきた人間にとって、全てに正解があるわけではないという考えは必須です。

そうなると初めて「確率論」にたどり着くのです。

無限に可能性のありそうな「未来」ですが、現状を正確に分析すると残されている可能性は「数え切れるほど」しかなく、その中で実現可能な未来は3~4個なのです。

その3~4個の中から正解を導く確率は25%、しかし無限に可能性のある未来から未来を当てるのは0%に限りなく近いのです。

勉強において私が受験生に言うのは「国語において4択あるなら、消去法で2択にして間違えるのはOK」だという事です。

つまり25%程度の正解率を50%に引き上げるこれが消去法最大の魅力なのです。

この消去法という考え方は、当たり前の話ですが今の子供達は非常に苦手です。

加えて、消去法に意識がいけば「データー分析」を正確にするようになります。

これはあくまで「正解が分からないまでも確率を上げる」という考え方に至る人間の思考回路です。

だから常に分からないことを先生や大人が「教え込む環境に居た人間」には、その思考は育ちません。

自分で考え、苦しみながら正解を探す事に「勉強の意味」があるのです。

そして正解だけを教えてもらい、教え込みでつけられる学力で行ける大学は・・・という感じです。

本当に有名国公立に行こうと思えば「答えの無い」問題をいかにつぶせるか?という世界になります。

そして小学生のうちに「大人が分からない問題」なんて、勉強の世界にはもうありません!

だから私は「知育系教材」を推進しているのです。

知育系教材は知識ではなく、思考力と粘り、発想で解くものなのですが、その教材を教え込んだらそれはただの「ドリル」なので意味がないのです。

私が長年生徒さんにやらせてきた「宮本算数塾」という東京の算数塾が考案したパズルがあるのですが、いよいよ今年その上級編をクリアしそうな生徒さんが3人出てきました。

今までの生徒さんのほぼ全部が途中で誰かに教えてもらい、その教えた側の限界がきて挫折・・・を繰り返してきましたが、とうとう自力でやり切る生徒さんが出てきました。

非常に嬉しく思います!

その生徒さんたちは消去法という考え方も、粘り・思考力・ひらめき・そのすべてを身に付けてくれました!

3人の生徒さんがクリアした時はぜひ、会報誌で表彰したいと思います!

勉強は知識でやるものではなりませんが、そうなってきている事も事実なのです。

最後に私の叔父さんが京大の医学部を卒業した有名医師なのですが、叔父さんが入院した時にお見舞いに行きました。

その時に叔父さんが教えてくれたのですが「京大の二次試験の数学は教授すら解き方が分からない問題を出して、高校生がどこまで善戦するか?を見ている」と教えてくれました。

そしてトップレベルに行くと「答えを追う」だけではダメなんだとも教えてくれました。

その叔父さんは外科医ですが「瀬戸山式」という自分の名前の付いた術式を多く開発し、電子カルテもこの人が作ったもので異端児として医学会を引っ張ってきた人です。

さすがに頭の良い人は違うな~と思いましたが同時に当教室の考え方が間違っていないとも確信しました。

教え込んで「知識」を増やすのではなく、自力で努力させ「知恵」のある人間に育てませんか?

その方が絶対将来有望ですよ。
プロフィール

KAZ・FUJITA

Author:KAZ・FUJITA
学習教室を運営して約20年、教育の仕事に関わりすでに約30年。日本の教育は間違っていると感じ正しい教育とは何かを考え続けここまで来ました。私自身の経験から「社会で活躍出来る人間とは何か?賢いとはどう言うことか?世界の教育の今、何を求めているのか?そんな事を考え子供達の指導をしています。私の考えをココに書いておきます。私はウソは大嫌いです、何でも本音で書きますので気分を害される方は読まないで下さい。
尊敬する人物は「坂本龍馬」と「諸葛亮孔明」
座右の銘は「因果応報」
教師とは職業ではなく生き様である、が信条です。

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