子供を成長させるためには、負荷と緊張この二つが不可欠です
子供達を指導していて一番困るのは「出来ない」と決めつけている子が多いという事。
やれば出来る事を出来ないと言って、どれくらい努力したかをみせれば「しょうがない、出来ないのだから」という風潮が多い事。
出来ないと思っている事は出来ません、何度挑戦しても・・・そこにはパワーときっかけ環境、そして勇気と忍耐が必要です。
今の子供が無気力な子が多い、はしゃぐことはするが頑張れない子が多い。
簡単に言うと「悪ふざけはする」が「活力や生命力が無い」、「年齢を追うごとに無気力になる」、その理由は出来ない事をしないという事だと私は思っている。
人間は出来なかった事や苦手な事から逃げていくと、出来る事や選択がどんどん狭くなり、その思考は必ず「いじめ」という方向へ向かうのです。
この理論が本当に知りたい人は「空想教室・植松努著書」を読んでください、人間は自分に可能性を感じなくなるから、他人を叩くようになるのです。
今のメディアを見てください!「失言」、「失態」、「失敗」が大好きでしょ?
でもメディアが放送するのは「視聴率が取れる」からであって、言うなれば「日本人が大好物」としているから、「いじめはダメだ~」と言っていじめた人を袋叩きにするんです。
いじめはダメよ!と子供に教えているのに、失言・失態・失敗を見るとここぞとばかりに袋叩きにして、社会的に立ち直れなくなるまでたたきまくる。
その先導をしているのがメディアでそれを喜んでみている日本人・・・もうやめませんか?
最近、どこの学校でコロナが出た、何年何組のだれだれさんらしいとか言っている人の話を聞きますが、それもおかしいとは思いませんか?
だってそれを特定したからと言って、感染を防いだり、健康に役立ったりしてますか?
人を叩く姿を見て楽しむ、そういうつもりはなくてもそんな放送をしているメディを見ている、雑誌や新聞の媒体を読んでいる、その時点でいじめに加担しているとも考えられるという話なのです。
この社会の風潮の中で、失敗を恐れず挑戦しろ!と私は訴え続けています。
しかし、子供は社会的制裁を受ける「失敗した人」を見て怖がるのは当然だと思います。
でも、今まで出来ないと思っていた事が出来た時、苦手な事を克服した時、自分の中の問題を解決した時、人は自分に無限の可能性を感じ自分の人生を挑戦へと導くのです。
その姿こそ「活力」であり、「生き生きとした表情を持つ若者」なのです。
嫌な事、苦手な事、不得意な環境・・・これを克服する事、それこそが「自分の可能性を信じる根拠」なのです。
私も部活はあまり真剣にやらなかった方ですが、やはり「やり遂げた」という経験と出来なかったことが出来たという自信は得ました。
顧問の先生は死ぬほど怖い先生でしたが「最後まで逃げなかった」という事が一番の自信となり、人生を助けてくれました。
私は通っていた公文も最悪な環境で「怖い」という感情では表せないくらい、「妖怪のようなおばあさん」が運営する公文でした。
辞めたいと母に何度も言いましたが、一切聞き入れてくれず結局4年生で進学塾へ入塾するまで2年続けました。
とにかく嫌で嫌でたまらない上に、間違えた所まで正解するまで帰れないシステムで本当に苦痛だったと記憶しています。
だから出来るだけ公文にいる時間を減らすため「早く正確に計算する」という事を2年間真剣に取り組み、その結果人生を通じて計算が遅いと言われたことは一度もありません。
4年生から通った進学塾でも「計算だけはアホみたいに早いな~」と言われ、結局自分にとって最高の武器になりました。
進学塾へ行った後も「計算だけは負けない」と思っていたので、「計算の速さではなく、テクニック」の次々に吸収し計算の速さにその後何度も助けられました。
あの公文でなければそこまでの「速さ」は身につかなかったと思います、なぜなら私は「弁の立つ生意気な小学生」だったからです。
その公文の先生だけ、私のいう事・理屈・言い訳を一切聞き入れず「うるさい!はよやれ!」と言われ物差しで突かれました。
公文で何かを教えてもらった記憶はありません、しかし厳しい環境で鍛えてもらったと今では感謝しています。
子供の成長には「負荷」が絶対必要なのです!間違いありません!
息も切れないようなランニングで体力が付きますか?緊張もしないような環境で頭を使いますか?苦手な事をしなくても良い環境で年齢による成長をはるかに凌駕するような成長はありますか?
子供の気持ちを尊重する、嫌なことはさせない、それはお子さんが自立してからです。
子供は自分の成長を実感できた時、大きな夢を抱き、壁に真正面から向かいあい、計画的に努力を始めるのです。
そういう子を「自尊心の高い子」といい、「自尊心の高い子」が「賢い子」・「要領の良い子」へと成長するのです。
子供が無理だと言って許されているのは、そういう環境に今までいたからです。
確かに学校が「できるからやってみろ!」などと今言えないのは分かります、PTAもメディアも何もかもうるさい時代ですから。
でも出来ない事が出来るようになるから成長するのであって、出来る事・好きな事だけをやっても年取るだけなのです。
私は子供達を成長させるために塾を経営し、子供たちに成長して欲しいから挑戦を促すのです。
勉強だけ出来るようにしたいなら、他に方法論はいくらでもあります。
子供の成長を促すなら「負荷」をかけるしかないのです、なぜなら問題は「スピード」だからです。
早く成長すれば、それだけ人生をコントロールできる期間は長く、人生の選択が広がります。
30歳になって挑戦する意味が分かり、「頑張るぞ!」となってもかなり選択は狭くなっているのです。
失敗は成功のもと、しかし今の子たちは挑戦しないから失敗もないのです・・・だから人生に失敗する確率が高いのです。
やれば出来る事を出来ないと言って、どれくらい努力したかをみせれば「しょうがない、出来ないのだから」という風潮が多い事。
出来ないと思っている事は出来ません、何度挑戦しても・・・そこにはパワーときっかけ環境、そして勇気と忍耐が必要です。
今の子供が無気力な子が多い、はしゃぐことはするが頑張れない子が多い。
簡単に言うと「悪ふざけはする」が「活力や生命力が無い」、「年齢を追うごとに無気力になる」、その理由は出来ない事をしないという事だと私は思っている。
人間は出来なかった事や苦手な事から逃げていくと、出来る事や選択がどんどん狭くなり、その思考は必ず「いじめ」という方向へ向かうのです。
この理論が本当に知りたい人は「空想教室・植松努著書」を読んでください、人間は自分に可能性を感じなくなるから、他人を叩くようになるのです。
今のメディアを見てください!「失言」、「失態」、「失敗」が大好きでしょ?
でもメディアが放送するのは「視聴率が取れる」からであって、言うなれば「日本人が大好物」としているから、「いじめはダメだ~」と言っていじめた人を袋叩きにするんです。
いじめはダメよ!と子供に教えているのに、失言・失態・失敗を見るとここぞとばかりに袋叩きにして、社会的に立ち直れなくなるまでたたきまくる。
その先導をしているのがメディアでそれを喜んでみている日本人・・・もうやめませんか?
最近、どこの学校でコロナが出た、何年何組のだれだれさんらしいとか言っている人の話を聞きますが、それもおかしいとは思いませんか?
だってそれを特定したからと言って、感染を防いだり、健康に役立ったりしてますか?
人を叩く姿を見て楽しむ、そういうつもりはなくてもそんな放送をしているメディを見ている、雑誌や新聞の媒体を読んでいる、その時点でいじめに加担しているとも考えられるという話なのです。
この社会の風潮の中で、失敗を恐れず挑戦しろ!と私は訴え続けています。
しかし、子供は社会的制裁を受ける「失敗した人」を見て怖がるのは当然だと思います。
でも、今まで出来ないと思っていた事が出来た時、苦手な事を克服した時、自分の中の問題を解決した時、人は自分に無限の可能性を感じ自分の人生を挑戦へと導くのです。
その姿こそ「活力」であり、「生き生きとした表情を持つ若者」なのです。
嫌な事、苦手な事、不得意な環境・・・これを克服する事、それこそが「自分の可能性を信じる根拠」なのです。
私も部活はあまり真剣にやらなかった方ですが、やはり「やり遂げた」という経験と出来なかったことが出来たという自信は得ました。
顧問の先生は死ぬほど怖い先生でしたが「最後まで逃げなかった」という事が一番の自信となり、人生を助けてくれました。
私は通っていた公文も最悪な環境で「怖い」という感情では表せないくらい、「妖怪のようなおばあさん」が運営する公文でした。
辞めたいと母に何度も言いましたが、一切聞き入れてくれず結局4年生で進学塾へ入塾するまで2年続けました。
とにかく嫌で嫌でたまらない上に、間違えた所まで正解するまで帰れないシステムで本当に苦痛だったと記憶しています。
だから出来るだけ公文にいる時間を減らすため「早く正確に計算する」という事を2年間真剣に取り組み、その結果人生を通じて計算が遅いと言われたことは一度もありません。
4年生から通った進学塾でも「計算だけはアホみたいに早いな~」と言われ、結局自分にとって最高の武器になりました。
進学塾へ行った後も「計算だけは負けない」と思っていたので、「計算の速さではなく、テクニック」の次々に吸収し計算の速さにその後何度も助けられました。
あの公文でなければそこまでの「速さ」は身につかなかったと思います、なぜなら私は「弁の立つ生意気な小学生」だったからです。
その公文の先生だけ、私のいう事・理屈・言い訳を一切聞き入れず「うるさい!はよやれ!」と言われ物差しで突かれました。
公文で何かを教えてもらった記憶はありません、しかし厳しい環境で鍛えてもらったと今では感謝しています。
子供の成長には「負荷」が絶対必要なのです!間違いありません!
息も切れないようなランニングで体力が付きますか?緊張もしないような環境で頭を使いますか?苦手な事をしなくても良い環境で年齢による成長をはるかに凌駕するような成長はありますか?
子供の気持ちを尊重する、嫌なことはさせない、それはお子さんが自立してからです。
子供は自分の成長を実感できた時、大きな夢を抱き、壁に真正面から向かいあい、計画的に努力を始めるのです。
そういう子を「自尊心の高い子」といい、「自尊心の高い子」が「賢い子」・「要領の良い子」へと成長するのです。
子供が無理だと言って許されているのは、そういう環境に今までいたからです。
確かに学校が「できるからやってみろ!」などと今言えないのは分かります、PTAもメディアも何もかもうるさい時代ですから。
でも出来ない事が出来るようになるから成長するのであって、出来る事・好きな事だけをやっても年取るだけなのです。
私は子供達を成長させるために塾を経営し、子供たちに成長して欲しいから挑戦を促すのです。
勉強だけ出来るようにしたいなら、他に方法論はいくらでもあります。
子供の成長を促すなら「負荷」をかけるしかないのです、なぜなら問題は「スピード」だからです。
早く成長すれば、それだけ人生をコントロールできる期間は長く、人生の選択が広がります。
30歳になって挑戦する意味が分かり、「頑張るぞ!」となってもかなり選択は狭くなっているのです。
失敗は成功のもと、しかし今の子たちは挑戦しないから失敗もないのです・・・だから人生に失敗する確率が高いのです。
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