目的無き教育、もう辞めませんか?
私は学習教室を運営していてとても悲しくなる事があります、それは教育に目的が無い人がとても多いことです。
何を何のためにさせているのか?その目的がハッキリしなければ、やっている事が正解か間違いかも分かりません。
恐ろしいのは「野球」で経験した事ですが「中学野球は○○だ!」とか「高校野球は○○だ」だからこのチームが良いとか、あの指導者がどうのこうの言っているが結局その人も正解は分かっておらず、迷走している事がほとんどだと言う事だ。
私が野球において参考にした人は、凄く年の離れた兄弟がいて、息子さんに高校野球をやらせていた人と高校野球でバリバリの私立で野球をレギュラーでやっていた人、そしてプロ野球選手だ。
その人達の話には理由と実績と根拠があり、納得出来た。
しかし多くの指導者、父兄が推測と憶測、思い入れや偏った見方でこちらに「悪気も無く」誤報を流してくる人達だった。
塾や勉強においても、全く同じ事が言えると私は思っていて「あの塾が良い」とか「あそこはダメだ」とか情報を流している人を良く耳にしますが、分かっていない人が大半です。
そして、言わば情報通のその人のお子さんの結果を我々は見てきました・・・本当に驚かされる事ばかりです。
私の身内にもその人間が居て、小学校受験を必死にさせ、中学の時は月に十数万円の塾費を払い続け結果は・・・その身内は自分の教育理論に絶対の自信を持ち「教育論を語る事」が大好きで、多く人に影響を与えていました。
私はその人達が悪いとか、間違っているとかそんな事が言いたい訳ではないのです。
信じない方が良いと言いたいだけなのです。
何のために勉強させているのか?ちゃんと考えて欲しいのです!ご自身の頭で!
スポーツさせる事も私は良いことだと思っていますが、何のために?を大切にして欲しいのです。
今の子供達を見ていると、本当に二極化が凄いと感じます。
全く自分の気分が乗らないことはしない、好きな事と得意な事だけの世界に生きている子と、何も考えずただ「やりなさい」と言われて勉強をマラソンのように「苦行と修行」のイメージで忍耐と我慢でなんとかこなしている子。
どちらも勉強で結果が出たり、自信を付けたりするのは「一時的なこと」でその子にとって人生を支えるような力にはなりません。
特に受験勉強において「一発逆転」を狙える子は、どちらでもありません。
作り上げられた秀才は必ず潰されます、それは本物に出会ったときに「ダメだ・・・」と直感で分かるからです。
当教室は意図的に「天才」を作る事を目的としていますが、そのためにガリガリ勉強させる事は必要無いと思っていますし、勉強を好きになる「プロセス」を大切にしています。
そして「楽しい」の概念が恐らく違うと思います。
ディズニーランド的楽しさ、言い換えるなら「受け身で楽しい事」は楽しんでいるのでは無く「楽しませてもらっている」訳で勉強ではこの楽しさを求める子供さんが非常に多いのですが、コレは長続きしません。
草原で遊ぶ楽しさ、言い換えれば「自ら楽しむ事」が出来る子、コレが真の楽しさを知る子であり、勉強でこの「楽しむ事」が出来れば成績が勝手に伸びていきます。
しかし多くの保護者の方が「楽しませる」どころか、「苦しませる」「押しつける」「ハードルをあげる」の三重苦で、お子さんが勉強って大切だ!と思ったときには「トラウマ」状態になっています。
勉強を楽しむためにはある程度の「壁」は突破しなければいけません。
そして受験で「自信」を付けさせるには「逆転劇」を演じなければいけません。
自分の可能性を無限に感じる時、これが人生最高の瞬間であり、人が一番頑張れる状態なのです。
だから私は「安全な受験」が大嫌いです、何も得るものは無く、終わった時の脱力感以外何もありません。
安全な受験をさせたい!子供に苦労させたくない!そんな考えの行きつく先は「前倒し教育」か「裏口入学」「志望校低下」しか無く、子供は受験に対して「ネガティブなイメージ」しか残りません。
何のために勉強をさせているのか?コレをもう一度考えませんか?
勉強はコツコツと積み上げる事が大切で「自己管理」お究極のプログラムなのです。
私は公立中学・公立高校・国公立大学が理想の教育だと考えています。
しかし、お子さんの能力に自信が持てなければ「中学受験・小学受験」も経済力があれば良いと思います。
王道は公立・公立・国公立です、そのために当教室は指導しています。
意図的に天才を育成し、勉強を要領で乗り切り、大学受験で初めて本気を出す・・・その結果周りが驚くような結果をだし、自分の才能に自分自身が驚く!そんな学生時代を過ごした子が社会で大車輪の活躍を見せるのです。
私は学歴が必要だとか、勉強が出来る事が人生で重要だとは考えていません!
自分の才能に自信を持ち、学生生活を終えて欲しいのです。
そして受験の素晴らしい所は期限がある、もう一つ「複数の勝者が存在する事」なのです。
社会に出れば色んな勝負があります、それこそ「恋愛」、「出世」、「経済活動」そのほとんどに勝者は一人だったり、ごく少数だったりするのです。
しかし、受験は大量の勝者を生みます、東京大学だけで3200人の勝者を生み出します!
東大に合格する事は素晴らしい事です!自分に自信が持て、周りから「凄い・・・」と言われ、自分の将来に無限の可能性を感じることが出来ます。
ただ、東京大学の理科3類は「本物のモンスター」が合格する日本最高峰の偏差値を誇る受験界の頂点です・・・そこには本当の天才・化け物が行けば良いのです。
私が大好きな「ドラゴン桜」でも言っていますが、理科1類や文化1類などはそんなに天才でなくても入れるのです。
それで良いと私は思うのです、一人一人の東大があるはずなのです。
ココに合格出来たら、俺スゲーよな・・・そう思える大学や高校であれば「何処でも良い」と私は考えています。
目的は自分に自信を持ち、人生に可能性を感じることが目的だから。
だから私は受験生に「頑張れ!サボるな!必死にやれ!」と言います、学力では無いのです。
その頑張った自分が出した結果に自分が一番支えられて人生を生きるからです。
私は当教室に学びに来てくれている生徒さんに「考える事」を勧め、「手を抜くこと」を許さないのです。
勉強は能力が高ければいつからでも出来る様になります。
勉強だけ出来て能力の低い子はいつか必ず行き詰まり「平凡」になります、だったら最初から平凡で良いじゃ無いか!と私は思います。
適正な時期にしっかり遊び、友達とも関係をしっかり作り、好きな事や無駄な事に没頭する時間があり、でも最低限の勉強は嫌々でも出来る様にしておく。
そんな子が奇跡の逆転劇と言われる受験をするのです、でもそれは遊びや趣味、勉強以外で鍛えた人間力が威力を発揮するのです。
勉強を苦行と修行のイメージで続けて来た「勉強だけ出来る子」は空っぽなのです・・・最後追い込むための武器が無いのです。
そんな悲しい子供の受験でも勝ち方はあります、しかしそれは生徒さんに取っては辛い道のりです。
だから私は毎年、新小学生・新中学生の保護者の方に「文武両道」と「要領を鍛える」そして「しっかり遊ぶ事」を推奨しています。
勉強は「学歴」のためにやるのではありません!人間形成のための手段なのです。
学歴は副産物であり、オマケだと早く気付いてください!
何を何のためにさせているのか?その目的がハッキリしなければ、やっている事が正解か間違いかも分かりません。
恐ろしいのは「野球」で経験した事ですが「中学野球は○○だ!」とか「高校野球は○○だ」だからこのチームが良いとか、あの指導者がどうのこうの言っているが結局その人も正解は分かっておらず、迷走している事がほとんどだと言う事だ。
私が野球において参考にした人は、凄く年の離れた兄弟がいて、息子さんに高校野球をやらせていた人と高校野球でバリバリの私立で野球をレギュラーでやっていた人、そしてプロ野球選手だ。
その人達の話には理由と実績と根拠があり、納得出来た。
しかし多くの指導者、父兄が推測と憶測、思い入れや偏った見方でこちらに「悪気も無く」誤報を流してくる人達だった。
塾や勉強においても、全く同じ事が言えると私は思っていて「あの塾が良い」とか「あそこはダメだ」とか情報を流している人を良く耳にしますが、分かっていない人が大半です。
そして、言わば情報通のその人のお子さんの結果を我々は見てきました・・・本当に驚かされる事ばかりです。
私の身内にもその人間が居て、小学校受験を必死にさせ、中学の時は月に十数万円の塾費を払い続け結果は・・・その身内は自分の教育理論に絶対の自信を持ち「教育論を語る事」が大好きで、多く人に影響を与えていました。
私はその人達が悪いとか、間違っているとかそんな事が言いたい訳ではないのです。
信じない方が良いと言いたいだけなのです。
何のために勉強させているのか?ちゃんと考えて欲しいのです!ご自身の頭で!
スポーツさせる事も私は良いことだと思っていますが、何のために?を大切にして欲しいのです。
今の子供達を見ていると、本当に二極化が凄いと感じます。
全く自分の気分が乗らないことはしない、好きな事と得意な事だけの世界に生きている子と、何も考えずただ「やりなさい」と言われて勉強をマラソンのように「苦行と修行」のイメージで忍耐と我慢でなんとかこなしている子。
どちらも勉強で結果が出たり、自信を付けたりするのは「一時的なこと」でその子にとって人生を支えるような力にはなりません。
特に受験勉強において「一発逆転」を狙える子は、どちらでもありません。
作り上げられた秀才は必ず潰されます、それは本物に出会ったときに「ダメだ・・・」と直感で分かるからです。
当教室は意図的に「天才」を作る事を目的としていますが、そのためにガリガリ勉強させる事は必要無いと思っていますし、勉強を好きになる「プロセス」を大切にしています。
そして「楽しい」の概念が恐らく違うと思います。
ディズニーランド的楽しさ、言い換えるなら「受け身で楽しい事」は楽しんでいるのでは無く「楽しませてもらっている」訳で勉強ではこの楽しさを求める子供さんが非常に多いのですが、コレは長続きしません。
草原で遊ぶ楽しさ、言い換えれば「自ら楽しむ事」が出来る子、コレが真の楽しさを知る子であり、勉強でこの「楽しむ事」が出来れば成績が勝手に伸びていきます。
しかし多くの保護者の方が「楽しませる」どころか、「苦しませる」「押しつける」「ハードルをあげる」の三重苦で、お子さんが勉強って大切だ!と思ったときには「トラウマ」状態になっています。
勉強を楽しむためにはある程度の「壁」は突破しなければいけません。
そして受験で「自信」を付けさせるには「逆転劇」を演じなければいけません。
自分の可能性を無限に感じる時、これが人生最高の瞬間であり、人が一番頑張れる状態なのです。
だから私は「安全な受験」が大嫌いです、何も得るものは無く、終わった時の脱力感以外何もありません。
安全な受験をさせたい!子供に苦労させたくない!そんな考えの行きつく先は「前倒し教育」か「裏口入学」「志望校低下」しか無く、子供は受験に対して「ネガティブなイメージ」しか残りません。
何のために勉強をさせているのか?コレをもう一度考えませんか?
勉強はコツコツと積み上げる事が大切で「自己管理」お究極のプログラムなのです。
私は公立中学・公立高校・国公立大学が理想の教育だと考えています。
しかし、お子さんの能力に自信が持てなければ「中学受験・小学受験」も経済力があれば良いと思います。
王道は公立・公立・国公立です、そのために当教室は指導しています。
意図的に天才を育成し、勉強を要領で乗り切り、大学受験で初めて本気を出す・・・その結果周りが驚くような結果をだし、自分の才能に自分自身が驚く!そんな学生時代を過ごした子が社会で大車輪の活躍を見せるのです。
私は学歴が必要だとか、勉強が出来る事が人生で重要だとは考えていません!
自分の才能に自信を持ち、学生生活を終えて欲しいのです。
そして受験の素晴らしい所は期限がある、もう一つ「複数の勝者が存在する事」なのです。
社会に出れば色んな勝負があります、それこそ「恋愛」、「出世」、「経済活動」そのほとんどに勝者は一人だったり、ごく少数だったりするのです。
しかし、受験は大量の勝者を生みます、東京大学だけで3200人の勝者を生み出します!
東大に合格する事は素晴らしい事です!自分に自信が持て、周りから「凄い・・・」と言われ、自分の将来に無限の可能性を感じることが出来ます。
ただ、東京大学の理科3類は「本物のモンスター」が合格する日本最高峰の偏差値を誇る受験界の頂点です・・・そこには本当の天才・化け物が行けば良いのです。
私が大好きな「ドラゴン桜」でも言っていますが、理科1類や文化1類などはそんなに天才でなくても入れるのです。
それで良いと私は思うのです、一人一人の東大があるはずなのです。
ココに合格出来たら、俺スゲーよな・・・そう思える大学や高校であれば「何処でも良い」と私は考えています。
目的は自分に自信を持ち、人生に可能性を感じることが目的だから。
だから私は受験生に「頑張れ!サボるな!必死にやれ!」と言います、学力では無いのです。
その頑張った自分が出した結果に自分が一番支えられて人生を生きるからです。
私は当教室に学びに来てくれている生徒さんに「考える事」を勧め、「手を抜くこと」を許さないのです。
勉強は能力が高ければいつからでも出来る様になります。
勉強だけ出来て能力の低い子はいつか必ず行き詰まり「平凡」になります、だったら最初から平凡で良いじゃ無いか!と私は思います。
適正な時期にしっかり遊び、友達とも関係をしっかり作り、好きな事や無駄な事に没頭する時間があり、でも最低限の勉強は嫌々でも出来る様にしておく。
そんな子が奇跡の逆転劇と言われる受験をするのです、でもそれは遊びや趣味、勉強以外で鍛えた人間力が威力を発揮するのです。
勉強を苦行と修行のイメージで続けて来た「勉強だけ出来る子」は空っぽなのです・・・最後追い込むための武器が無いのです。
そんな悲しい子供の受験でも勝ち方はあります、しかしそれは生徒さんに取っては辛い道のりです。
だから私は毎年、新小学生・新中学生の保護者の方に「文武両道」と「要領を鍛える」そして「しっかり遊ぶ事」を推奨しています。
勉強は「学歴」のためにやるのではありません!人間形成のための手段なのです。
学歴は副産物であり、オマケだと早く気付いてください!
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