勉強の目的って?教育は何のためにあるの?
私は自分自身が学生時代に「勉強する意味」を理解出来ず、本当にもったい無い事をしたと思っています。
もし、中学生に戻れるなら死ぬ気で勉強して、東京大学へ進学したいと思います。
ただ、自分が歩んだ道も悪いとは思っていませんが、東大を卒業していても同じ経験は出来たと思うのです。
私が東大に行きたかった理由は唯一つ「説得力」です。
東大卒の方が言うとすごく説得力ある事は事実です。
しかし勉強は東大へ入るためや、学歴を手に入れ就職を有利にするための物では無いと私は思っています。
勉強はあくまでも「思考力」を鍛え、「自己管理」を学ぶ一つの経験なのです。
だから、勉強が苦手=自己管理が苦手と私は思っていますし、およそ間違ってないと経験上感じています。
私は勉強が出来ない人はダメだと言っていません!「自己管理が苦手」だと言っています。
勉強からは多くを学ぶ事が出来ます。
自分という人間は分っていても「ミス」を繰り返す人間だと勉強は教えてくれます。
何度調べた単語でも忘れてしまい「自分は馬鹿なのかな?」という気付きもくれます。
何より計画的に行えば驚くような結果を出せる、つまり「コツコツ積み上げる事」の重要性を教えてくれます。
しかし、いい加減にやっていたり、いつまでも誰かに管理してもらっていたり、目標も無くダラダラやっていても学ぶ事は何もありません。
ちゃんとやれば勉強は「学力」以上の素晴らしい物を与えてくれるのです。
つまり、勉強は勉強というツールを通じて学ぶ「努力・自己管理・理性・自制心」などがとても重要なのです。
そんな事は大人は全員分っているはずです。
でも、テストで良い成績を取るために「個別指導」や「家庭教師」はたまた、両親が隣に張り付いて勉強させる・・・一体、勉強は何のためにあるのか?もう一度考え直して下さい。
当教室は保護者の手出し口出しを出来るだけ控えていただくようお願いしています。
理由は「自分で出来るようになる」事が重要で、補助がたくさんあって出来た所でなんの意味もないのです。
学生時代に色んな事を経験しておくことが重要なのであって、学生時代をそつなく過ごす事に何の意味もないのです。
だから、親が先回りして色々と教え込む事は子供が将来社会で出会うアクシデントの「免疫」を無くしている事なのです。
我々の子供の頃は勉強を通じて色んな事を学び社会を生き抜く「基本」を学校で教えてもらいました。
でも勉強をしない子も居ました、彼らはスポーツを通じて、もしくは社会に出てから「職人」の世界で同じ事を学んだのです。
だから日本経済は力強い物になりましたし、日本もまた世界有数の経済大国へと成長したと私は考えています。
しかし今、勉強から計算や知識、公式だけを学ぶ生徒が急増し、一言で言えば「未熟な社会人」が急増しています。
皆さんはどうですか?
お子さんに社会を生き抜く力を身に付けさせたいのか?大学に合格する学力を身に付けさせたいのか?
私は両方だと思います。
問題は順序なのです!まず生き抜くための力が先で、学力は後です!コレは間違いありません!
人間力の高い人は必ず、勉強も出来るようになります。
でも、勉強が出来るからと言って「人間力が高い」とは限りません。
勉強だけできてもしょうが無いと思いませんか?
教育は社会で生きている人間になる、つまり「自立」のためにあるのです。
その一番の目的は「良い人間」になる事です。
だから今学校で行われている教育で「良い人間」が育つのか?
もう一度考えて下さい。
無理だと分るはずです。
今は家庭教育が本当に重要です。
我々に時代に学校が教えてくれた「忍耐・理不尽」は教えてくれません・・・しかし、会社に入れば必ず「忍耐・理不尽」と出会い我慢する事を強要されます。
しかし、学生時代にそれを経験していない今の社会人は「そんでも無い非常識」と感じてしまうのです。
可愛い我が子に辛い思いをさせる・・・これは耐えがたい事ですが子供の気持ちを考える助けてあげたい!と思いますが、教育と言う面から見ると「経験しとけ!」と考えられるのです。
教育と保育は全く別ですし、子供を守るのでは無く「強くする」事をもっと考えて見ませんか?
子供を色んな事から守って「強くする方法」はありません。
子供自身が色んな事を経験しないとダメなのです。
批判される事を覚悟で言いますが、ケガ程度なら「経験」した方が人生にはプラスなのです。
しかし、取り返しの付かない事もあります。
例えば死亡事故はもちろんですが、精神障害を伴うような経験はダメです。
極端な事はダメですが、何処で線引きをするか?という問題です。
私は失敗と理不尽、忍耐を大いに経験させて強い子に育てる事がとても重要だと思います。
私が大学を卒業し始めて働いた会社で一番感じた事は「助けてやろう!」と思う後輩と、「勝手にしろ!」と思う後輩がいる事は事実です。
そして「助けてやろう!」と思う後輩は必ず「人間力」が高いのです。
「好きにしろ!」と思う後輩は大体が知識も学力も高いのですが「人間力」が低いのです。
そういう人間が我々の時代は「フリーター」となり、今は「ニート」になるのです。
高学歴ニートって聞いた事あると思います。
何故そんな人間が出来るのか?答えは「持っている学力」に「人間性」が見合っていないから、「自分への評価が低い」と勘違いしているのです。
学生時代に何を差し置いてでも「勉強」を優先した結果がコレなのです。
その事は薄々気付いているのに、まだ勉強を優先した教育を続けているご家庭が非常に多いことに驚きます。
まず、ちゃんと決められた事はやる、例えば「宿題」「お手伝い」「習い事」です。
多少つらい事があっても続ける「忍耐」も必要です。
何より、周りの大人に可愛がってもらえる「人間性」が重要です。
それをいち早く身に付けておけば「学力」ぐらい学校の誰かが何とかしてくれます。
まずは人間力!もっと平たく言えば「性格の良い子」に育てる事が一番重要です。
学力は後から付いてきます。
もし、中学生に戻れるなら死ぬ気で勉強して、東京大学へ進学したいと思います。
ただ、自分が歩んだ道も悪いとは思っていませんが、東大を卒業していても同じ経験は出来たと思うのです。
私が東大に行きたかった理由は唯一つ「説得力」です。
東大卒の方が言うとすごく説得力ある事は事実です。
しかし勉強は東大へ入るためや、学歴を手に入れ就職を有利にするための物では無いと私は思っています。
勉強はあくまでも「思考力」を鍛え、「自己管理」を学ぶ一つの経験なのです。
だから、勉強が苦手=自己管理が苦手と私は思っていますし、およそ間違ってないと経験上感じています。
私は勉強が出来ない人はダメだと言っていません!「自己管理が苦手」だと言っています。
勉強からは多くを学ぶ事が出来ます。
自分という人間は分っていても「ミス」を繰り返す人間だと勉強は教えてくれます。
何度調べた単語でも忘れてしまい「自分は馬鹿なのかな?」という気付きもくれます。
何より計画的に行えば驚くような結果を出せる、つまり「コツコツ積み上げる事」の重要性を教えてくれます。
しかし、いい加減にやっていたり、いつまでも誰かに管理してもらっていたり、目標も無くダラダラやっていても学ぶ事は何もありません。
ちゃんとやれば勉強は「学力」以上の素晴らしい物を与えてくれるのです。
つまり、勉強は勉強というツールを通じて学ぶ「努力・自己管理・理性・自制心」などがとても重要なのです。
そんな事は大人は全員分っているはずです。
でも、テストで良い成績を取るために「個別指導」や「家庭教師」はたまた、両親が隣に張り付いて勉強させる・・・一体、勉強は何のためにあるのか?もう一度考え直して下さい。
当教室は保護者の手出し口出しを出来るだけ控えていただくようお願いしています。
理由は「自分で出来るようになる」事が重要で、補助がたくさんあって出来た所でなんの意味もないのです。
学生時代に色んな事を経験しておくことが重要なのであって、学生時代をそつなく過ごす事に何の意味もないのです。
だから、親が先回りして色々と教え込む事は子供が将来社会で出会うアクシデントの「免疫」を無くしている事なのです。
我々の子供の頃は勉強を通じて色んな事を学び社会を生き抜く「基本」を学校で教えてもらいました。
でも勉強をしない子も居ました、彼らはスポーツを通じて、もしくは社会に出てから「職人」の世界で同じ事を学んだのです。
だから日本経済は力強い物になりましたし、日本もまた世界有数の経済大国へと成長したと私は考えています。
しかし今、勉強から計算や知識、公式だけを学ぶ生徒が急増し、一言で言えば「未熟な社会人」が急増しています。
皆さんはどうですか?
お子さんに社会を生き抜く力を身に付けさせたいのか?大学に合格する学力を身に付けさせたいのか?
私は両方だと思います。
問題は順序なのです!まず生き抜くための力が先で、学力は後です!コレは間違いありません!
人間力の高い人は必ず、勉強も出来るようになります。
でも、勉強が出来るからと言って「人間力が高い」とは限りません。
勉強だけできてもしょうが無いと思いませんか?
教育は社会で生きている人間になる、つまり「自立」のためにあるのです。
その一番の目的は「良い人間」になる事です。
だから今学校で行われている教育で「良い人間」が育つのか?
もう一度考えて下さい。
無理だと分るはずです。
今は家庭教育が本当に重要です。
我々に時代に学校が教えてくれた「忍耐・理不尽」は教えてくれません・・・しかし、会社に入れば必ず「忍耐・理不尽」と出会い我慢する事を強要されます。
しかし、学生時代にそれを経験していない今の社会人は「そんでも無い非常識」と感じてしまうのです。
可愛い我が子に辛い思いをさせる・・・これは耐えがたい事ですが子供の気持ちを考える助けてあげたい!と思いますが、教育と言う面から見ると「経験しとけ!」と考えられるのです。
教育と保育は全く別ですし、子供を守るのでは無く「強くする」事をもっと考えて見ませんか?
子供を色んな事から守って「強くする方法」はありません。
子供自身が色んな事を経験しないとダメなのです。
批判される事を覚悟で言いますが、ケガ程度なら「経験」した方が人生にはプラスなのです。
しかし、取り返しの付かない事もあります。
例えば死亡事故はもちろんですが、精神障害を伴うような経験はダメです。
極端な事はダメですが、何処で線引きをするか?という問題です。
私は失敗と理不尽、忍耐を大いに経験させて強い子に育てる事がとても重要だと思います。
私が大学を卒業し始めて働いた会社で一番感じた事は「助けてやろう!」と思う後輩と、「勝手にしろ!」と思う後輩がいる事は事実です。
そして「助けてやろう!」と思う後輩は必ず「人間力」が高いのです。
「好きにしろ!」と思う後輩は大体が知識も学力も高いのですが「人間力」が低いのです。
そういう人間が我々の時代は「フリーター」となり、今は「ニート」になるのです。
高学歴ニートって聞いた事あると思います。
何故そんな人間が出来るのか?答えは「持っている学力」に「人間性」が見合っていないから、「自分への評価が低い」と勘違いしているのです。
学生時代に何を差し置いてでも「勉強」を優先した結果がコレなのです。
その事は薄々気付いているのに、まだ勉強を優先した教育を続けているご家庭が非常に多いことに驚きます。
まず、ちゃんと決められた事はやる、例えば「宿題」「お手伝い」「習い事」です。
多少つらい事があっても続ける「忍耐」も必要です。
何より、周りの大人に可愛がってもらえる「人間性」が重要です。
それをいち早く身に付けておけば「学力」ぐらい学校の誰かが何とかしてくれます。
まずは人間力!もっと平たく言えば「性格の良い子」に育てる事が一番重要です。
学力は後から付いてきます。
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