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嘘つく専門家が出てきています

最近資格とか肩書などが世の中をおかしくしていると感じてしまう。

前々から専門家以外の意見は聞かない、例えばお笑い芸人の語る「景気」の話、何を本職としているのか分からない「タレント」の語る政治、アナウンサーが説く「モラル」の話・・・もうご馳走様だし大嘘も良いところ。

最低でも経済学部を卒業している私よりも経済に詳しいとはとてもじゃないが思えない。

しかし問題は「専門家」と言われる人間の意見が「大嘘」なので驚くことが多い。

例えば、医者が病に詳しいと私思い込んでいたが、どうもそうでもないらしい・・・今回のコロナ騒動で分かったことは、彼らの最新知識と言うのは「製薬会社」が行う研修会で学ぶ事らしい。

その結果、私はワクチンの危険性を承知の上で勧めていると「医者は極悪だ」と思っていたが、どうも本人達も知らなかったという事があったようで心から驚いている。

今になってコロナに対する政策・対処法、ワクチン接種に対して意見を言っているお医者さんが続々登場している。

もちろん知っていて嘘でまかせを言っていた極悪医師もたくさんいるが、医者が専門家でないという事を思い知った。

私が関わった「ビジョン・トレーニング」も同じで、私は眼科の先生は目の専門家で当然ビジョントレーニングの事もご存じだと思っていたが驚くべきことに眼科の先生は全く知らないと聞いて驚いた。

専門家と言われるのは実は眼鏡屋さんで、我々塾の方がよほど症例には接している。

私が今回苦言を呈したいのは、学校の先生は何の専門家なのか?と言う事だ。

私が言えるのは「勉強ではない」という事だ、特に小学校の先生に関しては英語・算数に関してはど素人も良いところで変な事を教えないでほしいと思っている。

中学高校へ行けば「数学科」や英文科、もしくは留学経験豊富な先生が指導してくれるが、小学校の時点で「とんちんかん」な指導を受けているので専門家は疑問符しかない授業を繰り返している。

この現象は少年野球でも経験した事で、息子が最初に入団した学童野球チームは同時期に一流プロ野球選手が在籍していたとの事もあり、信用していたが大間違いだった。

その後硬式チームへ移籍、中学のクラブチームでも学童で教えられたことは全くの間違いであったと気付いた時は途中で退団して本当に良かったと感じた。

一番驚いたのは小学校の時に移籍した硬式野球チームのコーチで息子さんをプロへ入団させたコーチが学童野球で意見が合わず学童野球を追い出されていたという事だ。

ちなみに息子はその方に熱心に指導していただき小中で「化け物」と呼ばれる選手に成長した。

医者だから「病」に対する意見は間違いない、野球のコーチだから「指導」には間違いがない、、先生だから「勉強」の専門家という考えは危険なのだと覚えていていただきたい。

一番怖いのは「塾」の先生は勉強の専門家ではないという事だ。

塾の先生は確かに勉強は出来るが自分が出来るだけで深く理解しているか?と言われれば疑問符が付くし、まして「指導」という事に関して正直まともな人にあったことがない。

私も塾を経営する人を何人か知っているが、経営のプロだな・・・と感じるが「教育・指導」に関しては「は?」と耳を疑いたくなる意見がとても多い。

教育は自立のためにあり、成長することがひつようであるとは考えておらず、勉強の解説をしてだけと言う人がとても多い。

私は勉強の基本は人間性であり、性格が最も重要な要素だと確信している。

しかし、進学塾へ通う子の多くが「学力・偏差値」に注視して、人間性という事がおろそかになっている事は明らかだ。

勉強だけ出来てもどうしようもない、誰もが知っている事なのに「とりあえず勉強を・・・」と嫌な言い方をすれば「安易な答え」を出してしまい間違った方向へ努力をさせる。

人間性が未熟で勉強を頑張る気満々の生徒さんがどうなるか?答えは簡単で大量の月謝を塾に献上する信者になるのだ。

何故なら、自立のための指導を受けていないので、いつまでも塾に依存する、そうすることで塾はいつまでも塾費を稼ぎ生徒さんは塾に依存している事で辞める事が出来ない。

そんな指導をしている塾講師を本当に「プロ」と呼べるのか?

ただ学力だけは伸ばしているなら許せるが、そんなこともない。

もちろん優秀な生徒さんは誰が教えても伸びるので、当然結果を出してくる、しかし特性のある子、苦手な子はどうなのか?ほとんど結果は変わらない。

何故なら、特性の強い子と苦手な子は「人間性を修正する必要」があるのだが、根本が出来ていない生徒さんに大量の宿題を出し、無駄な解説を繰り返しその子たちは塾にすがるか移籍を繰り返すだけ・・・

つまり出来る子と出来ない子の一番の差は「人間性」なのです、言い訳しない、逃げない、サボらない。

基本的な指導が出来ているので勉強は出来るだけなのだ。

私は断言しますが、小学校の間にちゃんと勉強して出来ない子は一人もいない!一人も居ないのです。

結局はやっていない、それ一点が問題なのです。

そこで「うちの子はやっています!」と言う保護者の方がいますが、やっていません。

やっているの意味が違うのです。

出来るまでやる、これだけなのですが「時間」や「量」で勝手にやっていると周りと比較して言っていますが、今までのサボったツケもあるのです、出来るまでやると覚悟をお子さんが決めた時は簡単です。

何故なら今まで一生懸命やっていた「自分はやっているアピール」をする時間が無くなるので、勉強を理解して出来る様になるためだけの努力を始めるですぐ出来る様になります。

この事を学校の先生も塾先生も全く理解していません。

私の倍以上のキャリアを持つ塾の先生がこの事を全く理解できないのが私は不思議でたまらなかったのを覚えています。

出来るまでやるという言葉の意味が理解できていないのです。

出来るまでやるという考え、姿勢、思考がすぐ出来る様にさせるだけなのです。

何を勘違いしているのか、今は「結果はいいから努力を!」と言うおかしな風潮があります。

だから無駄な努力を繰り返しているのです、そしてアピールプレイを覚えるのです。

自分がいかに努力しているか?自分がいかに苦しんでいるか?どれだけ長時間努力しているか?を分からせるためにアピールだけドンドン上達します。

そして「何か能力に問題が?」と考え、学校の先生に相談しても、どこに相談しても今は「学習障害です」と言われ「やっぱり!」と思うのです。

そんなわけないでしょう!やってないんです、間違いありません。

しかしその意見を言っているのも学校の先生だったり、お医者さんだったり、カウンセラーだったり「専門家」と言われる人間なので信用してしまうのです。

実は私の知り合いにも「学校のカウンセラー」をしている人、学校の先生、もちろん塾の講師・経営者いますが「学習障害」について詳しい人にあったことありません。

私が学習障害について勉強したのは15年も前の事です。

その時にすでに言われていた事をいまだに知らない専門家がいる事に驚きが隠せません。

一つだけ「推測」でものを言えば、教育の方法が今は昔と違うので分からないのかも知れません。

私が学習障害に気付いたのはある生徒さんの指導からです。

その生徒さんは家族ぐるみで付き合いのあるご家庭である意味「信用」をしていただいていたので、出来るまでとことん付き合いました。

あまりに宿題をしてこないので、ご両親の許可を取って夜中の2時までやらせた事もあります。

その生徒さんがあっているのに出来ない事があまりに多いという事実から学習障害について勉強をしました。

しかしそれはとことんまで「通常の努力」をしてもらったから分かったことなんです。

今はとことんまで付き合うという事が許されません、だから安易な答えとして学習障害という逃げの選択をしている事がほとんどです。

当教室では過去に「学習障害」と言われ通常の小学校生活は無理だと言われた生徒さんを、高学年になった時には保護者がその事を忘れているくらい修正する事を何回もしてきました。

まずはやっていない、この事実から目を背けては前に進みません。

ちゃんと勉強をさせてみて、その上で特性がどうなのか?を判断するのが当たり前ではないでしょうか?

もちろん、私に学習障害のきっかけをくれた生徒さんも無事公立高校へ進学してくれました。

私は専門家を名乗る人にお願いがあります、自分で勉強し経験し確証を得たものだけ伝えてください。

人から聞いた話、最新の理論、業者の勉強会で聞いた話、もうやめてください。

私も同じです、勉強と指導・教育には絶対に自信があります、しかし株・政治・スポーツは素人です。

現に当教室で丹養塾と言う勉強会をしていますが、アメリカ株を推奨していましたが私のアメリカ株の口座はマイナスです・・・

食の安全についても保護者の方々の方が100倍詳しいのです。

ただ教育に関しては私は専門家を名乗り続けます、なぜなら20年以上教育について学び、実践してきた「経験と知識」があるからです。
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賢いとは何か?真面目に考える時期に来ています

生徒さん達と授業をしていて「勉強する事と賢くなる事」は全く別物だと説明しているが、おそらく多くの人は分からないと思う。

勉強のシステムについても同じで、勉強の仕方が我々が子供の頃とほとんど変わっていない。

これは恐ろしい事で、時代が変化しているのに勉強の中身もやり方もほとんど変化していない・・・原因は「指導者」が時代の変化についていけていない事が原因だと思う。

大人が世界一勉強しない国日本、そのツケをいよいよ払う時が来たのかもしれない。

我々の子供の頃は「知識」が賢さの重要要素であり、知識を持つことはとても大切な事だった。

しかし今はどうだろうか?スマートフォンを持っていれば「ググる」事で知識に困る事はほぼない・・・では現代において賢いとはどういう事を指すのか?考えたことがありますか?

私は今必要な賢さとはまず「国語力」だと思います、なぜならせっかく「ググった文章」を理解できないという危篤な現象が実際に起きている。

何故なら、色んな知識をネットに書き込む人は基本的に国語力が高く、難しい言葉を使う事が多いからだ。

次に想像力が重要だと思います。

例えば1234と教えれば、自分で5678を生む出せる事がとても重要だと思います。

しかし今の塾講師や学校の先生を見ていると「国語力」が欠如していて、想像力もありません。

指導者のレベルや知識がすでに時代遅れになっているのです。

当たり前の話で、自分が学生時代に受けた教育の知識でいまだに生徒さんに接しようとしている人が多いので、ある意味仕方ない事なのかもしれません。

しかし、私は幸いな事に塾経営するまでに金融や薬品メーカー、食料メーカーにも勤務してきましたし、自営でIT関連の仕事もしました。

その中で時代の変化を肌で感じてきたし、今社会で求められる能力は何かも常に考えてきました。

自分は運が良かったので新社会人を教育する立場にいる事が多く、彼らにかけているもの、逆に彼らの持つ優位性にも非常に興味を持ちました。

結果高学歴の人にも、学歴を無視してきた人にも欠点がある事がわかり、それは悪い事ではありませんが、学生時代に何をどうすればスムーズに活躍できる社会人になれるのか?を考えました。

その結論として出てきたのが「勉強の仕方が悪い」もっと具体的に言えば「効率の悪い作業」が身についているという事なのです。

「努力」と言う事が目的になり、結果が目的ではなくなっている事なのです。

だから仕事でも勉強でも「何時間やったか?」「どれだけ苦労したか」「どれほど真剣にやったか?」をアピールしてきますが、結果が出なければどうしようもないという事を学生時代に教わっていないのです。

昔は終身雇用制度という物があり、新社会人は会社に入社すれば一生涯会社が面倒を見てくれて、真面目に働くだけで幸せになれました。

今は転職全盛期、即戦力を求める企業がほとんどで、結果を瞬時に出せる人間を取り合う社会になってきています。

その中でいわば「言い訳の上手い」社会人は戦力外とみなされ、冷酷だ!非情だ!喚いても会社は知らんぷりです。

なのにまだ、お子さんに真面目を求めますか?それとも要領を求めますか?

不器用なんですうちの子・・・不器用にしか出来ない仕事が多々あります、職人です。

職人は愚直なまでに真面目な人が成功を納める世界で職人向きな子供を私はよく見ます、しかし一様に勉強させられ「平均的能力」を強要され良さを失っている気がします。

本当に賢いとは何なのか?まず我々が真剣に考えなくてはいけない時に来ていると思います。

自然農法でお子さん教育してみませんか?

2023年もあと少しで終わり・・・時の流れは早いもので、夏期講習も終了し、いよいよ受験モード全開の時期になった。

今年は農業に挑戦したが、現実は厳しかった・・・せっかく準備していただいた畑も夏期講習で走り回っている間に雑草だらけ・・・

慌てて先週から草引きを始めたが、まだまだ追いつかない。

しかしこの農業をやってみて分かったこともたくさんあった。

畑をやる上で「菌ちゃん農法」と「自然農法」を迷ったが、菌ちゃん農法で行くと決めた。

簡単に言うと菌ちゃん農法は農薬も肥料も一切使わず、野菜を作る方法で家庭菜園で可愛く栽培した野菜はおいしかった。

今度は裏の借地で何とか菌ちゃん農法で多くの野菜を作りたい!

農業に関しては昔から「夏子の酒」と言う漫画で、国と農家の問題は少しだけ知っていた。

農薬や肥料がいかに農家さんの足を引っ張る仕組みになっているか?も漫画で読んだことがあった。

そして今、農業を考えた時に肥料も農薬も必要のない農法があると聞きよくよく考えればそうか・・・と納得した。

今私が関わっている教育も全く同じだとつくづく感心する。

農薬と肥料をたっぷり使う今の農法は賛否両論あり、私は農家ではないので本当の苦労など分かるはずもなく無責任な発言かもしれない。

しかし使う必要がもしないのであれば使わない方法をした方が良いと思ってしまう。

教育も全く同じで、幼児教育や有名学習教室で計算や漢字をアホみたいに小さいころからやる、中学受験のために週末はお弁当を二つも持って勉強する。

私は必要ないと思っています。

自然農法でいいんです!

子供は子供らしく、しっかり遊んで、経験から学び、その経験から論理を組み立てる。

それが自然教育なのです!

フラッシュカードや知育教材をやり込んで前倒し教育をする必要は何もないのです。

今は本当に国語力と思考力がない「進学塾の塾生が大量発生」しています。

それが私は農業にとっての肥料や農薬と同じに見えるのです。

自然に子育てしてみませんか?

勉強が少々苦手でも賢ければどうとでもなる社会なんです。

塾をもうけさせるための教育もうやめませんか?

家庭教育が一番の教育なのです

夏期講習は今年も無事に終了、トラブルが無かった訳ではないが大きな事故やトラブルは無かったのでほっとしている。

夏期講習が終われば受験モード全開、中学受験があり、芦屋国際、私立高校、推薦、公立高校と受験ラッシュとなります。

私は受験指導をしていて「家庭教育」の大切さをいつも痛感します。

伸びる子は驚くほど伸びていきますし、成長しない子は本当にゆっくりとしか伸びていきません・・・

一体何が原因なのか?これは家庭教育です。

私は勉強だけを頑張って受験に合格すると言う方法は良くないと思っています。

むしろ、部活も頑張って適度に遊び、頑張れない時期も経験した方が社会に出てから大きな成果を上げてくれると確信しています。

私が社会で見てきた「勉強しか出来ない使えない人」は遊んでいないと言う特徴を持ち、考えが固く、責任転換が好きで、失敗を恐れてゆっくりとしか何事も出来ず、瞬発力がありません。

その上理屈っぽく、人を不快にさせる言動が多いのが特徴です。

勉強や学校生活は「良い社会人」になる為にあると私は思っていますし、勉強が出来るが他には出来ないというのは失敗だと認識しています。

社会へ出て究極は「可愛がってもらえる性格」をしていれば何とか成ると私は考えています。

私は自分で可愛い人間とは思いませんが、多くの先輩方に助けられた事も事実です。

良く私は言うのですが、私が大学を卒業し最初に勤めた金融の会社で最初の上司には本当に感謝していますし、今でもその方の教えは守っています。

学生時代にお世話になった先生方にも本当に感謝しています。

気に止めてもらい、諦めず注意し続けてくれた先生方への恩は私が生徒を諦めず指導する事だと思っています。

いつも思うのですが、生徒を注意せず、叱りもせず、何でも許し「辞めないこと」を一番に指導してればもっと簡単に生徒さんは増え、お金も稼げるのだと分かっています。

しかし、それでは長くは続かないとも思っていますし、私がそんな塾を経営する必要も無いと思っています。

だから勉強など出来なくても私は良いと思っていますし、賢く無くても良いと思っています、困ったときに助けてやろうと思ってもらえる性格であれば大丈夫だと思います。

しかし、いい加減な人間は悪い人間に利用されます、彼らは甘い誘いで楽な道に見せかけ「地獄」へ誘導します。

私も高校の時に幾度となく「地獄」への誘いを受けました。

しかしその誘いに乗らなかったのは「家庭教育」だと私は思います。

私の父は会社を潰し、多額の借金をして一家離散の自体を招きました・・・しかし、卑怯なこと、汚い事は絶対しない人でした。

私はその父の背中を見てきたので悪の誘いは断れたのだと思います。

福沢諭吉さんの言葉で「一家は習慣の学校なり、父母は習慣の教師なり。しかしこの習慣の学校は、教育の学校よりもさらに有力にして実行を奏する。」という言葉があります。

塾は家庭教育がしっかりしている生徒さんは全員伸ばす事が出来ます。

家庭教育がいい加減であれば伸ばす事は出来ない、そう考えています。

当教室も同じですが、当教室は「ご両親が諦めず、ご協力いただけるなら伸ばして見せる」と断言しています。

しかし、ご家庭の協力が無ければやはり伸ばして行くのは難しいと思います。

では家庭教育で大切な事は何なのか?当たり前の事を当たり前に行うと言う事です。

私の父は会社を潰しましたが、責任は自分が取ると借金取りが押し寄せる自宅に1人残り、債務整理を行いました。

だから私にとって失敗をして責任逃れをするとか、逃げると言う選択は「卑怯者のやる事だ」と強く記憶しました。

それは父が言葉では無く「背中」で教えてくれた事なので、私は一生守り貫く事だと決めています。

そして私の母も口癖で「あやまって済むことはいくらしても良い」と言っていました。

だから警察のご厄介になったときも、高校を退学担ったときも一言の嫌味も小言も言いませんでした。

しかし親の財布からお金を盗んだ時は血まみれになるまでおぼんでしばかれました。

私の行動に嫌味の1つも言わなかった母に「大学に行ってくれ」と涙を流された時に「嫌」とは言えませんでした。

母は私に教育の大切さや、勉強の必要性など何も言いませんでした、ただ自分の望みとして大学へ行ってくれ、嫌ならすぐ辞めて構わないと言ったのです。

今は感謝の気持ちでいっぱいです、私が大学へ行っていなければどうなっていたか?想像するだけで恐ろしいのです。

私の両親は私が高校受験のタイミングで会社を倒産させ、一家離散にした挙げ句、私は親戚の家に預けられました。

それは結果であって一度も私を説得したりはしませんでした、いつも行動で手本を示してくれました。

先日両親にあって、年老いた両親を見て考える所があり、今の受験生を見て考える所があります。

今の教育は「子供の意思を尊重する」と言っていますが、子供達はまだ未熟で環境に大きく左右されます。

だからこそ何が正しいのかを教えるのでは無く、行動で見せてあげて欲しいのです。

そして私は親の方が子供よりも「色々知っている」という事実は認めますが、「親の方が正しい」とは思っていません。

私は自分の教育理論が正しいと確信したのは「息子の野球」でしたし、息子が証明してくれたと思っています。

娘も同じです「教えない」という事で賢くなると娘が証明してくれましたし、賢ければ勉強は「やらずとも出来る」と証明してくれました。

私は運動音痴でしたし、勉強を地道に頑張る事はとても苦手でした。

子供達は違いました、息子は地道に練習が出来る子でしたし、娘は私に性格が似ているにもかかわらず「真面目」に育ってくれました。

子供は親の言うことは聞いていませんが、行動は良く見ています。

私は「家庭教育の正解」はそこにあると思っています。

私は両親に背中で教育を受けたのだと最近分かりました、もちろん嫌な所もです。

だから私も必死で頑張ったつもりですが、子供達に自分の嫌な所も苦手な所もきっちり受継がれているのは悲しい限りです。

多くの受験生が苦しむ自分の弱点は実はご両親の弱点でひょっとすると学生時代から解決したかった「弱点」かも知れません。

賢くなる事が一番重要だと思います

今、夕方に再放送中の「白い巨塔」というドラマをご存じですか?

財前と言う医者の物語で、大学病院の闇を書いた大昔の小説をドラマ化して、さらにリメイクされ再放送されているドラマです。

このドラマを見て是非道徳の授業をして欲しいと私は思っています。

当教室では歴史授業を実験的に行い、歴史の分岐点で議論をする事を国語の授業で行っております。

その中で気になるのが授業を始めた当初、「戦うくらいなら相手に従う」「どんな理由がるにせよ、争いはダメ」「戦・戦争は絶対ダメ」など、正義感いっぱいの意見が出ておりました。

しかし4ヶ月ほど経過した今では「ただ侵略される位くらいなら戦う」とか「どうせ乗っ取られるなら戦って乗っ取られる」とか、戦うと言う選択肢を選ぶ子も出てきているのが面白いな~と思っています。

私は偏差値教育は「答え」を受け入れさせるものであり、良くない教育だと考えています。

争い=ダメ、もめない=○、と言った短絡的な答えを選択し「大局」が見えない日本人が増えている事に危機感を感じております。

ただ戦う事を推奨してるのではなく、大局を見て「より良い選択を未来の為にする」という考え方を今の日本は教育出来ておりません。

それは簡単に答えを受け入れ、しかも後に検証しないと言う恐ろしい考え方を「偏差値教育」が後押ししています。

私は今回「白い巨塔」というドラマで皆さんに考えて欲しいのは「里見」という江口洋介さん演じる内科医の行動なのです。

私は一番の「問題児」が里見という内科医であり、財前という外科医がそれほど悪い人間には見えないのです。

長いドラマなのでなかなか内容を書けませんが、里見という内科医の行動が正しいと感じるのは私はおかしいと思っています。

そして財前という外科医にももちろん落ち度はありますが、基本的に話をこじらせているのは里見という内科医だと考えています。

「正義感」という正解を追い求め、大局が見れない今の教育に私は本当に危機感を感じています。

実は今、歴史教育では「小野妹子」という遣隋使について学んでいる所で、彼は随の皇帝から日本の天皇に手紙を渡せと言われますが内容が良くないのです。

日本を侮辱し、脅迫するような手紙だったらしくこの手紙を渡せば、日本は随の属国になるか随と戦争するかの選択を迫られると言う内容の手紙だったのです。

この手紙を小野妹子は無くしたとウソをつき、日本の危機を救い、その事を知った聖徳太子も褒め称えました。

この選択を今の官僚や日本の大人に出来るのか?と考えました。

恐らく無理でしょう。

しかし当教室が歴史教育を通じてみんなに学んで欲しいのは「安易な正義感」でl答えを出すのではなく、大局を見て判断すると言う事がみんなが出来ないと日本の未来は危ういと言う事なのです。

日本が日本として長い歴史を持つのは、こうした大局を見て時にルールを破り、必要なウソをつき、自己責任で処理をすると言う気概が重要だと気付いて欲しいのです。

今回再放送されている白い巨塔の里見と言う内科医が完全に間違っているのでは無く、大局が見えていないと言う話なのです。

彼は自分の正義感を満たすために、長年心血を注いできた研究を捨て、信じている患者を放り出し、的確な診断能力を活かす場所まで失ったのです。

大学病院の信用を失墜させ、患者の多くを不安に陥れ、誰が一体良い思いが出来たのか?

そんな事を考えもせず、言わば自己満足のために行動したと言わざるを得ません。

同じ現象が教育でも政治でもビジネスでも起きていて、皆「感情論」や「正義感」で判断をして「大局」を見ていないのです。

その結果が日本の30年にも渡る不況と低位賃金と物価高なのです。

日本人自身が大局を見られるようになり、1人1人が賢い選択を出来ないとこの状況はなかなか改善しません。

だからこそカギを握るのは教育であると私は考えています。
プロフィール

KAZ・FUJITA

Author:KAZ・FUJITA
学習教室を運営して約20年、教育の仕事に関わりすでに約30年。日本の教育は間違っていると感じ正しい教育とは何かを考え続けここまで来ました。私自身の経験から「社会で活躍出来る人間とは何か?賢いとはどう言うことか?世界の教育の今、何を求めているのか?そんな事を考え子供達の指導をしています。私の考えをココに書いておきます。私はウソは大嫌いです、何でも本音で書きますので気分を害される方は読まないで下さい。
尊敬する人物は「坂本龍馬」と「諸葛亮孔明」
座右の銘は「因果応報」
教師とは職業ではなく生き様である、が信条です。

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