まだ学力を誇りに思う人が居る・・・不思議でたまりません!
私も教育業界で仕事をしている人間の端くれです。
ですから教育に関する情報や書物も出来るだけ読むようにしていますが、まだまだ知らない事が多いのが現状です。
ただ、間違い無く言えることは「学力があれば将来はバラ色だ!」などと言っている人は一人も居ないのです。
間違えてほしくないのは学習能力はとても重要です!しかし、学力が何かの役に立つのか・・・偏差値の高い大学に入るくらいです。
確かに偏差値の高い大学に入ることは悪い事ではありません。
しかし、偏差値の高い大学へ入学して何をするのか?これが大切なのであって、偏差値の高い大学へ入学・合格する事が目的になっているは間違いだと思います。
つまり早くから親の言う通りに塾に通い、ガリガリと勉強させられ長い時間と大きな経済的負担の上に成り立った目的の無い学力には何の意味も無いという事です。
学習能力を向上させるために必要な事と学力を上げるために必要な事は真逆だと言うことをご存じですか?
学力を上げるためには、丁寧な説明と繰り返しの演習が最も効果的です。
学習能力を上げるためには、自分で考える事と一人で悩む時間が必要です。
簡単に言うと、何故?と言う疑問は学習能力を向上させますが、学力を上げるときには時間の浪費につながります。
家庭教師や個別指導などは丁寧な説明と細やかなフォローが売りですが、学力を上げるためには最高の指導と言えるでしょう。
しかし、学習能力は全く向上しません。
だからいつまで経っても塾に通い続け、個別指導で無いと分からない思考回路が身に付くのです。
そもそも大学に何をしに行くのですが?
○○大学卒業という名前だけをもらいに行くならおそらく近い将来その行為は無意味になると思います。
何かを学びに行くなら、個別指導の大学を探す事になりますが、そんな物は存在しないのです。
私は去年東京に行きましたが、その時に大学生向けの塾がありました。
宣伝文句は「大学の授業が分からないあなたに!個別で分かりやすく教えます!」でした。
大学に行ってもまだ塾に行くの???
分かりやすい授業は重要です!わかりにくいよりも分かりやすい授業の方が良い。
しかし、読めば分かる事、少し考えれば分かる事、自分で判断出来る事・・・全て聞いてくる生徒さんが急増しています。
だいたい、日本の大学では社会へ出て即戦力となる教育はしていません。
会社へ入っても、自分で起業しても、色んな事を学ばなくてはいけません。
そのときに学力はあまり役に立ちません。
学習能力はとても役に立ちます。
極論を言えば、勉強とは学力では無く、学習能力を鍛えるためにあると私は思います。
学習能力を鍛えたり、応用力を鍛えたり、記憶術を学ぶための勉強。
それを全て教えてもらい、やり方を暗記してパターン演習をする。
そのことに本当に意味はあるのでしょうか?
私は多くの塾で行われる授業に疑問を持っています。
説明が上手い事が重要だと考えている先生が多く、手厚いフォローを売りにしている塾がほとんどです。
同じ事を言われない、一回で聞き取り理解する、時に必要無い情報を聞き流す等学習能力はとても重要ですが、出来ない生徒さんが急増している現状に危機感を感じます。
私が分かりやすい説明を多用するのは受験や定期テストの前だけです。
それまでは徹底して学習能力を鍛えます!
そうしないと勉強本来の楽しさに気付いてもらう事が出来ないからです。
勉強の楽しさは二つあると私は思います。
疑問を自分で解決しすっきりする快感!難解な問題を解いたときの気持ちよさは尋常ではありません!
それこそロールプレイングゲームの比ではありません!
なんせどこまで行っても高いレベルが用意されていて、終わりも無ければステージも無限にあるからです。
つまり逆を言えば、やらされている人間からすれば終わりの無いマラソンなのです・・・走れますか?
楽しんでいる人間からすれば無限に続くシリーズ物なのです・・・終わる恐怖心や、虚無感は無いのです。
もう一つは人よりも上に行くという競争という側面です。
何でもそうですが、人よりも出来るというのは気持ちの良い物です。
特に勉強は必ず誰もが通る道なので、自分が優秀であると感じることが多いのです。
しかし、この楽しさを追っかけているから、挫折したりあきらめたりするのです。
確かに、人よりも自分は優れていると感じることは時には重要ですが勉強本来の目的は違います!
いつから勉強は誰かと比較して評価するようになったのでしょうか?
勉強とは自立のためにする物であり、競争相手は過去の自分なのです!
きれい事では無く勉強本来の姿は自分との戦いです。
私は筋トレに近いと思っています。
自己完結の世界であり、他人と競争するものではありません。
時に刺激の一環として、模試などで順位を見ることも有効ですが本来の目的ではありません。
ただし受験生は競争せざるを得ません。
そのとき、にいかにゴールに近い位置からスタートするかよりも、いかに早く走れるかに興味を持ってほしいのです。
ゴールにどれだけ近いかが学力であり、走る速さは学習能力です。
ただし、受験とはあなたがどれだけ出来るかを試す試験では無いという事を知っておいた方が良いでしょう。
受験とは定員対して、入学希望者が多いために入学をお断りする手段だと言うことを理解して下さい。
あなたがどれだけ難しい問題を解けるか等、全くもって興味が無いのです。
点数の低かった生徒さんを順番に定員になるまで、不合格にしていくだけなのです。
つまり、合格点は正確には出ないのです!
不合格になるべき人間の数よりも順位が上回っていれば、合格するのです。
言い方を変えれば、いかに簡単に得点を取るか?を研究すれば受験は簡単なのです。
何も考えずこの夏にがむしゃらに勉強して、頑張った~と充実感一杯の受験生を多く見ましたが本来の目的を見失っている生徒さんばかりでした。
だから私は、よく読みしっかり考える事を強要するのです。
受験の本番寸前には誰もが全力で勉強します!
そのときに勝負を分けるのは、ミスをしないクセと学習能力の高さなのです。
最後の追い込みで爆発的に伸びる子と成果があまり成果の上がらない子・・・そこまでの勉強法が全てです。
A YUMMY STUDY 伸学土台教室は学習能力を鍛えるプロフェッショナルと目指し日々努力しています!
ですから教育に関する情報や書物も出来るだけ読むようにしていますが、まだまだ知らない事が多いのが現状です。
ただ、間違い無く言えることは「学力があれば将来はバラ色だ!」などと言っている人は一人も居ないのです。
間違えてほしくないのは学習能力はとても重要です!しかし、学力が何かの役に立つのか・・・偏差値の高い大学に入るくらいです。
確かに偏差値の高い大学に入ることは悪い事ではありません。
しかし、偏差値の高い大学へ入学して何をするのか?これが大切なのであって、偏差値の高い大学へ入学・合格する事が目的になっているは間違いだと思います。
つまり早くから親の言う通りに塾に通い、ガリガリと勉強させられ長い時間と大きな経済的負担の上に成り立った目的の無い学力には何の意味も無いという事です。
学習能力を向上させるために必要な事と学力を上げるために必要な事は真逆だと言うことをご存じですか?
学力を上げるためには、丁寧な説明と繰り返しの演習が最も効果的です。
学習能力を上げるためには、自分で考える事と一人で悩む時間が必要です。
簡単に言うと、何故?と言う疑問は学習能力を向上させますが、学力を上げるときには時間の浪費につながります。
家庭教師や個別指導などは丁寧な説明と細やかなフォローが売りですが、学力を上げるためには最高の指導と言えるでしょう。
しかし、学習能力は全く向上しません。
だからいつまで経っても塾に通い続け、個別指導で無いと分からない思考回路が身に付くのです。
そもそも大学に何をしに行くのですが?
○○大学卒業という名前だけをもらいに行くならおそらく近い将来その行為は無意味になると思います。
何かを学びに行くなら、個別指導の大学を探す事になりますが、そんな物は存在しないのです。
私は去年東京に行きましたが、その時に大学生向けの塾がありました。
宣伝文句は「大学の授業が分からないあなたに!個別で分かりやすく教えます!」でした。
大学に行ってもまだ塾に行くの???
分かりやすい授業は重要です!わかりにくいよりも分かりやすい授業の方が良い。
しかし、読めば分かる事、少し考えれば分かる事、自分で判断出来る事・・・全て聞いてくる生徒さんが急増しています。
だいたい、日本の大学では社会へ出て即戦力となる教育はしていません。
会社へ入っても、自分で起業しても、色んな事を学ばなくてはいけません。
そのときに学力はあまり役に立ちません。
学習能力はとても役に立ちます。
極論を言えば、勉強とは学力では無く、学習能力を鍛えるためにあると私は思います。
学習能力を鍛えたり、応用力を鍛えたり、記憶術を学ぶための勉強。
それを全て教えてもらい、やり方を暗記してパターン演習をする。
そのことに本当に意味はあるのでしょうか?
私は多くの塾で行われる授業に疑問を持っています。
説明が上手い事が重要だと考えている先生が多く、手厚いフォローを売りにしている塾がほとんどです。
同じ事を言われない、一回で聞き取り理解する、時に必要無い情報を聞き流す等学習能力はとても重要ですが、出来ない生徒さんが急増している現状に危機感を感じます。
私が分かりやすい説明を多用するのは受験や定期テストの前だけです。
それまでは徹底して学習能力を鍛えます!
そうしないと勉強本来の楽しさに気付いてもらう事が出来ないからです。
勉強の楽しさは二つあると私は思います。
疑問を自分で解決しすっきりする快感!難解な問題を解いたときの気持ちよさは尋常ではありません!
それこそロールプレイングゲームの比ではありません!
なんせどこまで行っても高いレベルが用意されていて、終わりも無ければステージも無限にあるからです。
つまり逆を言えば、やらされている人間からすれば終わりの無いマラソンなのです・・・走れますか?
楽しんでいる人間からすれば無限に続くシリーズ物なのです・・・終わる恐怖心や、虚無感は無いのです。
もう一つは人よりも上に行くという競争という側面です。
何でもそうですが、人よりも出来るというのは気持ちの良い物です。
特に勉強は必ず誰もが通る道なので、自分が優秀であると感じることが多いのです。
しかし、この楽しさを追っかけているから、挫折したりあきらめたりするのです。
確かに、人よりも自分は優れていると感じることは時には重要ですが勉強本来の目的は違います!
いつから勉強は誰かと比較して評価するようになったのでしょうか?
勉強とは自立のためにする物であり、競争相手は過去の自分なのです!
きれい事では無く勉強本来の姿は自分との戦いです。
私は筋トレに近いと思っています。
自己完結の世界であり、他人と競争するものではありません。
時に刺激の一環として、模試などで順位を見ることも有効ですが本来の目的ではありません。
ただし受験生は競争せざるを得ません。
そのとき、にいかにゴールに近い位置からスタートするかよりも、いかに早く走れるかに興味を持ってほしいのです。
ゴールにどれだけ近いかが学力であり、走る速さは学習能力です。
ただし、受験とはあなたがどれだけ出来るかを試す試験では無いという事を知っておいた方が良いでしょう。
受験とは定員対して、入学希望者が多いために入学をお断りする手段だと言うことを理解して下さい。
あなたがどれだけ難しい問題を解けるか等、全くもって興味が無いのです。
点数の低かった生徒さんを順番に定員になるまで、不合格にしていくだけなのです。
つまり、合格点は正確には出ないのです!
不合格になるべき人間の数よりも順位が上回っていれば、合格するのです。
言い方を変えれば、いかに簡単に得点を取るか?を研究すれば受験は簡単なのです。
何も考えずこの夏にがむしゃらに勉強して、頑張った~と充実感一杯の受験生を多く見ましたが本来の目的を見失っている生徒さんばかりでした。
だから私は、よく読みしっかり考える事を強要するのです。
受験の本番寸前には誰もが全力で勉強します!
そのときに勝負を分けるのは、ミスをしないクセと学習能力の高さなのです。
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